12、あなたが
試合の終わりと告げるブザー音が無情に鳴り響く。78対69。69が海常の得点で、そう、海常は敗けた。私が、第一クォーターであんなに点を相手に取られたからと思った直後、キャプテンに「思い上がんなよ」と額を小突かれた。

「一年が序盤でやらかしたことを残りのクォーターで巻き返せなかったうちらに原因がある。後輩の失敗を埋めんのが先輩の役目。あんたに責任がないとは言わないけど」

悔しくて悔しくて仕方ないだろうに。キャプテンはそんな感じを微塵も見せず、私に真っ直ぐ視線を向けて強い口調できっぱりと言い切る。

ああ、もう。かっこいいなァ。

「はい…」

下唇を噛んで、そうつぶやくのに精一杯だった。

それに比べて、私はなんて情けないのだろうか。













「あー、疲れたー」

「焼肉食べに行かない?」

「いこいこー!」

チームメイトたちは明るい口調で会話をしているが、泣きはらした目を見れば、さっきまで泣いていたということが一目瞭然だ。私は、泣けなかった。泣いたらいけないと思った。泣いていいほど、悔しがっていいほど、チームに貢献した訳ではないのだから、私は。

それに、私には泣いている時間など与えられてない。

もっと、強くならなきゃ。頑張らなきゃ。私には身長がどうしても足らない。運動神経がいい?平均よりは確かにいいかもしれないけど、私程度のごろごろいる。バスケセンス?そんなの死にもの狂いで身に着けたんだ。私に天性のバスケセンスはない。後付だ。私がみんなについていくためには努力しかない。ちんたら止まっている暇はない。

「先輩、」

すみません、用事あるので焼肉パスします。そう続けるはずだった。でも言えなかった。顔を上げたら、視界に、黄瀬くんがいた。

今、一番会いたくない人物。

「…っ、さ、さよならーッ!!おつかれっしたーッ!!」

「え!?林野!?」

私はくるりとUターンをして、脱兎のごとく駆け出す。

いやだ、いやだ、会いたくない。

幻滅されたくない。

「ちょ…っ、林野さん!!」

え。

後ろを振り向くと、黄瀬くんが私の後ろにいて、私を追いかけていた。

な…っ、なんで、

「なんで!?」

「あんたが逃げるからッスよ!」

「逃げてないよ!!これはランニングだよ!!」

「人の顔見るなりUターンして何がランニングッスか!!」

走りながら、ぎゃあぎゃあ押し問答をする。

冷静に考えなくたってわかることだった。私の方が黄瀬くんより足が速いなんてことあるはずがないなんてことわかっていたけど、逃げ出す足はとまらなくて。そして私はとうとう人気のない体育館裏で捕まった。

黄瀬くんの大きな手が私の右腕を掴んだ。見上げると、少し息切れをしている黄瀬くんがいた。整えられた髪の毛がわずかに乱れている。私はというと、見えてないがその正反対だろう。ボサボサの髪の毛に荒い呼吸。同じ距離を走ったのにこの差だ。キセキの世代と比べてどうすんのって人から言われるかもしれないけれど。今はたまらなく嫌だった、黄瀬くんとの“差”を見せつけられるのは。

自分が情けなくて、かっこ悪くて、本当に、もう。

「試合、観に来てくれてたんだね。ありがとう」

呼吸を落ち着かせてから、お礼を述べた。黄瀬くんは何も言わない。私の腕を掴んだまま、私を見下ろしている。

「マジで、ごめんね!せっかく来てくれたのに、あーんなだっさいもの見るはめになって!!黄瀬くんに無理言ってバスケ教えてもらったのに、あれだよあれ!マジでもうダッサイよね!頭に血昇っていいとこなしで駄々こねて先輩に叱られて!!下手くそ以前の問題だよね!クソだよね!!」

テンションを無理やり上げて、つとめて明るい口調で事実を並べる。

怖くて黄瀬くんの顔がうまく見られない。

怖い怖い怖い怖い怖い。

私はいつからこんな女々しくなったのだろう。いつからこんなにも、人に嫌われたくないと思うようになったんだろう。

本当に、いつから?

「これからさ、自主練しようと思って、あっ、でも黄瀬くんに付き合えなんて言わないよ!っていうか今までありがとう!!嬉しかったよ、本当に!!」

「…は?」

黄瀬くんの声が低くなった。黄瀬くんの顔をちゃんと見ると、眉間に皺が寄っている。私は黄瀬くんが更に不快になるようなことを言ったのだろうか。と、心臓がざわつき、びくんと体が震える。

「今までってどういうことッスか」

「え、えっと、今まで私にバスケ付き合ってくれてありがとうってことで」

「これからは付き合うなってことなんスか?」

黄瀬くんの私の右腕を掴む手に力が入る。

「だって、今日の私のバスケを観て、黄瀬くん、幻滅した、よね?」

恐怖心を誤魔化すようにして薄ら笑いを浮かべてそう問いかけると、黄瀬くんが小さく何かを呟いた。

「…ったッスか」

「え?」

「俺がいつ、林野さんに幻滅したなんて言ったッスか」

ぎゅう、と私の右腕に込められた手のひらから力を感じる。

だって、あんなの。あんなのを見て、黄瀬くんが幻滅しない訳がない。黄瀬くんは自分が認めた人以外にはひどく冷淡だ。伊達に黄瀬くんのファンをやってきた訳じゃない。そういうところが彼にはあるということを、私は知っている。

仲間には年相応の男の子らしく、優しいけど、それ以外には無関心。

今日の私を見て『なーんだ、つっまんねえの。あんな子とバスケするなんて時間の無駄ッスわ』そう思うのが、黄瀬くんじゃないの?

