16、指先から
「ちょあーッ!」

文化祭当日。私は奇声を上げながら焼きそばを炒めていた。

「あんたはなんか喚きながらでないと料理もできないの?」

「なんか声出しながらのがテンションあがるじゃん!」

「あーハイハイ。ってゆーか、そろそろ当番交代だよ」

「え」

よっちゃんに言われて壁時計に視線を走らせると時計の針は十二時を射していた。私は十二時までの当番だから、もう終わってもいいのだけれど。

「本当だー。でも待ち合わせ十二時半だからもうちょっとやってこうかなー」

そう言って、焼きそばを再び炒めはじめると、チョップを頭に振り落された。

「!? は!?なに!?」

「こんの馬鹿。あんたさ、黄瀬くんと回るんでしょ」

「そうだけど?」

それがなんでチョップの原因になるんだよォと唇を尖らして抗議すると、よっちゃんはハァとため息をついて、私の手首をガシリと掴んだ。そして、私が黄瀬くんのために作っていた焼きそばが入っている袋を私の手に握らせる。

「李緒、由美、交代よろしくー」

私とよっちゃんの次の当番の子に声をかけて、私の手首を掴んだまま、ずんずんと屋台から離れていく。

「ちょ、よっちゃん、どこに連れて行くのさ!」

「教室」

言葉の通り、私は階段現在控室として使われている自分の教室に連れて行かれた。よっちゃんは鞄を漁り、出したものをコンセントにつないだ。

「はい、ここに座って」

と、有無を言わさない口調で命令され、私は言われたまま座る。なにがなんだかわからない。なにをしたいんだ、よっちゃんは。

よっちゃんが私の背後に経ち、私の髪の毛にわしゃわしゃ何かを揉みこんでいく。

甘い香りが鼻を擽る。なんじゃこれ。クリームをつけられている?

「よっちゃん?何してんの?」

私の質問を無視し、よっちゃんは今度はコテというもので私の髪の毛を挟んで、くるりと半回転する。くるりん。おお、なんか、私の髪が丸くなっていく。

くるりん、くるりん、くるりん。私の髪がどんどんくるくるになっていく。頬にあたる髪の毛がくすぐったい。

「はい、鏡持って」

よっちゃんは私に鏡を渡した。言われた通り、鏡を受け取って、覗き込む。小さな鏡の中には、毛先をほどよく内側に巻かれていたり、ほどよく外側に巻かれていたりしている私がいた。いつものボサボサ頭と違って、ものすごく、お洒落だ。

「す、すっげー…。女子みたい、私」

「女子でしょ」

よっちゃんはそう言いながら、私の右側の髪の毛を耳にかけ、何かをつけた。パチンと小気味よい音が鳴る。鏡をもう一度見ると、薄い黄色のリボンのバレッタ(という名前だった、多分)がつけられていた。

「うおお…。す、すんご。え、女子だー…」

「だから、あんたは女子なの」

椅子に座っている私と視線が合うように、よっちゃんは身を屈める。

「あんたさ、顔は結構可愛いんだから、そうやって身なりだって整えれば、結構いい方なんだからさ。女子なんだからさ」

「お、おう…?」

どうしたんだ、よっちゃん。なんか変なモンでも食べたのかな?

「どうせアンタのことだから、自分の気持ちに気付いてないんだろうけど、ま、とりあえず、」

ぽんっと肩に手を置かれる。

「黄瀬くんに一発かましてきな」

なにを?










意味が全くわからないまま、私は待ち合わせ場所に来た。焼きそばをしっかり胸元で抱き込みがら黄瀬くんを待つ。何故かと言うと、冷たくしないためだ。出来立てからは少し温度が下がってしまったが、少しでも暖かさを保たせておきたい。


