7 きみを忘れるための準備




 私は計画的に物事を進める性質だ。長期休暇に出された課題も旅行の前準備も毎日少しず少しずつ準備をする。当日になっても慌てないように。
 だから今回も、少しずつ少しずつ準備をする。
 その時が来ても、大丈夫なように。

 ローファーを履いて玄関のドアを開けると雨が降っていた。湿り気をはらんだ匂いが鼻孔をくすぐる。生暖かい空気が肌にまとわりついていた。少しずつ春から夏へ変化している。こんな風に、ショートも変わっていくのだろう。

 そうして、いつかきっと、私の手の届かない場所へ飛び立っていく。

 どうしようもないほどの寂しさが心臓を締め付けて、鞄の持ち手をぎゅっと掴みながら唇を噛んだ。
 わかってる。ショートが私から離れていくとしても追いすがったりなんかしない。そんな分不相応なことしない。
 だけど、まだ。まだ、いいよね?
 まだ完全に夏になった訳じゃない。ショートだっていつも迎えに来てた奴が急に来なくなったら変に思うはずだし。
 ショートがもう来なくていいと言うまでは迎えに行こう。
 うん、と自分を鼓舞するために頷いて一歩踏み出し、ショートの家へ向かおうとしたその時だった。

「おはよう」

 既にショートがそこにいた。
 傘をさしながら、ショートが立っていた。

 ……………………、

 いつまでもフリーズしている私を心配してかショートは怪訝そうに首をかしげた。ショートに眼前で手をひらひらと泳がされてハッと我に返る。

「え、しょ、ショート? どしたの?」
「どしたのって。迎えに来た」

 ショートは澄まし顔で当たり前のように告げるけど私の思考は状況の把握にまだ追い付けてない。ショートから迎えにこられた。この数年間、お父さんを完膚なきまでに追い詰めることばかりに囚われていたショートから私にモーションをかけることはほぼなく、話しかけるのもなにかに誘うのも私からばかりだった。
 そのショートが、私を迎えに来た。

「おい、明。どうした。腹でも壊したか?」

 眉間に皺を寄せて心配そうに顔を覗き込まれた。至近距離でショートと目が合い、燃え上がるように全身が熱くなる。不自然にならない程度に体をそむけ「だっ、大丈夫!」と笑いながら声をあげた。

「全然! ちょっとビックリしただけ! ショートから迎えに来られたの初めてだったから」
「そう…だな。…もしかして、俺、早く来すぎたか? LINE送ったんだが」
「えっ。…ほんとだ。ごめん、気づかなかった。ううん! 全然大丈夫!」
「よかった」

 安心したように微笑まれてむずむずするような甘酸っぱいなにかが身体中を巡る。頬に熱が集中していくのを感じ、私は少し顔をそらした。
 落ち着け落ち着け落ち着け。呪いのように必死に言い聞かせてから呼吸を整える。すうはあ、と気づかれないように小さく深呼吸した。

「明日もこれくらいの時間でいいか?」
「うん、大丈夫〜!」

 ショートと肩をならべながら歩いていく。ならべるといってもかなり段差あるけど。小さなころは私の方が身長高かったけど、中学に入ったあたりから追い抜かされた。今、身長どれくらいなんだろう。電車に乗ったと同時にふと疑問が降りてきてそのまま問いかけてみる。

「ショートって今何センチ?」
「たしか…176になってたな」
「えー! もうそんなに! おっきくなったねぇ…!」

 目を丸くして親戚のおばちゃんのように驚く私に、ショートは不意打ちを食らったような表情を向けてから、ぽつりと呟いた。

「同じことお母さんにも言われた」
「そりゃそうでしょー。おっきく……………」

 驚きと衝撃で喉が塞がれて言葉を失った。

 ショートが、お母さんと、会った。
 
 お母さんの入院以来、ショートはお母さんにずっと会っていない。
 会いに行かない理由を聞いた事はないけれど、ショートがお母さんに罪悪感を抱いている事は薄々察していた。
 ショートはお父さんから受け継いだ個性を呪っている。こんなものなければお母さんを追い詰めなかったのにと憎んでいた。
 お母さんを追い詰める存在だと、ずっと、自分を苛んでいたショートが。

