10、きみの目玉に
『黄瀬くん、明日暇?』

「暇ッスけど?」

『よし!んじゃ明日さ、遊ばない!?』


林野さんはいつだって、何もかもが“唐突”だ。


「黄瀬くーん!」

このばかでかい声。俺は声がした方向へ足を進めた。人ごみをかき分けていくと、林野さんがぶんぶんと大きく手を振っていた。

林野さんは自分の目元を指しながら「あれ、黄瀬くんって目が悪かったの?」と首を傾げる。

「伊達ッス。一応モデルやっているんで、女の子と一緒に歩いているところ見つかったらめんどいんで」

「へ〜。大変だねェ」

林野さんはへええ、と頷いたあと、ニカッと笑い、俺の腕を引っ張った。

「んじゃ、行こう!!」

「え、どこに?」

「そーれーは、着いてからのお楽しみ!!」

林野さんはニシシと笑うと、何がなんだかわからない俺に構わず、俺の腕をぐいぐい引っ張りながら、跳ねるようにして歩いて行った。

…って。

「カラオケッスか…」

ものすごく大層なところを連れていくみたいな口振りだったのに、カラオケって…。まあ、林野さんらしいっちゃあ、らしいんスけどね。

「あれ、もしかして…カラオケ嫌い!?黄瀬くんはカラオケ好きってメンズなんたらって雑誌に載っているってよっちゃんから聞いたんだけど、あれ、違った!?」

ムンクのように顔を引きつらせる林野さん。

「き、嫌いじゃないッスよ。好き」

「そっかァ!よかった〜!」

かと、思ったら、今度はヒマワリみたいな笑顔を咲かせて。

調子を狂わされっぱなしだ、この子には。

海常は一昨日、桐皇に負けた。三日間だけ休みをもらい、明日からはまた特訓だ。そのことを小耳に挟んだ林野さんは、俺に元気づけようとこうして遊びに誘ったのだろう。…それにしても。

なんで林野さんは、青峰っちじゃなくて、俺を尊敬しているのだろうか。あの試合は林野さんも観ていた。あの試合の帰り、林野さんの後ろ姿を見た。けれど。俺は。声をかけられなかった。

尊敬していると、俺のバスケが好きだと、言ってくれた子の前で完膚なきまでに俺は負かされた。そのことが、ただ恥ずかしくて、幻滅されたんじゃないかと怖くなった。あの電話も、恐る恐る出たら、まさかの『明日さ、遊ばない!?』。…、まあ、林野さんらしいっちゃあ、らしいんスけどパート2.

それにしても、マジで。なんで俺なんだろうな。






「どーもー!以上、DT捨てる、でしたー!」

いえっふー!!とソファーの上に立ち上がり、女の子が男の前で歌わない歌ランキング一位になっていてもおかしくない曲を歌い上げた林野さんに、俺はハハハと乾いた笑いを漏らしていた。

「黄瀬くんは次何歌う?」

「あ、ごめん、まだ入れてなかったッス」

「いいよいいよー悩もう悩もう!まだ時間はたっぷりあるし!」

林野さんは軽やかな笑い声を、明るい笑顔を俺に向ける。その笑顔を見て。とうとう俺はこらえきれずに訊いてしまった。

「なんで俺を尊敬してんの?」

林野さんは言われた意味がわからない、とでも言うように目をぱちぱちと瞬きさせた。

「林野さんはキセキのファンっつってったッスよね?なのに、なんで俺?一番下っ端じゃんか」

ずっと前から思っていた。最初、俺が林野さんを疑った理由。それはキセキの世代を尊敬している、というのはまだわかる。しかし、その中で俺を選ぶ理由がどうしてもわからなかった。俺はキセキの中で一番ひよっこでバスケ経験も浅い。こんなの笠松先輩の前で言ったらまたシバかれそうだが、顔で選ばれたのならわかる。けど、恐ろしいほど色恋に無頓着な林野さんだ、それはまずないだろう。

なんで、俺?

