9、きみってば
「黄瀬くん、黄瀬くん!」

「…え、何スか」

「アイス溶けてる!!」

「あ、うおっ!!」

指にねっとりからみつくように溶けたアイスの液体を見て、ぎょっと目を見張る黄瀬くん。


「ちょっ!うわ、どうしよ!これへたに動いたら崩壊して…!」と黄瀬くんがあわてふためいていると、核が溶けきって、棒から外れたアイスが黄瀬くんの膝に着地した。

あ゛ー!!

みるみるうちにズボンに広がる染みを見て、黄瀬くんは悲痛な叫び声をあげた。

う、うわー!!こりゃ大変!!と私もあたふたしていると、名案が浮かび、頭上で電球がぴかりと輝いた。

鞄を開け、タオルを引っ掴んで、笑顔で黄瀬くんに差し出す。

「黄瀬くん!タオルつかって!!」

「…いい」

私のグシャグシャに丸められた部活用のタオル(使用済み)を見て、げんなりとした表情をさらにげんなりとさせ、鞄から自分のタオルを取り出し、ズボンの染みをゴシゴシと拭いていく。

た、確かに汗かいているけど使えないことはないのに…!あっ、でもヤバイ。これ超臭い。我ながら臭い。鼻もげる。

自分のタオルからにおう汗臭さに辟易して、タオルを乱暴に戻す。おおっと、また雑にしてしまった。…まあ、いっか。

ガサツな私はタオルをぐしゃぐしゃのまま鞄に放置する。

黄瀬くんに視線をずらすと、黄瀬くんは、やっぱり、ぼうっとしていた。

ゴシゴシとズボンを拭いていく手が機械的だ。

黄色い二つの瞳は、ぼうっと揺らいでいる。

黄瀬くんがこうなったのは、あの日からだ。

「誠凛と桐皇の試合、私も観たよ」

黄瀬くんの手の動きがとまった。

「…林野さんも観てたんだね」

タオルを鞄に直しながら、私と目を合わさないで、抑揚のない口調で、黄瀬くんはそう言う。

「うん。私キセキの世代の大ファンだから、あの人たちの試合は全部観に行っているんだ。
…黒子テツヤくんの試合も」

男バスとの試合の時は思い出せなかった。

私は幻のシックスマン、黒子テツヤくんの存在を誠凛対桐皇戦まで、私はきちんと思い出せていなかった。

どっかであのプレイを見たことがある。

なのに、どうしても思い出せない。

考えることが苦手な私は“まあ、いっか”と脳みその隅っこに置いてしまった。

けど、やっと、ようやく、誠凛対桐皇の試合で思い出せた。

青峰くんが、黒子くんのパスをスティールした瞬間、すべてのピースがつながった。

強い光といつもいっしょにいた、影の存在。

帝光中の幻のシックスマン、イコール、黒子テツヤくん。

青峰大輝くんという存在が黒子くんの横に、敵として並んだのにも関わらず、それでも黒子くんが幻のシックスマンだということにつながったのは、

私の記憶にも強く残っていたからだ。

影が薄くて、記憶に残りにくい男の子は、青峰くんという男の子との連携プレイがすごいということを。

「青峰くんと黒子くんの連携、いつもすごかったよね。私、覚えている。阿吽の呼吸ってああいうことを言うんだなあ、って思った。…ほんと、すごかった」

中学の時、よっちゃんにみっともないと叱られながらも、身を乗り出して、青峰くんと黒子くんのプレイを観ていると、黄瀬くんが唇を尖らして羨ましそうに見ているのに気付いた。パスを回してほしいと駄々をこねているようだった。

でも、黄瀬くんは“羨ましい”という感情以上に。

嬉しそうだった。楽しそうだった。

青峰くんと黒子くんの連携プレイを観るのが。

「あの二人のプレイが、すっげえ、好きだったんス」

ぽつり。

俯きながら、黄瀬くんはそう言った。


うん。やっぱり。


「青峰っちが黒子っちのどこから来るかわかんないパスをいとも簡単に取って、黒子っちも、青峰っちが次いるコースを、まるで青峰っちの頭ん中覗き込んでいるみたいに、読めてて。すっげえなって。信頼ってこういうことを言うんだって、思ったんス」


うん。うん。

声に出さず、黄瀬くんの話に心の中で相槌を打つ。

「でも、」

そのあとに続いた言葉の声色は、重く沈んだものだった。

「青峰っちと黒子っちは、バラバラになった」

まるで、最初から、相棒じゃなかったみたいに。


「別々の高校行って、火神っちを相棒にしている黒子っちを見た時、正直腹が立ったんスよ。まるで青峰っちの存在なんかなかったみたいに、火神っちを相棒にしてて。火神っちも、ぽっと出のくせに、何黒子っちの相棒面してるんスか、って。その人の隣は、アンタじゃない。青峰っちなんだって。青峰っちと組んだ黒子っちのプレイのがもっとすげえんだって、言ってやりたかった」

