15、素敵なことが
意外と言ったら意外だし、意外じゃないと言われれば意外じゃなかった。

女子特有のネチネチがなくて、とっつきやすくて、話しやすい。焦げ茶の瞳が大きな綺麗なアーモンドの形をした目は小動物に似ている。

林野さんはそこそこモテていた。




夏休みも終わり、学校が始まってから随分経った。オニオングラタンスープを一緒に食べに行こうと言ったのはいいものの、もうじき文化祭なので準備に忙しく、ウインターカップに向けて部活もどんどん忙しくなり、行く時間がとれず、いまだに行けてない。

でも、一緒にバスケをする時間はちょいちょいとって、部活のあとに二十分とか、お遊び程度のをしている。もっとしないんスか?と訊いたら、う〜とぷるぷる震えて我慢を抑えながら『黄瀬くんの足を治す方が大事!』と言われた。

俺とバスケをすることが好きで好きで仕方ない女の子が、俺と一緒にバスケをしたいという気持ちを抑えて、そんなことを言うんだから。従うしかないっしょ。


そんなこんなで。今は退屈な数学の授業中だ。意味わかんねーと何気なく窓の外に視線をやると違うクラスの女子が体育をやっていた。女子の体育なんて露程も興味ないけど、今回は例外だった。

あ。

見慣れたショートボブに、他の女子よりも一回り小さな体。

よく目を凝らすと林野さんは何か叫びながらサッカーボールを思い切り蹴とばしている。が、力を入れ過ぎてボールはゴールの遥か上をいった。

林野さんらしい行動にぷっと噴き出しそうになる。

…相変わらずっスね。

口元が自然と緩む。輪郭に手を携えて頬杖をついて、慌ててボールを取りに行く林野さんを目で追う。

グラウンドの半分は女子が使い、もう半分は男子が使っていた。林野さんのクラスメートと思われる男子がサッカーボールを拾い、林野さんに渡す。

林野さんが受け取ろうとした時、男子がボールを自分の頭上に持っていった。すかっと空振りする林野さんの手。むっきー!と怒って、林野さんは必死に男子からボールを奪い返そうと何度もジャンプするがひょいひょいと避けられている。

「…瀬、おい、黄瀬!」

俺の机に影が映る。
え、と見上げると目を三角にした監督が俺を怒りの眼差しで見下ろしている。すっかり見入っていて監督に全く気づかなかった。

「な、なんすか監督」

営業用スマイルを貼りつけて、バシッと決めてみせる。モデルのスマイルッスよ。ぶちっと何かが切れる音がした。…監督の方から。













ああー…。頭ガンガンする…。

俺はあのあと監督に精神が緩んでいるだのなんだのと怒鳴られた。監督の罵声が脳にダイレクトに響く。そのあとクラスメートの女の子達がこぞって大丈夫〜?と心配をしてくれるのはいいのだが、そのまま俺の席に椅子を持ってきて、何故か俺の席で弁当を食べ始めたのには辟易した。ガンガンする頭にキンキン声が響いてきて、さらに頭が痛くなった。

部活の先輩と打ち合わせしなきゃいけないんスと言い訳(嘘)をして、女の子からそそくさと逃げてきた。右手には食べかけのパンが入ったコンビニ袋。さて、どこで食べようか。食堂…どうせまた女の子がやってくる。あー、昼休み終わるー。勘弁しろって、マジで。

廊下をあてもなくさまよう。友達が少ないので泣きつける場所もない。ちなみに数少ないクラスの友達に泣きついて女の子から守ってもらおうとしたら今にも俺を殺しそうな目で見てきた。理不尽だ。マジで理不尽だ。

…そういや。林野さんの声は高いけど…キンキンはしていないな。

『黄瀬くん、あのね』とクラスの女の子が俺を呼ぶ声。
『黄瀬くん、あのさ』と林野さんが俺を呼ぶ声。

同じことを言っているのに、なんでだろう。

なんか、すっげえ、違う。

「おいコラ松野!!返せーッ!!」

え。

噂をすれば、とはこのことだ。高い声が俺の耳に飛び込んできた。声の先に視線を飛ばすと、そこは林野さんのクラスで、視界に入ってきたのは男子生徒の背中だった。林野さんの声が男子生徒の背中越しに聞こえてくる。

