■ 05:優しい人になりましょう

 裕介くんにはよく電話がかかってくる。自分の存在を誇示するようにケータイが喧しく鳴り立てる度に裕介くんは眉根を寄せてハァッと嘆かわしげに息を吐く。けど、決して無視を貫くことはない。渋々だけどきちんと電話に出る。
 裕介くんのそういうところを、私はとても好ましく思っていた。


「もしもし…。あーうん。食ってる食ってる。朝も昼も夜もちゃーんと食ってる」

 ケータイを耳に宛てながら、うんざりとした口調でどこか投げやり気味に答えている裕介くんを横目に私はケータイを操作していた。今は休み時間で、私は裕介くんの前の座席を陣取っている。裕介くんをからか…会話を楽しんでいると割り込むようにしてケータイが鳴ったのだ。ああ、いつものかと察した私はケータイで暇を潰していた。パンケーキ食べた、ネイルしてもらった、彼氏できた、とSNSに舞い踊る華やいだ文面を流し読みしていると「は…?」と上擦った声が上がった。

「や、何でそうなるッショ。確かに言ったけどよ、なんでお前に、…っあ〜〜!っせえな!!急にでけー声で喋んな!!わかったよ!!」

 比較的感情が波立たせない裕介くんが、苛立ったように語気を荒げた。ハァッと一際大きく息を吐いている裕介くんをまじまじと凝視していると、ちらりと目線を寄越されて視線がぶつかり合った。もうひとつ小さく溜息を吐き出してから、私にケータイを差し出してきた。差し出してきたということは私に電話を取れという意図なのだろうが、何故巻島くんがそのような意思を持ったのか汲み取れず、「なんで?」と私は最もな疑問を口にした。

「…こいつが代われってうっせーんだよ。なんか、オレのか…のじょが気になる、らしい」

 彼女、という単語を口にすることがまだ慣れないらしく奥歯に物が挟まったような歯がゆい口調だった。今まで付き合ってきた彼氏には見受けられないいじらしさに唇が緩む。「何笑ってんだ」あらら、睨まれちゃった。肩を窄めてから「りょ〜かい」と軽やかに答えてケータイを受け取る。

「もしもし」
「やあやあ!君が巻ちゃんの彼女の南条さんかね!」

 やたらハイテンションな声が鼓膜に響き、思わずケータイを耳から少し外した。何、この人。若干引きながら「そうだけど…」と気の無い返事を打つ。しかしそれでも彼の明朗快活な声はよく通って、彼の名前も経歴も一文字も聞き逃すことはなかった。

「オレは箱学に通う三年の美形クライマー、登れる上にトークも切れる巻ちゃんの永遠のライバル、東堂尽八だ!よろしく!」

 立て板に水の如くまくし立てられて私は少し放心していた。美形と言われても顔見えないからピンとこない。というかローテンションの裕介くんがこのようにハイテンションな人種と連絡取り合う仲というのは驚きだ。ちらっと裕介くんに視線を走らせると、裕介くんはそわそわと落ち着かない様子でじいっと私を見つめていた。私が彼と何を話すのか気になってしょうがないと揺れる瞳から伝わってくる。その様子が面白くて小さく笑いを零すと、裕介くんは「…!?」と顔を顰めさせた。駄目だ、面白い。いちいち笑っていては会話が進まないので私は席を立って教室を出ることにした。追いすがるように背中にいくつも視線が突き刺さって痛い。

「? なんで笑っているんだ?」
「ごめんごめん、裕介くんが可愛くて」

 ふふ、ふふ、と愕然とした表情の裕介くんを想い浮かべながら、息を零して笑っていると、怪訝そうにまた疑わしげに反復した。

「可愛い…?」
「うん。引き攣った笑顔とか、いちいち回りくどい言い方するとことか、可愛くない?」

 そう言うと、一瞬、東堂くんの声が止んだ。しかしすぐに柔らかく笑みを零す音が場を繋ぎ、和やかな空気が流れた。

「君は、巻ちゃんのことが好きなのだな」

 言葉の節々から優しさが滲んだ声に私の笑顔は凍りづいたように強張った。喉に声が張りついたため、代わりに浅く息を吐き出した。舌で唇を湿らせ、乾ききった喉を唾で潤してから「そうだよ」と、てらいもせずに笑って肯定した。