その疑問だけが、心の中にいつまでもあった。

林野さんはじいっと俺を見る。大きな丸い瞳が俺を捕える。…この子はいつもそうだ。人を真っ直ぐに見て、話す。どんな時も決して目を逸らさない。それが少し苦手で、俺は目線をずらすのだが、今日は俺もずらさなかった。まっすぐに、視線を返す。

俺の視線を受け止めて、林野さんはいつものように、ヒマワリみたいな笑顔を咲かせて、

「黄瀬くんは、私の救世主なのさ」

いつものように、そんな突拍子もないことを、口にした。


「うちの中学は最初からチームができていたんだ。二つの小学校の卒業生でうちの中学は成り立っているんだけど、私の通っていた小学校じゃない方の小学校にはミニバスチームがあってね、すっごく強くてさ。だから、うちの中学のバスケ部はほとんどそのミニバスチームの子達なんだ。でも、私小学生の時からバスケに憧れていたし、やりたかったし、運動神経には自信があったから、なんとかなるっしょ!って思って入ったんだけど、なかなかその溝は埋まんなくてさ」

林野さんは、あはは、と時折軽快な笑い声を飛ばしながら、思い出話をしていく。

「朝練して遅くまで練習して、うまい人のプレイを研究しても追い付けなくて、なにをどうしても、溝はうまんなくて。んでそのまま二年になって、一年生の方が私より上手だった時は、すっげー心が折れた。…その頃かな」

ふわっと、林野さんの目元が柔らかく緩んだ。

「黄瀬くんのことを知ったのは」

「俺、ッスか?」

「うん。私はキセキのことその頃から尊敬していて、すっげーなーって、憧れるなーって思っててさ。特にその頃はね、青峰くんのプレイが、マジでツボだった。最初の最初はね、いつか青峰くんみたいになる!って思ってたんだけど、どんどんその気持ちはしぼんでってさー。その青峰くん大活躍した試合の帰りかな。青峰くんと黄瀬くんとすれ違ったんだ。…今でも覚えてるよ、『青峰っち今回もマジすごかったッスねー!あー、はやく超えてー!近い将来一軍いくんで!首洗って待っててよ!』って青峰くんに言ってた」

「…それ忘れてほしいッス…。はずい…」

そんなこと言ったことあるッスわ、確かに。青峰っちに言っとけバーカって笑われたッスわ…。

「へへ。絶賛落ち込み中かつ荒み中の私はね、そう言う黄瀬くんをね『この金髪の兄ちゃん何ほざいてんの?』って思った」

え。

いつも元気で明るくて前向きな林野さんでもそんなことを思ったことがあった、ということがにわかに信じがたくて、まじまじと林野さんを凝視する。

「ベンチ入りだってしてないじゃん。なんでそんなこと言えんの、って。一軍入りしたって、キセキの世代…そのころはまだそう呼ばれてなかったか。帝光中はみんな強いんだから、無理無理って思っていて、灰崎くんに負けたって聞いた時はほらやっぱり!って思った」

「えっ、ちょっ、それなんで知って、」

「黄瀬くん、ぐんぐん力伸ばしていて有名だったし、灰崎くんは当時の帝光のスタメンだったからね、あっという間に広がってったよ!私は友達から教えてもらったんだけどね」

にこにこと話す林野さん。すげえ…俺らってそんな注目されてたんだ…。驚きで口がふさがらねえ…。

「そしたらある日びっくり。黄瀬くんが、スタメンに抜擢されてて、は!?ってなった。意味わかんないまま試合観て、黄瀬くんのプレイはまた進化してて。こてんぱんにやられたんじゃないの?どういうこと?意味わかんなくて、意味わかんなくて、黄瀬くんのプレイをずっと観ていた。…それからちょっとしてから、かなあ。帝光スタメンのインタビューが載っている雑誌を買ってね、そこで、私は、黄瀬くんに、ぶん殴られました!」

