13、三つ数えて
青い空、白い雲、きらきら輝く太陽。

…いや、きらきらなんてそんな生易しいものではない。

これはもはや“ぎらぎら”だ。

「あちー…」

頭皮から噴出した汗が頬の輪郭を伝って、ぽつりと落ちて、地面に染みを作った。



敗けたからと言って練習がなくなるわけではない。それどころか練習はさらに激しくなった。その中でもここ最近は特に忙しい。何故ならば。

『合宿があるんスか』

『おう、毎年恒例のな。…お前、大丈夫か?』

『? 何がッスか?』

『合宿来られんのかよ。ほら、モデルの仕事とかあんだろ』

皮肉でもなんでもなく、笠松先輩は素直に俺の仕事を気遣って、純粋にそう問いかけてきたようだった。ぶっきらぼうでがさつだがどこか暖かみのある物言いに、入学当初あんな失礼な言い方をしたのに、それでも俺の仕事のことを気遣えるのか、とぽかんとした後、ふっと笑ってしまった。そしたら気色悪い!とシバかれた。暴力反対。

と言う訳で。海常は今とある山奥に合宿に来ている。
モデルの仕事も大切だ、大事だ、でも今は正直優先順位がモデルの仕事よりもバスケの方が高かった。青峰っちとの壁はまだまだでかかった。あの人がまだ全力を出していないことはわかった。何故かって?そんなの、俺があの人に憧れていたからだ。憧れていたから、まだまだ差があることを痛感した。…と、いうのは若干、嘘だ。俺はまだ青峰っちへの憧れをどこかで捨てきれないでいる。勝つ気がないという訳ではない。むしろその逆で、勝つ気しかない。今度対戦する時は本当に超えてみせる。勝ってみせる。絶対に。…でも、かっけえな、と心が震えるのは、どうしようもなかった。あの人のバスケは他の誰のバスケよりも、俺にとって、かっこよくて、心の底から、魅了させられてしまった。


…あの子にとって俺も、そうなのだろうか。そういうことなのだろうか。

この前やっと“弱さ”を見せてくれたあの女の子。

嬉しかった。どんな時も笑顔で、元気だから、絶対に弱い涙は見せなかったから。

いつも俺を励まして、俺も気づかなかった俺が欲しい言葉をくれて、かっこ悪いところを見せても、俺のことをかっこいいと言ってくれて。

小さくて、ショートボブで、ヒマワリみたいな笑顔をする女の子にとっても、俺はそう見えているのだろうか。

「黄瀬く〜ん?何ボサッとしてるのかな〜?」

がしっと右肩に重みを感じた。視線を走らせると、森山先輩が俺の肩に右腕を乗せていた。森山先輩は笑顔を浮かべながら、ポカリをゆらゆら震わせて俺に見せつけた。

「黄瀬くん、俺は今苛々してるんだよ。さっきな?可愛い女バスの子にな?声をかけられたんだよ?そしたら黄瀬くんにこれどうぞってさ。健気だね〜休憩の合間を縫ってきてくれたんだろうなァ〜…なんでお前ばっかモテんだ黄瀬ーッッ!!」

不穏な空気をかもしながらも途中まで穏やかだった森山先輩は突然咆哮し、俺にヘッドロックをかましてきた。

「いだいいだいだい!いだいッス森山先輩!ギブギブ!」

「うるさいッ!俺の心の方が痛いッ!!」

「てめーら何遊んでんだシバくぞ!!」

だからシバくぞと言いながらシバかないでください笠松先輩ッ!!