「好きだよ。面白いし可愛いし。見てて飽きない」
「南条さん」

 にやり、と口角がつり上がる音が聞こえたような気がした。

「照れているな?」

 舌を打ちたくなった。からかうような声音や全てを見透かしたような物言いに、不快感で私は眉間に皺を寄せた。なんかコイツむかつく。すっかり不機嫌モードに突入した私はすっと目を細めて「あのさあ」と、ねっとりした声色で問い掛けた。

「そういう『なんでもわかってますー』って言い方する男って、ウザいよ?」

 この皮肉は自分にも通じるということに気付きつつも、棘を含んだ言葉を投げかけてから、毒を塗り込むようにして小さく鼻で笑う。けど東堂くんは気分を害する様子を見せないどころか「言うなあ」と、水が流れるように笑った。

「そんな強気な態度を女子に取られたのは家族以外で初めてだな」
「へえ、そうなんだ。なに?珍しくて好きになりそう?」
「ワハハ、人間としては好きだぞ!」

 人間としては。その言葉に引っ掛かりを覚え、すぐにピンときた。

「彼女いるんだ」
「ああ」

 すぐさま返された言葉は弾んでいたが、初めの頃のように騒がしいというわけではない。けど、先程のように、落ち着きのある深い声というわけでもない。上から見下ろしてくる東堂くんが、私と同じ目線に立ったような、そんな気がした。

「可愛い?」
「可愛い」

 聞いているだけで胸焼けするような、蜜が滴るような甘ったるい声だった。好きでたまらないと言外に伝わってきて、胸の奥で走った痛みに気付かない振りをした。

「へえ?ほんとに?私のが可愛いと思うよ?」
「そうか。ちなみにオレと巻ちゃんだったらこの世の女子の九割がオレだと答える」

 意地の悪い私の挑発をさらりと躱し、東堂くんは少し茶目っ気を滲ませながら言葉を継いだ。

「でも君は、巻ちゃんの方がカッコいいと思うだろうな」

 どちらも声を発しない沈黙が生まれた。ぎり、と奥歯を噛んでから私は尖った声で静寂を掻き消した。

「ウザい」
「ウザくはないな!」

 ワハハ!と快活な笑い声が不快に耳朶に纏わりつく。しかめっ面の私を揶揄するように、東堂くんは言った。

「来週の日曜、巻ちゃんが大会に出る。観に行ってみればいい。巻ちゃんはカッコいいって言われ慣れてないからな。言えば絶対喜ぶぞ」
「私思ってもないことなるべく言いたくないんだけど」
「思うさ」

 静かに、だけど力強く断言する東堂くんにやはり苛立ちを覚えた私は「そう」と固い声を打つ。じゃあね、と東堂くんの返事を聞く前に電源を切った。何もかもを見抜くような言葉が脳にこびり付いて鬱陶しくて仕方ない。『嫌い』なタイプの男はそこそこいるけど、『苦手』と思った男は初めてだ。一枚も二枚も上手のような、掌の上で操られているような感覚。

 ふつふつと沸きあがる苛立ちを持て余しながら教室に戻ると、入口で裕介くんと鉢合わせした。きょろきょろと視線を当てもなく彷徨わせながら「あ、のさ」とたどたどしい口調で歯切れ悪く言葉を紡いでいる様子に、こっそりと私と東堂くんの電話を窺っていたことが見て取れた。

 ひねくれているように見えてわかりやすいんだから。そう思うと、胸の奥にぬくもりが灯った。誰にも気づかれないような、ひっそりとした細やかなもの。

 唇が自然と緩む。「ねえ」と甘ったるい声を滑らせ、私は最上級の笑顔を浮かべながら、下から裕介くんの顔を覗き込んだ。ぼっと頬が赤くなって、一歩後ろへ後ずさろうとする裕介くんを捕まえるように、言葉を紡ぐ。

「東堂くんって、裕介くんとは正反対の友達だね?」

 彼氏の友達の悪口を言うのは何だと思い、言葉を選びながら口にすると、裕介くんはきょとんとして「え。友達?」と不思議そうに返してきた。東堂ザマァ。




[ prev / next ]
- ナノ -