私は信じられないという顔をしているのだろう。黄瀬くんがハァっとため息をしてから、口を開く。

「…確かに、林野さんの今日のバスケはカッコいいなんてお世辞にも言えなかったッスよ。落ち着いてやればいけたところだってあったのに、頭に血が昇っていたのか知らないッスけど、らしくないミス連発してた。いつもとは違う悪い意味でダサかった。かっこ悪かったッス」

容赦ない事実を黄瀬くんが突き付けてくる。ぎゅうっと心臓が押しつぶされそうになる。

「でも、だからって、幻滅なんか、嫌いになんかならないッスよ」

“嫌いになんかならないッスよ”

金髪の、前髪から覗く綺麗な二つの瞳が、真剣な瞳が、私に向けられている。

「…林野さん、俺が荒れていた時、サイッテーなことしていたの知っているッスよね?バスケを、真剣にやっている相手に、…サイッテーなことを、した。それでも、俺を嫌わないでくれなかったのって、なんでッスか?」

心なしか黄瀬くんの声色が、少し柔らかいものになった。

「…瀬くんが、黄瀬くんが、」

涙声になって、うまく言葉を声に乗せることが難しい。

「うん」

相槌を打つ声が優しい。

「黄瀬くんのバスケが、もう好きだった。すっげー、好きだった。ひどいことをしていても、相手にどんだけ失礼なことをやってても、嫌いになんかなれなかった」

「うん」

「だって、サイッテーなことしていても、黄瀬くんが今まで積み上げてきたバスケや、私に勇気をくれた言葉は消えなかったし、」

「うん」

「それよりも、ただ心配だった。悲しかった。もう一度、笑って、楽しそうにバスケをしてくれたらいいのに、って。何もできない自分が嫌で、仕方なくて、」

視界がぼやけてくる。黄瀬くんの顔が滲んでよく見えない。

黄瀬くんの手がするりと右腕から離れた。そのまま、その手は私の頭に移動した。

ぎこちなく触れて、優しく私の頭を撫でてくれる。

だいたいそんな感じッスよ、と黄瀬くんが優しい声で言う。

「林野さんのバスケはがむしゃらで無鉄砲で、ダサくて。…そこがいいって前も言ったっしょ。嫌になるわけなんかないッス。ちょっとやそっとの失敗や失態で嫌いになんかならないッス。俺だって、林野さんのバスケ、好きなんスから」

照れ臭そうにぶっきら棒に言う黄瀬くんを見て。

あ。やばい。と思った。

私は拳を作って、バキィっと自分の頬を殴った。

「え!?ちょっ!?あんた何しているんスか!?」

「泣きそうなんだよ!!」

「は!?」

「私今なんか、すっげー泣きそうで!!でも泣きたくないんだよ!!泣いている時間もったいないし!これ以上私黄瀬くんにかっこわるいとこ、むぐっ!?」

黄瀬くんが私の両頬をむぎゅーっと柔らかく左右に引っ張って、屈んで目線を合わせる。とてもじとっとした目つきが、すぐそばにある。

「なに今更かっこつけようとしているんスか。もう遅いんスよ。だいたい、ずるいッス。俺ばっか泣いた姿見られていて。俺なんか自分に憧れている子の前で泣きまくって、マジではずくて仕方ないんスからね」

時間だってまだまだたくさんある。…だから、掠れた声で呟くと、黄瀬くんはこつんと私の額に額をつけた。前髪と前髪が触れる。髪の毛には感覚がないって理科の先生は教えてくれた。先生、それ嘘なんじゃないですか。だって今、ものすごくくすぐったくて、変な感覚がする。

「…だから、もっとかっこ悪くなっちゃえばいいんスよ。泣いちゃえ」

優しい声でそんなこと言わないで。優しい瞳を私に向けないで。

そんなことをされたら、私。

その一言がトリガーとなって、私の涙腺は崩壊した。

「…っ、うわあああああああああああ」

黄瀬くんのシャツに手をしがみつかせて、子供のように大きく泣いた。

「くやっ、ぐやしいよ〜!」」

「なんで私は背が低いんだよォ〜!」

「私がもうちょっどづよがっだらァ〜!」

黄瀬くんにぶつけでもどうしようもない、しかも聞き取りづらい不満を、黄瀬くんはひとつひとつ取りこぼさないで、うんうんと頷いて、

「一緒に、頑張ろ」

と。そう言ってくれた。


自惚れていいかな。

男バスの人たちや、キセキに近いところに私もいるって思っても、いいのかな。

そう思った。

この時の私はまだ気付いていない。

『そうだったらいいのに』という自分がいることに。





あなたが見つけてくれたから



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