全部全部、なにもかも腹立たしかった。

そして。

「…さびしかった?」

静かに言葉を落とすと、黄瀬くんの顔が持ち上げられた。横に首を動かし、私を見る。

黄瀬くんはぼんやりと私を見たあと、空を仰いだ。

「そっか」

吐息交じりの言葉は夜空に消えた。

「俺、さびしかったんスね」


仲間ができた。信頼というものを知った。輪の中にいられることの喜びを知った。

けど、その輪はいつのまにかバラバラになって、みんなどこかへ行ってしまった。

黄瀬くんを最後にのこして。



「怖いんス」

「海常のメンバーも、いつか、あんなふうにバラバラになっちゃうんじゃないかって」

「どうせ、最後には、帝光みたいに、バラバラになるんだろって、どんなに良いチームプレイをしたあとでも、そう思う自分がいて」


黄瀬くんはぎゅうっとアイスを零した部分のずぼんを握る。

私の隣にいるのは、キセキの世代の黄瀬涼太ではなく、ただの、16歳の、怖がりな男の子だった。


黄瀬くんはハハッと乾いた笑いを漏らして、私に綺麗な笑顔を向けた。

「…なーんて、冗談ッス!今の、忘れ、」

「大丈夫だよ」


言葉が、想いが、口からするりと出てきた。


「確かに、キセキの世代は、最後にはバラバラになっちゃった。けど、それまで積み上げてきたものが、全部消えちゃうわけじゃない」

ぽつりぽつりと、おぼつかない足取りのように、言葉を漏らしていく。

「いっしょに部活のあとコンビニ行ったこととか、しょうもない会話で盛り上がったこととか、地味でつまんない練習に文句言いながらも頑張ったこととか、そんな思い出が、全部全部消えてなくなっちゃうわけじゃない」

帝光中にもきっとあっただろう、という思い出をあげていく。

天才と言われる彼らだって、中学生だったのだから。

最後らへんはギスギスしてなくなった思い出も、きっと最初の頃は確かにあったはずだ。

「バラバラになったって、いっしょに過ごした思い出が嘘になるわけじゃない。嘘になるんだったら、黄瀬くんは黒子くんがケガした時、あんな心配そうな顔しなかった。青峰くんは黒子くんが負けた時、あんな辛そうな顔しなかった」

黄瀬くんは目を見開いて、私を見ている。

きっと、何言ってんのコイツ。訳わかんねえって思っているだろう。

わかっているのにとめられない。

黄瀬くん、きみは、ひとりじゃない。ということを伝えたい。

安心させたい。

「だから、大丈夫!」

私はニカッと歯を見せておおきく笑った。

「もし、バラバラになったとしても、今積み上げていってる思い出を忘れないでいたら、本当の意味でのバラバラには、ならないから」

伝わっているだろうか。

黄瀬くん、きみは、ひとりぼっちになってなんか、いないんだよ。

「でもね!海常はばらばらになったりしないと思うんだ!笠松先輩は誰かが離れていこうとしたら、ケツ蹴っ飛ばして、怒ると思うし、森山先輩は冷静に何やってんのお前って言いそうだし、早川先輩は泣きながらそんなこと言うなよォって引き留めてくれると思うし、小堀先輩は優しく諭してくれると思うんだ」

それに、いざとなったら!

私は拳をつくって、自分の薄い胸を叩いた。

「バラバラになりかけたら、私がなんとかしてみせる!!」

任せて!と、どや顔で黄瀬くんを見ると。黄瀬くんは。



はあ〜っと深いため息をついた。



…ホワイ?


てっきり感動されると思い込んでいた私は、え?と間の抜けた声を上げてしまった。


「なんとかできる訳ないっしょ、林野さんに」


え。え。え。え。


黄瀬くんは残念なものを見る眼差しを私に投げかけてくる。

「言っとくけど、すごかったんスからね。最後らへんの俺ら。もうギスギスのギスギス。あんな中、林野さんが入ったら浮くどころの話じゃないッスよ」

「ギスギスのギスギス…。うおえええ、想像しただけめんどく…」

「あ、ちょっ、今何か言いかけたッスよね」

「言いかけてない!断じてクッソめんどくせえ状況なんて思ってない!」

「自白ドーモ」

「は…っ」

慌てて口を抑える私を見て、黄瀬くんは、ぶはっと噴出した。

「林野さん、なーんも知らないくせに、適当なこと言って、マジで腹立つッスわ」

え。

「なにが『大丈夫だよ』ッスか。根拠もないくせに。よくそんな自信満々に言えるッスね」


え。え。え。軽快な口どりで黄瀬くん喋っているけど…私すっげえ批判されてね…?

呆れた顔を浮かべ、だがしかし、明るい声色で、私に痛烈な批判を浴びせてくるので、怒っているのか怒っていないのかよくわからない。

「あ、あのー、黄瀬くん、お、怒ってる…?」

「でも、」

黄瀬くんは私の言葉を無視した。

そして。

黄瀬くんの目元が柔らかく、緩んだ。


「話聞いてくれて、ありがと」


試合の時に見せる、相手を挑発するときの笑顔でもなく、

この前友達に見せられた写真集の時の澄ました笑顔でもなく、

私によく見せる、呆れたような笑顔でもなく、

海常のメンバーに囲まれている時のような、キセキの世代がまだバラバラじゃなかった頃のような、

年相応の、十六歳の男の子の笑った顔だった。

はじめて、私に、みせてくれた。


「そろそろ帰ろっか」

んー、と背伸びをしてから立ち上がり、エナメルバッグを肩にかける黄瀬くん。

首を後ろに回して「ほら、帰ろう。林野さん」と私に話しかけてくる。

けど、黄瀬くんの笑顔が頭から離れられない私は、その言葉を耳で捕えている余裕がなくて。

今世紀最大に馬鹿なことを黄瀬くんに向かって叫んだ。


「黄瀬くん!もし、もし、海常がバラバラになっちゃって、なんとかするけど!万が一、億が一、いや兆が一無理だったら…!!」





「私も男バスに入部して!!黄瀬くんといっしょに!!試合に出るからー!!」






出るからー!

出るからー!

出るからー!

馬鹿でかい声で叫んだ結果、やまびこのように“出るからー!”が辺りにとどろいたのち、

「…は?」

という黄瀬くんの小さな声が、した。

黄瀬くんは、アホを見る眼差しで、私を見ていた。





きみってばどんだけ馬鹿なんだい

馬鹿みたいな俺の話を、

馬鹿にしないできいてくれた、大馬鹿者が、

今、ここに。



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