林野さんは平手にした左手に丸めた拳をぶつけた。パアンと小気味よい音が室内に響く。

「『バスケ歴短いからとかモデルやっているからとかそんなの言い訳にしたくないんス。ダサすぎっしょ。今はまだ下っ端ッス。みんな、俺から遠い位置にいる。けど、いつか絶対、追い越してみせる。あとから入ったから無理だとか言われたってそんなの知らないッス。追い付けなくて、落ち込んでいる暇があるなら、練習あるのみ!』…何回も読んだから、覚えちゃったよ!」

林野さんは得意げに胸を張った。

「それまで私は、みんなが私より上手なのは、私より長い間やっているからだ、しょうがないって言い訳を負けず嫌いだからずーっとしてて、目が覚めたんだ、黄瀬くんの一言で。それから、もうお黄瀬くんのこと、かっけーなァって思うようになったんだ!マジで有言実行したんだ、すっげー!って、もう黄瀬くんマジかっけー、すごい、すごいって!!プレイも相手を観察してあっという間に自分の物にするってのもね、単純に、すごく私のツボのスタイルだった!だってフツーそんなんできなくない!?なのに黄瀬くんはさらっとやってのけて…!」

林野さんはきらきらとヒーローを見る子供のような眼差しを俺に向けて話してくる。が、次の瞬間、ひまわりのような笑顔は萎んだ。

「けど、黄瀬くんはいつからかバスケがあんま楽しくなさそうだった。すっげー上手になっていたけど、楽しくなさそうで、…悔しかった。黄瀬くんは私のバスケを救ってくれたのに、なんにもできないのかって。いまだって、いつも迷惑かけてばっかだし、今日も遊び誘ってみたけど…って、えっ!?き、黄瀬くん!?」

頬が冷たい。ああ、俺、マジで泣きすぎだろ。男のくせに。

林野さんは「黄瀬くんどした!?なに、目にゴミが入った!?」と、慌てふためきながら、とんちんかんなことを言っている。

一昨日流した涙は、悔し涙だ。でも、今流している涙は、多分、わかんねーけど、うれし涙ってやつ、のはず。だって、今心がすげえ、満ち溢れている。泣いているのに、胸が押しつぶされそうな感じじゃなくて、暖かさに満ち溢れている。

別に今まで、誰かに認められたくて、誰かに好かれるようなバスケをしたくて、バスケをやってきた訳じゃない。けど、昨日、勝ちたいと心底思えるチームを勝たせる力が俺のバスケにはまだなくて、笠松先輩、森山先輩、小堀先輩、早川先輩に言ったら『メソメソすんな!お前は必要だって言ってんだろーが!』って怒鳴られそうだけど(おもに笠松先輩に)、俺は、俺のバスケってなんなんだろうな、と、うっすらと、ぼんやりと、昨日から少し思っていた。

そんなこと考えていたら、林野さんは、ずるい。

このタイミングで、俺のバスケでいかに自分が救われたかを、嬉しそうに話すんだから。

「黄瀬くーん!?大丈夫!?超号泣してんじゃん!超でかいゴミじゃん!」

突拍子もないことをいつもやらかして、俺を引っ掻き回して、馬鹿が付くほど直球で、訳のわかんねェ目の前の女の子は、俺よりもずっと、俺のバスケを大切にしてくれていた。

最初はなんでもよかった。俺が超えるべき相手がやっていたスポーツがバスケだったからバスケを選んだだけ。

バスケで“努力”の楽しみを知った。

バスケで仲間ができた。

バスケで別れを知った。

バスケで海常のみんなを知った。

バスケで信じることを知った。

バスケで、へんてこりんな女の子に出会えることができた。


「黄瀬くーん!?さっきから応答がないんだけど!?もしもーし!!」



きみの目玉に酸化水素水




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