どう考えても俺は悪くないのに、俺まで尻を蹴られた。暴力反対、暴力反対。

森山先輩は尻を摩りながら、いいよな黄瀬は…。俺も女の子からポカリもらいたい…とぶつぶつと呟いている。そんな森山先輩に、俺はいくつか気になる点があった。

「森山先輩、あの」

「ん?なんだよォ、モテモテの黄瀬くん?」

「ポカリ持ってきてくれた子ってどんな子ッスか?」

『可愛い女バスの子』という言葉が、俺の中で引っかかっていた。

もしかしたら、と鼓動が早くなる。平静を装って、恨めし気な眼差しで俺を見ている森山先輩に問いかけた。

「髪をポニーテールにしてる、すらっとした女の子だったぞ」

こんくらい身長の。と、付け足して、森山先輩は自分の肩くらいの位置で手を水平にさせた。それを見て、先ほどまで早かった鼓動が急激に落ち着く。

あー…、なんだ。

「そッスか…」

「なんだ、その反応。俺なら誰からでも、もらえたら嬉しいぞ。お前って奴はな、いくらモテるからってな、なんだその反応は。失礼だろうがあのかわい子ちゃんに」

「かわい子ちゃんって先輩古くないッスか?」

がっくりと肩を落としてテンションが低い俺を見て、森山先輩が何やら言いかけた。

「もしかしてお前、気になる子とか、」

が。それは途中からとてつもなくでかい声に遮られて。

「おいテメーらいつまで無駄口叩いてんだ!!」

つまり、笠松先輩の怒声によって遮られて、森山先輩が何を言っているのか聞こえなかった。


男バスと女バスは同じ場所に合宿に来ているけど、ほとんど男バスと女バスが交流することはなかった。いや、交流させないという表現が正しい。男バスと女バスは違う民宿に泊まっているし、敷地は同じだが、違う体育館で練習をしている。時折女バスの子を見かけるけど、それは俺が会いたいと思っている子じゃなくて、違うとわかる度にがっかりする。
会おうと思えば会いに行けるけど、理由がない。

笠松先輩に叱られて、罰として森山先輩と一緒に外周に行かされる羽目になった。チクショーと思いながら、空を見上げる。空は青く澄みきっていて高かった。ここに来てもう三日か。

会いてーな…。

ぽつりと空に向かって、心の中でそう言った。









「あっち、あっちーッッ!」

「水…水…ッ!」

ぜえぜえと肩で息をしながら、汗だくになった俺と森山先輩はただひたすら水を求めた。

「これに懲りたらもう二度と遊ぶんじゃねーぞ、お前ら」

笠松先輩がドスを効かせながら俺たちにポカリを渡す。森山先輩が「だって黄瀬が…」と文句を垂れている。先輩。俺、本気で何もしてなくないッスか。

水をぐびぐび飲んで、ハァっと息をつくと。

「危ないーッッ!」

という絶叫が聞こえてきて。え、と思ったその時にはもう遅かった。

ドゴッとバスケットボールが俺の頭に直撃して。

「き、黄瀬ーッ!?」

笠松先輩の叫び声を最後に、俺は意識を閉じた。

ああ…もう…。

緑間っちが『今日の双子座の運勢は最悪なのだよ』と変なラッキーアイテムを掲げながら言っているような気がした。












光が眩しい。

うっすらと目を開けると、見慣れたげじげじ眉毛がそこにあった。

「き、黄瀬ーッ!生きていた!よかったああああ!!」

はっきり開眼すると、さらに見えた。見慣れたげじげじ眉毛の持ち主、早川先輩が早口で大声で喚いていた。泣きじゃくった顔がものすごく至近距離にあった。目が覚めたら野郎の顔がすぐそこにあった。これはなんていう罰ゲームっすかね?いや、心配してくれていたのは嬉しいんすけどね?そこはさァ、こう、もっとさァ…!

俺は医務室に運ばれ、一時間くらい寝ていたそうだ。気絶でもあるが、半分は疲れからでもあるということ。要するに単純に言うと、俺は途中からすやすやと寝ていたらしい。そう医務室のおばちゃんに言われたのに、俺にボールをぶつけた早川先輩は罪の意識で練習に身が入らず、俺をずっと看ていたらしい。ヒロインッスか、早川先輩。

上体を起こして、早川先輩の話を聞いた。早川先輩の話によると。早川先輩はリバウンドの練習を意気揚々と始めようとしたところ、超特大の蜘蛛が張り付いていて、驚きのあまり投げ捨てたらしい。そしてその投げ捨てた先に俺がいたということで。

