21、ああもう
床を蹴って、宙を飛ぶ。バランスを崩さないように意識して体勢を保ち、そのまま、ボールを放り投げる。

しかし、投げられたボールはリングに当たって、そのまま地面に落ちた。

「あっちゃー、また失敗しちった…」

苦笑じみた笑いを力なく浮かべながら、てんてんてんと軽くバウンドしながら私の方に戻ってきたボールを取り上げる。

私は最近部活が終わったあと、こうして居残りをして自主練に努めている。女バスは体育館を二つ使える。だから私は他に居残りしている先輩達に気を遣って校門から遠い第二体育館で練習をしている。一年はまだ体力がついてない子が多くて、私以外居残り自主練をしている子はいない。

普段は。

今日は、違った。

「不調だね」

私の背後で、よっちゃんの声がした。振り向くと、よっちゃんの背中が視界に入る。しゅっと、よっちゃんの手から放たれるボールは綺麗な弧を描いて、リングに触れることなく、ゴールの中に入った。

今日、よっちゃんが珍しく私も自主練すると言っていた。いつもはあんたみたいに体力ないからパスと言ってさっさと帰るのに、めずらしいこともあるものだ。

「よっちゃんは絶好調だね!すっげー!!」

ぱちぱちと拍手を送ると、よっちゃんは何も言わないまま、ゆっくりと振り返った。

「今のすごかった!緑間くんのシュートにちょっと似ていた!いやー、すごいなー!そういえば、よっちゃん中学の時帝光で一番好きなのは緑間くんだって言っていたよね!」

「あんたは黄瀬くんが好きなんでしょ」

その言葉に、一瞬動きが、頭が、表情が、固まってしまった。けど、すぐに理解する。今の“好き”は、“敬愛”としての意味だ、と。

だから私は笑顔で頷いた。

「そうだよ!私は中学の時から黄瀬くんのことが、」

「黄瀬くんのことが好きなんでしょ。なのになんで、黄瀬くんを避けてるの?」

覆いかぶさるように、言葉が降りかかってきた。

よっちゃんはの眼差しはとても真剣で、頭の悪い私が考えた嘘なんてすぐに見破ってしまうということを物語っていた。

へらへら笑いが、私の顔から消えていく。代わりに私は、自虐的な笑みを浮かべた。だらりと肩の力が抜ける。手を組んで後ろに回し、俯きながら、自嘲しながら言った。

「だから、だよ。好きだから、だよ。尊敬しているって言ってたのに、好き、とか。黄瀬くんに失礼じゃん」

黄瀬くんは、恋愛的な繋がりを欲していない。少なくとも、私には。
友愛、敬愛だから、私を傍においていてくれたのだと、思う。
異性なのに恋愛ではなく、友愛や敬愛を向けてくれるということが物珍しかったのだろう。

でも、ただ物珍しがるだけじゃなくて、大切にしてくれた。

私が殴られたら、怒ってくれた。泣いていたら、心配してくれた。

いろいろなものを、私にくれたのに。

私は。

「色恋で黄瀬くんを見ていたんだよ、最低だよ。そういう目で見られるの嫌だって黄瀬くん言っていたのに」

くしゃりと前髪を掴む。
自分の足元に視線を落とすと、靴ひもがぐしゃぐしゃで、まるで私の心のようだと思った。

「だから、私はもう黄瀬くんに近づいちゃいけないんだ。好きなんて感情持ったまま、黄瀬くんの傍にいるとか失礼。あんなによくしてくれた黄瀬くんを、私は傷つける。傷つけたくない、困らせたくない。…嫌われたくない」

前髪から手を離し、ぱっと顔を上げて、鬱々とした気分を取っ払うようにして、私は笑顔を作った。

「もういいんだ!私、この半年すっげー楽しかったし!悔いはない!」

そう私が言うと、よっちゃんは真顔で、至極当然のことを口にするような口振りで、私に向かって、言葉を投げつけてきた。

「私さ、あんたのそういうところ、大嫌いなんだよね」



私とよっちゃんは女子らしからぬ付き合いをしていると、人からよく言われる。

一緒に行動をすることも多いけど、一緒に行動しないことも多い。お弁当を別々に食べることなんて普通のことだし、お揃いのものなんてひとつも持っていない。だから文化祭の時可愛いと言われて驚いた。私とよっちゃんは女子同士の恒例行事『○○ちゃん可愛いよね〜』『え〜○○ちゃんの方が可愛いよ〜!』というものを、三年の付き合いだけど、したことが一回もなかったからだ。

だからと言って、今のは驚いた。

まさか、真っ向から“嫌い”と言われるとは。

私は目をぱちくりと瞬いた。

よっちゃんは、そのままずけずけと言葉を私にぶつけてきた。心底嫌そうに顔を歪めて。

「黄瀬くんのため、だァ〜?は?なにそれ?自分の勝手な理屈押し付けているだけじゃん。なに自分のやらかしたことを正当化してんの?馬鹿のくせに変な風に頭使うから、馬鹿なことやらかすんだよ。あー馬鹿すぎて嫌。勝手に暴走して人に自分の考え押し付けて逃げるとこ、ほんっと嫌い」