「私の!カツサンド!!か!え!せ!!」

「ほれほれ取ってみろ。バスケ部なんだからジャンプで取れんだろ?」

「コンニャロォ!!」

林野さんの声は本気で怒りに満ちていたけど、男子の声はなんていうか。楽しんでいるっつーか、嬉しそうっつーか。

好きな子をいじめて、楽しい、という感じがありありと伝わってくる声で。

「がんば―――、」

教室の中に一歩踏み込んで、俺は、男子の手からカツサンドを奪った。

「…え」

手から突然感触が消えた男子の林野さんをからかう言葉が途中で途切れ、間抜けな声を漏らし、振り向いて、口をぽかんとあけて俺を見ている。身長高くてよかったね。好きな子の物を取って『取ってみろ』とかできるッスもんね。ぴょんぴょん跳ねる姿を見下ろして可愛いなとか思っていた訳?ごめんね、その楽しみ奪って。俺のが君より背高くって、ごめんね?

推定身長百七十後半か百八十前半の男子を見下ろしながら、性格の悪い思いで頭がいっぱいになっていると。

「黄瀬くん!どしたの!珍しいね!」

林野さんがタタタと俺の元へ駆け寄ってきた。俺より四十センチちょっと背が低い彼女は、俺を見上げるのに、いつもいっぱいいっぱいで大変そうで、最近それが、少し。


「…はい、これ」

邪な考えを打消し、林野さんにカツサンドを渡す。

「あ…!わー!ありがとう!!黄瀬くんは命の恩人だよ!!」

ありがとう!ありがとう!と何度も何度も頭を下げる林野さん。俺はいいよいいよと手を振って笑う。

「そんな謝ることじゃねッスよ。困っている人がいたら、助けるのは当然のことッス」

そう言ってから、気まずそうに立っている男子に視線をずらす。俺に視線を向けられて、男子の顔に緊張が走る。

「駄目じゃん、人が嫌がることしちゃ」

諭すようにそう言ってやる。男子の顔に朱が走り「な…っ」と口から声が漏れた。

よくわからない火花が俺と男子の間に散る。

「マジでその通り!黄瀬くんよくぞ言ってくれた!」

それに全くすがすがしいほど気づかない林野さんが両腕を組みながらうんうんと頷いている。前から思っていたけどこの子、馬鹿だ。

四時間目、林野さんにしょうもない嫌がらせをしていた男子とはまた違う男子だ。いろんな男子からこういう小学生レベルの愛情表現を受けているのか。…そういえば、林野さんのことが心底どうでもよかった時、後ろから男子にバシッと頭を殴られて何すんのさ!と怒っている林野さんを見たことがある。殴りやすい位置にお前の頭あんのが悪いんだろとか言われていて、あー、確かにあの男子の身長からしたら、殴りやすい位置にあの子の頭あるッスねとか思った。あの時は心底林野さんどうでもよかったから、すぐに忘れたけど。

いつも楽しそうに笑っていて、さばさばしていて、とっつきやすくて、小動物を思わせる顔立ちのこの子は、もしかしたら。

「いやマジね、このカツサンドはね、美味くて美味くて…。なんてゆーの?これを食べるために生まれてきたっていうかさ…!」

なかなかモテているのかもしれない。

そう思ったら、なんだかじっとしてられなくなって。

「林野さん」

「ん?」

「一緒に弁当食わない?」

なにかしなくちゃいけないと思った。







も…っ、もちろん!全然いいよ!と二つ返事で気持ち良く受けてくれた林野さんは、さあさあどうぞと意気揚々と自分の席に俺を案内してくれた。林野さんの前の席の人の椅子を借りながら、既に食べたと思われる弁当の箱を嬉しそうに片づけながら、「黄瀬くんここにごはん置いて食べてー!」と言ってくる。

