13 さよならまでの距離を知る




 中学に上がったころから、時折、女子から手紙を貰うようになった。
 挨拶しか交わしたことない女子や喋った事のない女子に好きだと言われてもピンと来なかった。轟という苗字の男が俺以外にいて間違えて俺に送ったんじゃないかと思ったが、学校に轟は俺しかいなかった。
 親父を否定することしか関心が持てず放置していたら返事はどうなったのかと催促され『俺はお前に全く興味を持てねぇ』と言ったら、泣かれた。

『ショートは女泣かせだなぁ』
『泣かしたくて泣かしてる訳じゃねえ』

 苦笑を浮かべながら茶化す明に淡々と返す。本心を伝えただけだ。興味が持てないものは持てないし、嘘を言ってその場を凌いでも仕方ない。

『……ショートは手紙って嫌?』
『手紙自体は嫌じゃねえ』

 手紙を貰うようになったのと同時に、何故か女子に交際を持ち掛けられることも増えた。面識のない女子と二人きりで過ごし結果泣かれるのは精神的に負担が強く、それならば直接会話しない手紙の方が幾分マシだった。最終的に返事を返せと催促され泣かれるのには変わりはしなかったが。
 その事を言うと、明は『おいおい』と引き、寂し気に笑った。

『…知るかよって話かもだけど、ショートに告ってきた子達、すごい勇気出したと思うよ。私、尊敬する』

 いつもふざけながら話す明らしからぬ真面目なトーンだった。面識のない人間に対しても、明は気を配れる。コイツ本当に良い奴だなと感心した。

 あの頃、俺に気持ちを伝えてくれた女子たちに謝りたい。夜嵐と同様に、俺はあいつ等の事も見てなかった。見ようとも、しなかった。

 自覚して、初めてわかった。
 好きな奴に好きだと伝える事は、すげぇ怖い。



 明と話さなくなって一か月以上経過した。だが学校は同じなので姿を見かける事は出来た。友達とじゃれている明を見つけると、胸が痛んだ。明の笑顔は好きだ。でも俺がいなくても笑えているのだと思うと、寂しかった。

 喋りたい。名前を呼ばれたい。ショートって笑って呼んでほしい。
 どんどん沸き上がる欲望を抑えて、自分を律するために息を吐く。仮免に落ちた今、頼りがいのあるヒーローになるという目標がまた遠のいた。こんなんじゃ、また明に気を遣わせちまう。
 仮免を取得して、自分の気持ちをコントロールできるようになって、頼りがいのあるヒーローになったら、好きだって言う。
 明に頼ってもらえるようになるまで明の世話にはならない。これが、俺のけじめだ。

 今一度自分の心の中を整理しながら、寮まで戻る。以前より日が落ちるのが早くなり、夕闇は闇の割合が濃くなっていた。

「轟、お前宛だ」

 寮に戻るや否や、相澤先生に手紙を渡された。LINEやSNSが発達した今、手紙をもらうことは稀だ。言いたいことがあるならメッセージを送る。手紙を送るとしたらものすごく改まった時で、改まった時と言うのは。

「……果たし状……?」
「中身見てないが違うと断言できるな」

 ほらよ、と相澤先生は俺に手紙を押し付けた。果たし状でないのなら、……ああ、久々だな……。淡い水色の女子が好きそうな封筒から察しがついた。
 好きだと手紙で伝えられる事は久しい。思いには応えられないが今度はじっくり読んで、真剣に向き合おう。
 だが、『轟 焦凍 様』と丁寧に書かれた文字を見ていると不意に既視感が首をもたげた。見覚えのある字だ。どこかで、って。
 閃きが雷のように脳裏に走り、俺は封筒を裏返した。

 『常野 明』

 寮の規則を無視して走って自室に戻った。封筒を破ろうとして思い直し、ハサミで中の便せんに触れないように丁寧に切る。淡い水色の便せんが、見慣れた字体で彩られていた。

『ショートへ。
 ショートに手紙を書くのは初めてだね。柄にもなく緊張してます!笑
 ずっとずっと言えなかったことがあるんだ。
 声に出して話したら、私、泣くかもしれないので、それは超絶ウザいので、手紙にしました。LINEにしようかなーと思ったんだけど、LINEって『既読』ってつくじゃん? 多分私、LINEだと既読ついたかついてないか気になって、スマホずっと見ちゃうから手紙にした笑
 なかなか本題に入らなくてごめんね。ちゃんと、書きます。
 ずっと言えなくて、ずっと言いたくなくて、ずっと言いたかったこと。
 今こそ、ちゃんと、ショートに伝えます』