壁にもたれながら、思う。

黄瀬くんまだかなー。携帯を見て、時間を確かめる。十二時三十三分。三分遅れなら、まァ、普通にあるよね。

でも。私だけなのか、やっぱり。

一分でも一緒にいたいなんて思うの。

そりゃあ、そっか。


少しだけ、気分が落ちて、視線を落とす、と。影が私にかかった。反応して顔を上げると、違う制服を着た男子が私の目の前に二人いた。顔を上げると同時に声が降ってきた。

「海常の子、だよね?」

「あ、はい。そうです」

「だよねー海常の制服着ているもん。あったりまえのこと訊いちゃってごめんね!あのさ、俺ら××高なんだけど、ここ広いから訳わかんなくてさー、案内してくれない?」

すみません、人を待っているんでそれはできないです。と謝ろうとした時だった。

「その子の先約、俺なんで」

きれいな金髪。おおきな背中。私を隠すように、私と男子二人の間に割り込むようにして、黄瀬くんは立っていた。

「あ…えーと…す、すんまっせん」「じゃ、じゃあ」男子たちのぼそぼそした声が聞こえたあと、彼らはどこかへ行った。

きつい口調だったな、黄瀬くん。ただ道案内を私に頼んだだけだったのに…。もしかして、今不機嫌モード?

黄瀬くんは何故か一向に振り向こうとしない。ずっと前を向いている。

だから私は黄瀬くんの前に回り込んだ。

「黄瀬くん?」

「!!」

黄瀬くんの顔を覗き込むようにして問いかけると、黄瀬くんの顔にぼんっと朱が差した。

「…!? 黄瀬くん顔が赤いよ!?ちょっと、熱あるんじゃ!!」

背伸びして黄瀬くんの額に触れようとする。が、身長差四十四センチ。うん、届かない。その背伸びしている状態で、どんっと誰かが私の背中にぶつかった。

「ぬあ!?」

「え!?」

変な奇声を出したあと、黄瀬くんが驚きの声を上げる。
バランスを崩した私は、そのまま黄瀬くんの体になだれ込んでしまった。目の前が一瞬真っ白になる。

甘い香りに包まれる。

は、鼻打った…!

って、ん?

目の前には黄瀬くんのネクタイ。手はしっかりと黄瀬くんのシャツを掴んでいて。
黄瀬くんとの距離、ただ今ほぼナシ。

「わ、わわ!ご、ごめん!」

飛びのくようにして慌てて距離を取る。

黄瀬くんの体温がまだ残っていて、心臓がばくばく言っている。顔が熱い。黄瀬くんの方を見られない。なんだか私は最近、いや結構前からおかしい。他の人だったらこんなのにならないのに、黄瀬くんだと。なんだか。

視線を下に向けて「えっと、いや、マジでごめんね!ほんっとマジで、その」と同じことを繰り返していると、黄瀬くんが何かつぶやいた。聞き取れなくて「え?」と顔を上げると。

黄瀬くんも、顔が赤くなっていた。少し顔を俯けているけど、赤かった。さっきよりも、ずっと。眉を怒ったように少し吊り上げて、悔しそうに、黄瀬くんは叫ぶようにして呟いた。

「ずるいっすよ…!」

「へ?」

「ずるいッス!なんで、そんな、突然、いっつもテキトーなカッコしかしねえ癖に、そんなん…!すっげー可愛いじゃないッスか…!」

え。

『すっげー可愛いじゃないッスか…!』

黄瀬くんの言葉が鼓膜に響いた。

言ってから、黄瀬くんはしまったとでも言うように慌てて口を抑える。私と目が合う。黄瀬くんの二つの眼は動揺で揺らいで、それから、「あ〜…も〜…」といっそう悔しそうな声を漏らして、腕で目元を覆った。

可愛い、という言葉を女の子達はいつも求めている。可愛いと言われるものを集めたり、可愛いと言われるもので自身を飾り付けたり、可愛いと言われたがったり。私は、そういうものに無頓着で、可愛いって言われることよりも、カッコいいとか面白いだとか、そういうことを言われる方が嬉しくて。けど、今黄瀬くんに可愛いと言われて、“嬉しい”という感情で心がいっぱいになっている。

「え、えっと、サンキュー…。へへへ」

照れ臭さを笑って誤魔化すの半分、嬉しくて笑ってしまったの、半分。

黄瀬くんは目元を腕で隠すのをやめて、笑っている私を見て、何か言いたげに口をもごつかせたかと思うと、目を伏せた。そして、もう一度、私に視線を移してから、口を開いた。