「俺が言い出したんだけど…そんなに俺と食べるの、嬉しい?」

「うん!」

ニコニコ、ニコニコ。大きくうなずく林野さん。

あんまりにも、嬉しそうに笑っているから。

「そっか」

俺も嬉しくなって、頬の筋肉が抜けてしまう。

すると、林野さんの動きが一瞬止まった。が、それはほんの一瞬で、カツサンドの袋を雑に開け、俯きながらばくばくものすごい勢いで食べ始める。

…それにしても。

すっげー、視線。

四方八方あちこちから視線を感じる。俺は人の視線には慣れているけど、林野さんは居心地悪くないのだろうか。

「林野さん」

「うん!?なにかな!?」

なんでこんなテンパっているのこの子。

「あのさ、俺ってやっぱり迷惑じゃねッスか?」

わたわたとテンパっていた林野さんは一転として、きょとんとした顔になった。

「さっきから、人の目すげーし。ほら、よく一緒にいる友達と食いたいとかないんスか?」

人を気遣っている俺なんて、なかなかレアなケースだろう。デリカシーがないとか、空気読めないとか、よく言われるし、自覚済みだ。

だから、怖い。

俺の一言で、行動で、林野さんが傷ついていたりしていないか。

大切な仲間や友達だって、傷つけたくないけど。林野さんは、なんか、特に優しくしていたい。

よく、わかんないけど。なんとなく。


「目?…うわ、確かにみんな見てる…。は…っ!もしやこのカツサンドを狙って…!?」

「いや違うと思うッス」

「そっかー!よかったー!あ、よっちゃんのことなら大丈夫!よっちゃんは他の子と食堂行くからー。私は教室でごはん食べるほうが好きだから、いつも一人でここで食べてんの」

女子らしくない、さばさばとした付き合い方だな。林野さんらしいけど。

っていうか、いつも、一人で食べているんだ。

…じゃあ。

「んじゃ、」

「一人っつっても、食べてたら佐藤とか吉野とかが寄ってきてからあげとか盗ってくんだけどねー。ったくマジであいつらはー!」

ぱくぱく、もぐもぐ。林野さんはカツサンドを頬張りながら少し怒る。

…。

「佐藤とか吉野って人って、男子ッスか?」

「そうだよ。よくわかったね!」

…嫌な予感的中。

モテているのかもしれない、じゃない。

これは、モテている。

そしてこの目の前でばくばくカツサンドを食っているこの子は、そのことに気付いていない。

体のどこからか、焦燥感、苛立ちが湧いてくる。

なんか、ヤダ。


「もうすぐ、文化祭ッスね」

「そうだねー!私のクラスは焼きそばを作るんだ!私焼きそば作るの得意だから、黄瀬くんも食べに来てよ!黄瀬くんのところは?」

「俺のクラスは縁日みたいな感じッス。スーパーボールすくいとか」

「おお!たっのしそー!黄瀬くんのところにも行くね!」

「一緒に回んないッスか」

さらっと、なんでもないことのように言えただろうか。

オニオングラタンスープの時は、少しだけ不自然だった気がする。力が入ってしまった。

だって、しょうがないだろ。女の子に誘われることはたくさんあっても、誘うことは殆どなかったんスから。

それに、相手がこの子、なのだから。

自然な流れに見せるために、なんてことないんスよ、とでも言いたげに、俺はがぶりとパンに噛みついて、林野さんの返答を待った。

そして。

「まっ、まわる!!」

すぐに、返事が返してくれるんだ。この子は。

嬉しそうな声で。嬉しそうな顔で。

「黄瀬くんと、う、うっわァ〜!うっわァ〜!!」

「大げさッスよ、林野さん」

ははっと笑うと、林野さんは「だって!」と声を上げる。

「黄瀬くんと回れるって、すっげー嬉しいもん!!」


この子が俺に向ける“好き”は、

敬愛で、尊敬で。ガキがヒーローに向けるような感情で。

俺がどんなにみっともないことをしても、決して幻滅せずに、その感情を持ってくれていたことが、たまらなく嬉しいけど。

もうちょっとさ。

他の感情、向けてくれてもいいんじゃねえの?


なんてことは死んでも言えないから。


「林野さんのヤキソバ楽しみにしてるッスね」

代わりに、なんてことない言葉を置いといた。





素敵なことがいえない





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