 明がずっと言いたかったこと。
 何だろう、と思った次の瞬間に答えは用意されていた。

『私は、ショートの事が男の子として好きです』

 衝撃で、呼吸が止まった。

『文字にしたらすごく簡単で、書いてて吃驚しちゃった。
 直接言えよって感じだね。
 だけど私、ショートの事が好きって直接言ったら、絶対に泣いちゃうんだよね。
 なんでかわからない。好きだって思うと、胸の中がわーってなるんだ。
 
 ショートが自分自身を誤解してることを風の噂で聞きました。(風の噂とか初めて使った!笑)
 ストーカーの事を言わなかったのは、ショートに迷惑掛けたくなかったから。
 それと、ヒーロー科の女の子たちと比べられたくなかったから。
 ショートは迷惑だと思わないだろうし、比べもしないの、わかってるんだけど…ね。
 つまり、私のプライドが無駄に高いだけ。
 ショートはどんどん強く格好良くなっていくのに私は何にも変わらないことにみじめさを感じて、言えなかっただけ。
 だからほんとに、ショートの事頼りないなんて思ってません。
 その証拠に、私はストーカーに襲われた時、真っ先にショートの事が思い浮かびました。
 ううん、ストーカーに襲われている時だけじゃないね。
 私は人生のほとんどを、ショートの事を思い浮かべて過ごしています。

 重いな〜と我ながら思います。
 でもこれで最後にするから、この手紙に、私の想いを書かせてください。

 ショートの家族想いなところが好きです。
 今でも十分すごいのに、驕らずに努力を重ねるところが好きです。
 何事にも真面目に取り組む姿が好きです。
 お蕎麦を食べてる時の真剣な顔が好きです。
 天然なところが可愛くて好きです。
 他にもいっぱいいっぱい好きなところあるんだけど、便せんがなくなっちゃうからここらへんにしておくね笑

 ショートの事、すごくすごく、大好きです。
 ショートみたいな素敵な男の子を好きになれた事は、私の人生の誇りです』

 文字を追う度に、明の気持ちが俺の中に流れてくるようだった。胸がいっぱいになって、苦しい。堪らず息を吐いて、呼吸を整えた。

 明が今までどれだけ俺を大切に想ってくれたのか、今になってようやくわかった。鈍感な自分がただ腹立たしい。
 本当に何も見えていなかった。何もわかっていなかった。
 明がこんなにも俺を想ってくれていたのに、自分の事ばかりだった。どんな気持ちで俺の傍にいてくれたのか考えなかった。

 ガキの頃から今までの明の思い出が頭の中を駆け巡る。何でコイツ俺の傍にいるんだろうなとぼんやり明を眺めている俺を殴りたい。自分がどれだけ果報者なのか思い知ってほしい。
 
 明が好きだ。
 明が好きだ。
 明の事が、好きだ。
 

『今、ショートこれ読んでめちゃめちゃ衝撃受けてるでしょ笑
 明ちゃんにはお見通し〜。
 
 でも、大丈夫。
 ショートの事を好きでいるのは、ショートが手紙を読んだら、やめます』

「…は?」

 思わず声が出た。
 なんだ、それ。
 というかさっきも『最後にするから』とか書いてたな。

 頭の中が疑問符で埋め尽くされる。
 眉を潜めながら明の心中を推し量ると。

「あ、」

 とある考えに行き着いて、ようやく気が付いた。
 俺が明の事好きなの、知らねえんだ。
 
 俺の気持ちを知らない明は、俺は明の事好きじゃないと思い込んだまま話を進めていく。

『気にするだろうけど、一応書いておきます。ほんとに! 気にしないで!
 私、ショートの事好きになれて、ほんっとに楽しかったの!』
「待て」
『これからは、ほんとにちゃんと幼なじみとしてショートに関わっていきます。この手紙の返事もいりません』
「待てって」

 手紙にツッコミを入れても仕方ないのに、突っ込んでしまう。だが明は俺の言う事に耳を貸さない。手紙だから当たり前なんだが。

『これからは余計な事考えず、ショートがヒーローになった時に危ない事が起こったら、いの一番に呼ばせてもらいます。
 ショートがヒーローかぁ。雄英を卒業した後だね。
大人になったショートはますます強くなって格好いいことになってるね。断言する!
 ということはその頃、私も大人だね。
 結婚とかしてるのかなぁ』

