2、不愉快を
今まで数えきれないほど女の子から頼みごとを受けたことはある。付き合って。抱きしめて。キスして。等々。

けど、今回受けた“頼みごと”は流石の俺も初めてだった。

『私を弟子にしてください!!』

鼻血を垂らしながら、真剣な瞳を俺に向けるショートボブの女の子に、俺は『は…?』と返すことしかできなかった。何言ってんの、この子。茫然と眺めているとすみませんすみませんと言いながら人ごみをかき分けて、セミロングの女の子が出てきた。

「何やってんのアンタはもう!」

セミロングの子はショートボブの子にそう怒鳴るなり容赦ない鉄槌を落とした。ゴンッといい音が体育館に響く。ショートボブの子は「いってえええ!」と頭を抑えて悶絶している。

「ほら、さっさと帰るよ!」

「ちょっ、まっ、まだ私は帰るわけには!」

「いいから!」

セミロングの子はショートボブの子の手を引っ張って無理やり立たせ、連れて行こうとするが、ショートボブの子は足を踏ん張って耐えている。だが、連れて行こうとする力の方が大きく、少しずつずるずると引っ張られていっている。

ショートボブの子は顔を俺の方に向けた。茶色い二つの目に俺の顔が映っている。彼女は大声で言った。

「黄瀬くん!返事今度聞きに行くから、よろしくお願いします!あのっ、迷惑かもしれないけど、私を弟子にしてくれたら肉まんとかピザまんとか奢るしマックだって奢るし、それからっ、」

「うっさい黙れ!」

きゃんきゃんとチワワのようにまくし立てるショートボブの子は、もう一度セミロングの子に拳骨を落とされた。ショートボブの子は両手で頭を押え、声にならない悲鳴を上げる。

「何すんのさ!暴力反対!」

「あんたはこうでもしないと黙らないでしょ!!」

ぎゃあぎゃあと喧しく口げんかしながら出ていく二人を、俺を含めたその場の人物たちは唖然としながら見送ることしかできなかった。







翌日。欠伸を噛み殺しながら校門を潜りぬけると、ひとりの人物が俺の前に立ちはだかった。

「おっはよー!黄瀬くん!」

…出た…。

ぶんぶんと大きく手を振りながら登場した、ジャージ姿の昨日のショートボブの子に、俺は苦笑いを返すことしかできなかった。

「荷物貸して!私持つよ!」

「や、いいッスよ、別に」

「いいからいいから!」

ショートボブの子は俺から強引にエナメルバッグを剥ぎ取り、自分肩にかけた。身長140センチ前半にしか見えない女の子が189センチの男のカバンを持っているのでものすごくアンバランスだ。案の定、ショートボブの子はおっとっとと言いながら足元をふらつかせている。

昨日といい今日といい。一体なんなんスか、この子。名前も知らねえし。

俺の心の声が伝わったかのように、ショートボブの子はぴんと姿勢を正し、自己紹介を始めた。

「昨日は名前も名乗らずごめんね!私は林野ひろっていう名前で、一年C組で女バス入ってて、そんでスモールフォワード希望してます!」

「はあ…」

朝から頭に特に興味ない情報が一気に流れ込んできて特に言う言葉もない。っつーか、わかっていたけど、この子やっぱりバスケ部なんだな。

俺よりも大分低いつむじを見下ろす。海常のような強豪女バスはだいたい身長160後半から170後半の子が占めている。低くても150センチ後半だ。なのにこの子は、見たところ140センチ前半。バスケは身長が全てとは言わないがこの身長でバスケをするのは相当きついだろう。