「その、遅れてゴメン」

「全然いいよー!三分ぐらいしか遅れてなかったし!あ、そうだ、これ!」

「これ…あ、焼きそば!」

「まだあったかいからこれどっかで食べよ!味は私が保証する!普通に美味しい!」

「んじゃ、これどっかで食べよっか」

「うん、そーしよ!」

「焼きそば、ありがと」

「いえいえー!」

「そんで、林野さん」

「ん?」

「今日、あんま俺から離れないでほしいんスけど」

黄瀬くんは少し、私から目を逸らして、ぼそぼそと言う。

「裾とか、つかんどいてくんないッスか」

迷子になったら困るし、と。言う黄瀬くんの頬はやっぱり赤かった。







ちゅるんとやきそばをすすって、黄瀬くんから一言。

「フッツーにうまいッスね」

「わーい!」

万歳して喜びを表す。黄瀬くんはそのままばくばくと食べてくれる。私と黄瀬くんは今、休憩場所のパイプ椅子に座っていた。人ごみがまあまああったので、黄瀬くんの思惑通り私は迷子になりかけた。けど、黄瀬くんの制服の裾を掴んでいたおかげで、迷子にならずにすんだ。うんうん、流石黄瀬くん。

―――ぐぎゅるるるるるる

私の腹の虫が空気を切り裂くような雄叫びを上げた。そういえば私何も食べてなかった…!!う、うおおお自覚したら腹が…!!

横の黄瀬くんが「ぶはっ」と噴出した。

「す、すんげえ、腹の音…!!」

「私何も食べてなかったの今思いだして…!う、うおお、腹が…!!私もなんか買って来る…!」

私はすきっ腹を抱えながらよろよろと立ち上がった。「行ってら」と送り出す黄瀬くんの声に笑い声が含まれていて。は、はずい…!とひたすら思った。

私はこの時まで腹が鳴る音を聞かれて恥ずかしいなんて思ったことがなかったのに。そのことに、気付かなかった。

とりあえず私はタコ焼きを二パック買った。もしかしたら黄瀬くんもタコ焼き食べたがるかもしれないと思って。もしいらないと言われたら私が食べればいいだけの話だし。

「お待たせ黄瀬くん―――」

言い終わってから、私は瞬きをぱちぱちと繰り返した。休憩所に帰ると、黄瀬くんの両隣にとても可愛い女の子達が座っていた。厚化粧というわけでもなく、自分の長所を伸ばすための化粧を施した女の子達だった。黒髪さらさらストレートのロングヘアーの見るからに清楚な女の子と、栗色ふわふわロングヘアーの柔らかい雰囲気の女の子。ものすごく、可愛い。

「ほら、言ったでしょ。俺この子と回るんだって」

ハァっと黄瀬くんが重いため息をついて、煩わしそうに言う。すると、誰?とでも言いたげな女の子達の眼が一瞬、すうっと細くなった。かと、思うと、今度はにっこり笑って。

「え〜!可愛い〜!」

「涼太くん隅に置けないな〜!」

と、私に可愛い声を向けた。

え、えっとォ…。どう反応すればいいんだ、これ。

黄瀬くんに“可愛い”と言われた時の感動も湧かず生まれるのはいつも通りのほぼ無に近い困惑ばかり。とりあえず、「ど、どうも」とお礼を述べておく。

「高校一年生だよね?」

「う、うん」

「だよねー、海常の制服着てるもん!でも見えないな〜若い!中学生って感じがする!」

「うん中学一年生って感じー!可愛いー!いいなー若く見えて〜」

「足ほっそ〜い!」

「羨ましいな…私ほんとデブだからさ〜…」

褒められているのに、何故だか居心地が悪い。

黒髪の子も栗色の子も、大人っぽいと言う訳ではないけど、年相応だった。女子高生という感じだった。素肌感が溢れる程よい化粧。体からほのかに桃の甘い匂いがする。爪は可愛いビーズとかついていて。太ももとか柔らかくて気持ちよさそうだし。

私は、制服着てなかったら高校生になんて見てもらえないし、いつも何もしていないし、多分今焼きそばくさいし、爪だって何もしてないし。私の足はゴボウみたいにただ細いだけで。