「蜘蛛っすか…それはまあ、わからなくもないッス…」

「黄瀬…っ、あいがとう…!」

俺も虫、特にミミズは嫌いなのでその気持ちはすごくわかった。ラ行が言えない早川先輩に、被害者なのに俺は同情すら沸いた。

がらっとドアが開かれ、現れたのは笠松先輩と小堀先輩だった。笠松先輩に「おう、大丈夫か、黄瀬」と訊かれる。

「あ、はい。もう大丈夫ッス」

「あまり無理するなよ。疲れもあるらしいからな」

小堀先輩が穏やかな笑顔、優しい声色で言う。…小堀先輩は間違いなくこっそりモテるな。どっかの先輩と違って。

「お前が倒れたこと女バスにまで広がってな。無理な練習させたんじゃないですか!?何人か監督にキレて食って掛かっていたが、山口(女バスのキャプテン)に一喝されて蜘蛛の子が逃げるみたいに去って行ってな。マジでお前モテるな〜。俺が倒れたってそうはならないぞ?」

穏やかに笑いながら、俺が寝ていた間に起こっていた事実を述べる小堀先輩に俺は苦笑を返すことしかできなかった。

「でも、山口が登場するまで、黄瀬くんは大丈夫なんですかー!?って大勢の女子に訊かれてなァ、笠松が、」

「おい小堀!余計なこと言うんじゃねえ!」

笠松先輩が顔を真っ赤にして小堀先輩に怒鳴る。大方女子に囲まれてかちんこちんに固まったのだろう。手に取るようにわかるッスわ…と思ったのが伝わったのか笠松先輩に無言で殴られた。

「あ、そうだ」

「いってェ!病人なんスから優しくしてくださいよ先輩!」「うっせえ!っつーかお前病人っていうより寝てたんだろ!気持ちよさそうに寝てたっておばちゃんが言ってたんだよッ!」と、俺と笠松先輩がぎゃあぎゃあ喚いているのを、いや〜今日も元気だな〜といつも通りどこかずれた調子でぽややんと穏やかな笑顔で眺めていた小堀先輩が、思い出したとでも言うように声を上げた。

「黄瀬、手を出してくれないか」

「? うっす」

俺は小堀先輩に言われるがままに手を出した。すると、ぽんっと半分ほどなくなったハイチュウを一本手に置かれた。

前から少し天然ボケだとは思っていたが、ここまで天然ボケな行動をされたのは初めてで、頭の上に大量のハテナが浮かんだ。何がしたいのかさっぱりわからない。

「それ、お前にってさ。頑張れって」

「はァ…。ども」

ぺこりと小堀先輩に小さく頭を下げる。

女バスの子からの見舞いだろうけど…見舞いにハイチュウ?しかも食べかけ?それを選ぶ、その子のセンスの無さにびっくりッスわ…。

「丁寧に自己紹介してくれた元気な子からだったな、えっと名前なんだっけ笠松」

「知らん俺に訊くな。俺に女子のことを訊くな」

「あはは、ごめんごめん。名前は忘れてしまったんだけど、早川に負けないくらい元気な子で、小さかったな、俺の腰ぐらいまでしかなかったかな」


…え。

元気な子。小さい。

見舞いにハイチュウ、しかも食べかけというセンスの無さ。

そんな変な子、あの子しかいない。


ハイチュウが置かれた手のひらが、途端に熱くなり始めた。もうひとつの手のひらで、口元を覆い、目を伏せた。


「…黄瀬?」

「黄瀬!?どーした!?吐き気か!?腹痛か!?頭痛か!?」

「早川うっせー!!お前少しは黙れ!!」


俺の様子が突然変わったことで、先輩達が不審に思って俺にかけた声や、騒ぎながらも心配をしてくれる声は耳から耳へ通り抜けた。

『黄瀬くーん!』

気付けばいつもそこにあった、でも、今はここにない俺を元気に呼ぶ声が、脳裏に浮かんで。


「…双子座の運勢いいじゃん、緑間っち…」


誰にも聞こえないように、口の中でこっそり呟いた。





三つ数えて振り向いて

きみがいたらいいのに



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