 ぶちん、と俺の中の何かが音を立てて切れた。

 ドアをバァン! と叩きつけるように開けると、ちょうど廊下にいた瀬呂が「え…なに…?」と驚愕に満ちた目で俺を凝視していた。吃驚させちまった。うるさくてわりィと謝って、廊下を速足で歩く。だけど歩いているのがまどろっこしくなり、いつのまにか、走っていた。

「轟くん! 廊下を走ってはいけない!」
「わりィ!」
「悪いと思うのなら止まるんだ!!! あと今から夕食、轟くーーーーん!」

 飯田にもう一度謝罪してから、俺は更に加速した。






 ねむぅ……。
 口を手で覆いながら、ふわぁと欠伸をする。図書室で三時間は寝たというのにまだ眠たかった。原因はわかっている。一昨日はショートに手紙を徹夜で書き、今日はショートが手紙を読んだかどうかが気になって寝つきが悪かった。寮に真っ直ぐ戻る気に慣れず図書室で勉強していると気づいたら寝落ちしてしまい、さっき、先生に起こされてようやく目が覚めた。(教室の端っこで勉強していたため、先生もなかなか気づかなかったらしい)

 寝ぼけ眼を擦り、空を見上げる。藍色の空に星が出ていた。小さな瞬きを見ている内に、思考がクリアになっていく。
 気持ちを伝えるという事は、ショートに振られるという事。だけど思ったよりも、気分は沈まなかった。長年の想いをショートに伝えたことで、肩の荷が下りたように気分が軽くなっていた。

 振られるのがずっと怖かった。だけど、振られる事よりもショートが自分を卑下し続ける事の方が辛かった。
 私が思うよりもショートは私を大事に想ってくれていた。会いたいと願ってくれた事を反芻すると、嬉しくて胸がいっぱいになる。

「もう読んだかな…」

 昨日の夕方投函したから、おそらくもう着いているだろう。愕然とし、考え込んでいるショートが思い浮かんで笑みが零れた。
 中学生の時はラブレターをもらって迷惑そうにしていたけど、今のショートはお父さんをひたすら憎む呪いから解放され、視野が広くなった。それに、私の事を大切な幼なじみと思ってくれている。明が俺の事好きってマジかよって呆然としてからオロオロしてそう。
 
 明日ショートのクラスへ行こう。何もなかったみたいに、ショートって声をかけるんだ。ショートはそれでも謝ってくるだろう。その時は、仕方ないなぁとかおどけて、茶化して、気にしてないですよってアピールをするんだ。

 大丈夫、大丈夫。いつか、大丈夫になる。
 心の中で何度も言い聞かせ、お腹の底からせり上がってくる熱い塊を必死に奥底に追いやる。
 湿っぽい気分を振り払うように頭をぶんぶん振って、校門から出ようとした時だった。
 
 ―――ヴーッ、ヴーッ、ヴーッ。

 スマホがスカートのポケットの中で震え始めた。長い。メッセージじゃなくて、電話のようだ。お母さんかなぁと思いながら手に取って、思わず目を見開いてしまう。
 ごくりと唾を飲み込んでから、タップした。

「ショート……?」

 まさか今日中に行動を取るなんて。私の予想では今日ショートは私に好きだと言われて呆然と過ごすのだろうと思っていたのに。
 今から私は、電話で振られるのだろうか。
 いざショートからちゃんと振られるのだと思うと怖くて身が竦み、おもねるような声になった。

「お前、今、どこにいる」

 ショートの息は何故か上がっていた。質問の意図が掴めず固まっていると「どこにいる」とじれったそうに催促された。

「が、学校…」
「学校? なんでまだいるんだ」
「図書室で勉強してたら寝落ちしてた……えへっ」
「よく寝るな。学校のどこだ」
「校門だけど…」
「わかった」

 えへっに何か反応してよ…私ただの寒い奴じゃん………って、ん?

 わかったって、どういうこと。

 私の疑問が届いたのかショートは答えをくれた。

「今から行く」

 ブチッと切られ、電話音が鼓膜の中を空しく響き渡る。今、ショート、『今から行く』とかなんとか言ったような。
 呆然と立ちすくんでいる内に、本当にすぐに、ショートはやってきた。全速力で駆け付けたようで呼吸が荒い。足元には氷が張られていた。

「ちょっと待ってここまで滑ってきたの!?」
「あ、」

 今気づいたと言わんばかりに、ショートは自分の足元を見た。無意識のうちに氷を出していたようだ。

「すげえ急いでたから、つい」
「どんだけ急いでんの!」
「急がねェとお前、また話勝手に進めていくだろ」
「いや私今日初めてショートと喋る、」
「俺のヒーロー名、『ショート』って言うんだ」