 茫然としている私にショートは淡々と話を続ける。

「お母さんに会ってきた。嫌がられるかもしれねぇって思ってたんだが、逆に謝られた。…俺が何からも捉われないで進む事が救いになるって、笑ってた。
 

 ………嫌がられなかった」

 吐息混じりに紡がれた言葉は、安堵の思いが深く籠っていた。
 その声を聞いたら、ショートがありったけの勇気を振り絞ってお母さんに会いに行った事がわかった。
 胸の奥が切なさで締め付けられる。目に見えるスピードでショートが成長していくことが寂しかった。
 だけどそれ以上に嬉しかった。愛しさが募って、抱きしめたくなった。

「ショート、偉い」
「…は?」
「偉い!偉い!頑張った大賞!はなまるひゃくてん!」
「……? 俺なんかしたか?」
「したよ!嫌がられるって思ってたんでしょ?それでも会いに行くってすごい勇気いることだもん。頑張ったよ、ショート、頑張った。ほんっとうに頑張った!
それにお母さん喜んでくれたんでしょ?すごいよ、流石ヒーローだよ!でもまぁショートだからね、嫌がられる訳ないんだけどね、優しいし真面目だし優しいしちょっと天然だし!」
「お前すげぇ口動くな。あと俺まだヒーローじゃねぇ。優しくもねぇし」

 ショートが優しいかどうかは私が決める事! と反論しようとしたら、ショートがびっくりするほど優しい目で私を見ていたから、冗談抜きで息が一瞬止まった。

「もう少し時間かかると思うけど、お母さんの体調が良くなったら、」
「あれって轟くんじゃない!?」

 きゃあっと華やいだ声がこちらに、というか焦凍に向けられていた。ショートは名前を呼ばれた方向に顔を向ける。すると女子たちは「やばい!」と騒いだ。ショートは「やばい?」と首をひねる。  
 女子だけじゃない、老若男女問わずに皆がショートを注目していた。
 雄英の体育祭は全国ネットで放送されている。そんな中、二位を獲得すれば目立つのは当然の理。もともとエンデヴァーの息子≠ニして注目を浴びているショートだ。それに加え、

「かっこいい〜!」
「思ったよりもおっきい〜!」

 ………ショートはルックスが良い。惚れた欲目を差し引いても。
 小さな頃から一緒にいたせいかショートの造形が整っていることに私は中学入るまで気づかなかった。中学生になるとショートはかっこいいい!とモテにモテて、それでようやくショートの見目が整ってることに気づいた。ショートの傍でふんぞり返っていると悪口を叩かれた事もある。自分で言うのもなんだけど、私は人当たりの良い性格でなければきっといじめにも遭っていただろう。
 当の本人は周りの女子たちからの熱い視線の意図に気づかず、明後日の方向に感心していた。

「テレビの力ってすげえな」
「いやいやそれだけじゃないよ」
「……確かに、親父の子どもって事もでかいんだろうな…」
「だからなんでそう明後日の方向にいくの! 私もみんなもショートがショートだから見てんの!」

 思わず強めにツッコミを入れるとショートは一瞬大きく目を見張らせた。ぱちぱちと瞬いて、放心したように私を見つめる。思いもよらぬショートの反応に、釣られるように私も固まった。

「…わ、私、なんか変な事言った?」
「言ってねぇ。けど、また俺ばっかもらっちまった」
「何を?」

 首を傾げる私にショートは更に言葉を続けようと口を開く。

 すると。

「…あ、緑谷」

 ショートの視線がある一か所で止まった。私からは人混みに塞がれて見えないけど、ショートほどの高身長になると見晴らしがよいのだろう。
 ショートの視界は、遠くまで見通せるようになったのだ。

 耳を澄ましてみると、緑谷くんは周りの人から賞賛を受けてあたふたしている声が微かに聞こえる。ベスト三位に入れなかったとは言え、ショートとの試合は派手な技の応酬で観客ウケが良かった。

「緑谷くんの方、行ってみる?」
「いや、いい。この人込みじゃ無理だろ」
「そだね」

 自分から提案したくせに、ショートがこの場にとどまることにホッとした。
 ズキズキと痛む胸をそっと抑えながら、気づかれないように呼吸を整える。

 今はまだ、ショートはここにいてくれる。
 その間に、ちゃんと準備しなきゃ。

 ショートが私を置いていっても、大丈夫なように。






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