なんでかな、なんで、褒められている、はずなのに。さっき腹が鳴った時よりも恥ずかしくて仕方ない。

「ちょっと宮口さん、梨野さん」

「涼太くーん、ほんとこの子可愛い〜。私にも紹介してよ〜」

「ずるいよ、独り占めなんて!」

黒髪の子と栗色の子。どちらも、お似合いだった。黄瀬くんに、とてもお似合いだった。この子が黄瀬くんの彼女です、と言われたら納得する。

私、だったら。

頭の中で私と黄瀬くんを並べてみて、生まれるのは羞恥心。

四十センチ以上の身長差、大人っぽい黄瀬くんと、中学生みたいな私。まるで、兄妹だ。

可愛いとかあれだよ、黄瀬くんだって、サルとかに対する可愛いだと、そう思って言ったんだよ。この子達に対する“可愛い”と私に対する“可愛い”は別の種類だ。女の子としての“可愛い”とマスコットに対する“可愛い”それくらいの差はある。うん、ああよかった、ちょっと勘違いしていた。はっず。

「ね〜、涼太くん、四人でまわろ?」

「…だから無理だって」

「いいじゃん、たくさんで回った方が絶対楽しいってー!」

この三人と一緒に回ったら、多分私は高校生のお兄さんお姉さんに文化祭を案内してもらっている中学生にしか見えないんだろうな。

「あ!あっちに友達いたから、私そいつらとまわってくる!!」

「…は?」

「うん、だから三人でまわって!そんじゃ!」

そんなことを考えたら、いたたまれなくなって、くるりと背を向けて、その場から逃げるようにして去った。友達は、今は見つからないけど、ちょっとしたらすぐに会う。こういう時友達がたくさんいてよかった。その中に混ぜてもらおう。モンハンの話とか新作のポケモンの話だとか、そんな話をして、そんで。

そんで。

ばしっと手首を掴まれ、走る足がとまった。えっと驚いて振り向くと、眉を吊り上げている黄瀬くんがそこにいた。

「どういうこと」

「いや、私、あそこで浮いているし、邪魔だなーと、思って」

黄瀬くんの怒りが手から伝わってくる。気圧される。

「黄瀬くんだって、ほら、ああいう可愛い女の子と回った方がいいと思うんだよ。こういうガキくさいのと回ったって、大して面白くないって〜」

黄瀬くんから伝わる怒りで空気が重い。場を和ませようとへらへら笑ってみせると。

「ふっざっけんな…!!」

「いっ」

ぎゅうっと手首を強く握られた。

「マジで林野さん馬鹿じゃねーの、言ったじゃん。一緒にまわろって。俺が、林野さんと一緒に回りたいから、あんたを誘ったんスよ。なんでそんなんもわかんねーんスか」


「自分のことに自覚ゼロなのにもいい加減ムカつくし」


「俺は!林野さんと一緒にまわりたいんスよ!!」


大きな声で、せっぱつまったように叫ぶ黄瀬くんの声からは、本心しか含まれていなくて。嘘なんてどの隙間にも挟まってなかった。

黄瀬くんの声はとても大きかったので、シーンと辺りが静まり返る。

周りの視線が私達に集中する。ハッと黄瀬くんが我に返った。

「あっ、…あ〜!!もう!!また…!!」

黄瀬くんは真っ赤な顔でキッと私を睨んだ。

「林野さんのせいッスからね!!今日一日、俺の言うとおりにしてもらうッスよ!!」

べっと舌を出して、黄瀬くんは私の手首を掴む手を少しだけ緩めたものの、離さなかった。ぎゅうっと私の手首を掴む。

「ぜってー、どこにも行かせない」

ぎゅうっと掴まれた手首が、異常に熱い。黄瀬くんの手が熱いのか、それとも私の手首が熱いのか。よくわからないけど。

なんだか、ただ、泣きそうなくらい嬉しくなって。

「へへ、へへ、へへへ」

「…? 林野さん?」

怪訝そうに首を傾げる黄瀬くん。

「ごめん、なんか、へへ、あはは」

泣きそうなのに、嬉しくて、笑ってしまった。




指先からあふれる


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