…まあ、別にどうでもいいんスけど。

「海常って本当に広いよねー。男バスと女バスで体育館違うってすご過ぎるよね、本当!推薦じゃなかったらこられなかったよこんな金持ち高校〜」

「…推薦?」

思わず訊き返してしまった。小林さんは「ん?」と首を傾げて俺を見る。

「林野さんって、推薦で海常来たんスか?」

「そうだよー。じゃなきゃこんな金持ち高校来られないよ。うちんち一般ピーポーだもん」

へえ…。人は見かけによらない。とは黒子っちで学んだつもりだったけど、それでも面食らわざるをえなかった。意外とやるんスね、この子。

「おい黄瀬ェ!」

感心していると、後ろから怒号が飛んできてびくっと体が震える。苦笑いしながらゼンマイ仕立ての人形のように首を後ろに振り向かせると、眉毛を釣り上げた笠松先輩がいた。

「お前何女子に鞄持たせてんだ!恥ずかしくねえのか!」

「違いますよ笠松先輩!私が持ちたいって言ったんです!」

林野さんに話しかけられ、女に全く免疫がない笠松先輩はカァっと顔を赤くさせ、目を泳がしたかと思うと俺の頭をグーで殴った。

「いってえ!何するんスか!」

「うっせー!たとえそうでもそこはちゃんと断れ!それからこの子に黄瀬を甘やかす必要なんてねえって伝えろ!」

「この短距離でなんで俺が言わなきゃならないんスか!っつーかもう聞こえてるし!」

「それはですねえ、笠松先輩。接待です」

「「接待?」」

笠松先輩と俺の声が重なる。笠松先輩はハモらせんじゃねえと俺の頭をまた殴った。理不尽にもほどがある。

「私を黄瀬くんの弟子にしてもらうように接待しているんです!」

林野さんは何故か得意げに胸を張って言った。が、すぐに慌てて口を押さえた。

「しまった…!接待って言っちゃダメだったんだ…!あのっ、いや、違うんだよ黄瀬くん!これは接待じゃなくて私の善意百パーセントで…!って、うお!?もうこんな時間!?で、では私はここで!」

俺は林野さんの、あたふたと身振り手振りで言い訳したり、腕時計を見たりと慌ただしい様子に圧倒されていると、林野さんは、これまた慌ただしく頭を下げ、踵を返し走って行った。途中、一度だけ、こちらを向き、

「黄瀬くん!またあとでえええええ!」

と、叫び、猛ダッシュで去って行った。

「また後でって…黄瀬、お前どうするんだ」

何とも言えない表情の笠松先輩が訊いてくる。

どうするって、そんなの。







部活後、着替え終わって校門に向かっていくと、予想通りの人物が現れた。

「黄瀬くん!ご苦労様!」

ぴょんと躍り出るように出てきたのは、林野さん。ショートボブの髪の毛がぼさぼさになっている、散々部活で暴れたのだろう。汗と制汗剤が混じった匂いが漂っているし。

「ささっ、鞄を私に、貸して貸して!」

「林野さん」

朝のように俺の鞄を持とうとする林野さんを、名前を呼んで、制した。

「俺、人にバスケ教えんの苦手だし、君の頼み、無理っすわ」

俺はできるだけ柔らかく、営業スマイルもつけて、穏やかに断った。

が。

「そ…っ、そこをっ、そこをなんとか…!!」

林野さんは縋り付くかのように、悲壮な面持ちで俺に近づいた。

「教えなくていいんだよ!時々時間が空いた時に私と1ON1してくれたらそれでいいッ!それに、私肉まんとかピザまんとか奢るから!からあげとかも奢るから!時々なら焼肉も奢るしっ、それからっ」

林野さんは俺の目を真っ直ぐに見つめて、いかに自分を弟子にしたら利益が生まれるかを、必死に切々と訴える。俺はふっと笑みを零した。俺の笑顔に気を緩めたのか、林野さんにも笑顔が生まれる。

「林野さん、俺にはね、あんたなんかのために割く時間はないんスよ」

林野さんの、俺に向ける憧憬の眼差しが、昔の俺に似ていて。

『青峰っちー!1on1するっスよ!』

たまらなく、苛々する。吐き気がする。

俺はこんな純粋じゃなかった。

けれど、何も知らず、ただ背中を追いかけていただけの俺に、通じるものがあって。

「黄瀬く、」

「じゃーね。バイバイ」

有無を言わせない笑顔で林野さんの言葉を遮り、茫然と突っ立っている林野さんの横を通り過ぎた。

背中に視線を感じる。

皆が変わっていくのを、バラバラになっていくのを、最後になって気付いた俺が、みんなに向ける視線と、やっぱり似ていて。

そういうところも、たまらなくイラついて仕方なかった。


不愉快を纏った残響

どうするって、そんなの。
断るに決まっているっしょ。



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