憎々しげにまくし立てるよっちゃんに、私はぽかーんと口を開いて、ただただ言われるがまま。なにがなんだか。頭が追い付かない。私はよっちゃんにものすごく嫌われているところを持っているらしい。

「っていうか、好きになって失礼ってなんだよ。は?黄瀬くんを好きになったらいけないとかそんな法律あんの?」

「な、ないデス」

「はい、そうだね。好きになっていいね。はい問題解決」

「ちょっ、ちょっと待ってよ!!」

ぱんぱんと手を叩いてどうでもよさそうに言うよっちゃんに、言わずにはいられなかった。

私の悩みを、どうでもいいと一蹴するよっちゃんに、腹が立った。

「よくないよ!黄瀬くんは、好かれることを嫌がっているんだよ。それなのに、好きになったら、嫌がられるし、嫌われるよ…!」

よっちゃんは、黄瀬くんのことを好きじゃないから、そんなことが言えるんだ。

知らないんだよ、よっちゃんは。

好きな人から嫌われるかもしれないっていう、怖さを。

私を呼び出したあの子達みたいなことを私がされたら、って思うと。

背中を冷たい汗が流れる。動悸がはやくなる。呼吸が乱れる。

ああ、ほら、思っただけで。こんなに、怖くなる。

「嫌う隙間も与えなかったじゃん」

よっちゃんに怒りを抱いている私は、「どういう意味?」ときつい口調で訊き返す。チッと舌打ちで返された。よっちゃんは腕を組みながら、私を睨み据えた。

「黄瀬くんのため、黄瀬くんのため、そう言いつつ、あんた、黄瀬くんの言葉、全然聞かないで、逃げたんでしょ」

まるで、私がこの前黄瀬くんに言いたいことを言うだけ言って、去って帰った日のことを見ていたかのように、よっちゃんは言った。真実を突かれ、目を見開かせると、「あんたのやりそうなことなんて、お見通し」と、よっちゃんは言い捨てた。

「今までまとわりついてきた奴が、ばいばいって言ってきて、黄瀬くん、訳わかんなかっただろうね。あんたに嫌われたって、思ってるかもね」

「そんなことない!!」

「私に言うなっつーの。あんただって、黄瀬くんに急にばいばいって言われたら、嫌われたって、思うでしょ?」

よっちゃんは諭すように、静かな声で、そう言う。私は言葉に詰まった。

自分がしてきた行動を思い浮かべる。
黄瀬くんと私を反対にしてみる。

サァッと血の気が引いた。

どうして?って訊いても何も答えてくれなくて、離して、と言われて。

そんなことを黄瀬くんにされたら、頭ぐちゃぐちゃになって、そして。

嫌われてしまったと、思う。

「悲しかっただろうね。嫌われたって、思って」

自分がしでかした過ちに気付いて、手を口元に当てて震える私に、淡々とした物言いで、よっちゃんは私に追い打ちをかけてくる。

その追い打ちは、厳しいけれど優しい響きを持って、私の背中を力強く押す。

「はっきり言って、私は黄瀬くんのこと、結構嫌いだよ。生意気だし、礼儀知らずだし、人を見下しがちなあの態度は見ていて苛々する。けど、ひろは嫌わなかった。私みたいに上辺でさっさと判断をつけないで、簡単に黄瀬くんを見限らないで、好きでいた。どんな自分も、好きだって言ってくれたあんたのあったかさに、あの黄瀬くんだって感謝しているはずだよ。じゃなきゃあの黄瀬くんが一緒にバスケしてくれる訳がない」

きっぱりと歯に衣着せぬ言い方でよどみなくすらすらと、想いを声にのせるよっちゃん。だから、と言葉を区切り、そこからさらに言葉を紡いだ。

「簡単に、嫌わないでくれるんじゃないの?」

よっちゃんがそう言った時、あの時の黄瀬くんの言葉が蘇った。

照れ臭そうに、ぶっきらぼうに、年相応の男子の顔をしながら、言ってくれた言葉。

『ちょっとやそっとの失敗や失態で嫌いになんかならないッス』

黄瀬くんは、さして意味もこめず、何気なく言ったのかもしれない。

けど、私にとっては。すごくすごく意味のある言葉で、嫌いにならないって言ってくれて、安心して、嬉しくて。

あの時、私は既に黄瀬くんのことを、好きになっていたのかもしれない。

好きだ。好き。好き。好きで、好きだ。

悲しまないで、傷つかないで、嫌わないで、

私のことを、好きに、なって。

身もふたもない我が儘な欲望が溢れだす。

「んじゃ、私、帰るから」

「…えっ」

茫然とする私に、よっちゃんは「ああ、それから」と今思い出したと言わんばかりに言った。

「黄瀬くん、今からここにくるから」

「へ」

間抜けな私の声のあとに、入口に人の気配がした。

視線を投げた先には、会いたくて、会いたくない、あの人。











ああもう神様のせっかち



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