 ショートこそ勝手に話を進めていくじゃないかと呆れと戸惑いが胸の中を占める。口数の少ないショートがよく喋る事に狼狽えながら「そ、そうなんだ…」と頷いた。

「明、俺の事ガキの頃から間延びした感じで呼んでんだろ。ヒーロー名を考えろって言われた時なんとなくでショートにしたけど、どこかで明の事がうっすら浮かんでたんだと思う。明と話さなくなって、明に名前呼ばれんのすげえ好きだって痛感した」

 熱っぽい口調で必死に話すショートに圧倒される。こんなに喋るショートを見るのは生まれて初めてだった。一言一言に籠められた真摯な想いが少ししてから私の胸に染み渡る。大事な局面で私のことを考えてくれたんだ。嬉しくなって頬が緩む。ありがとうと言おうとしたら、ショートが挑むように私を見据えた。冴え冴えと光る強い意志に貫かれて、息が詰まった。
 私に口を挟む隙を与えないように、ショートは続ける。

「名前を呼ばれんのだけじゃねえ」

 一歩距離を詰められて、反射的に一歩後ずさる。ずっと見てきたのに、ショートは私の知らない顔をしていた。
 焦がれて必死に追い求めるようなそんな瞳を、どうして私に向けるのだろう。

「俺だって、明が好きだ」

 頭の芯まで真っ白に染まり、内側から心臓を握られたような衝撃を覚えた。
 ショートは一体何語を喋っているのだろう。呆然としながら、ショートを見つめる。

「ずっとアイツのことばかりで明を蔑ろにして俺に好きだって言われても、今更にしか思えないかもしれねえ。
 けど、俺、お前のこと、守りたい」

 もう一歩距離を詰められて、ショートと私の距離が縮まる。愕然とし過ぎて私は一歩も動く事も出来ない。

「明が困った時に一番に駆け付けたい。明の事特別な存在として守りたい。明に、ずっと傍にいてほしい。
 明が俺を好きでいてくれるのなら、いちばん傍にいる権利を俺に与えてほしい」

 何かの冗談なんだろうか。依然として私は呆然としたまま、ショートを見続けた。
 真剣で切々とした表情に少し震えている体。それに何より、ショートは冗談で誰かを好きだと言うような人じゃない。
 だから、これは紛れもないショートの本音。

 状況を理解した私は「え、あ…」と意味のない事を呟きながら前髪をくしゃりと掴む。ぐるぐると頭の中が回っていた。

「な、なんで、なんで、どうして、」
「どうしても何も好きになったもんは好きだろ」
「ち、違う! ショート誤解してる!」
「誤解?」

 ショートが眉を不可解そうに潜めた。恋愛に関しては赤ちゃん同然のショートに、滾々と言い聞かせる。

「ショートの隣いた女子がたまたま私ってだけで、雛が初めて見たものを親と認識する感じで、私を好きだと思ってるんだよ。それに、ショート優しいし、私が手紙で好きだってめっちゃ言うものだから、断ったら悪いなって思って、同情で、」
「………同情?」

 ショートの声が低くなった。剣呑としたオーラを纏うショートにびくっと肩が飛び跳ねた。もう一歩距離を詰められて、後ずさろうとした時だった。

「明、わりィ」
「へ」

 端的に告げられるや否や、腕をぐいっと引っ張られた。気付いたらショートの顔が見えなくなっていた。近すぎて、見えない。
 ずっと近くにいたけど触れたことは数えるほどしかない。
 ショートの皮膚が私の皮膚に覆い被るように重なっていた。私はショートに、抱きしめられていた。

「同情でこんなことしたいとか思わねえ」

 少し苛立ったような声を聞くと熱が急上昇し、体から力が抜けていった。へなへなと崩れ落ちそうになる私の体をショートは「おっと」と呟いてから、支えるように更に力を籠めて抱きしめてくれた。

「ほんとに?」
「ああ」
「ほんとにほんと?」

 ショートは「俺どんだけ信用ねえんだ」とぼやいてからもう一度、力強く言った。

「本当に本当だ」

 ぎゅっと抱きしめなおされた時、なにかが溢れ出した。あっという間に視界を涙が覆い、世界がぼやけていった。

「しょ、しょう、しよう、とぉ、」
「何だ」
「ごめぇん、実は、わ、わだ、わだじ、いま、いままで、おう、おうえんしてきたけど、百パー、おうえ、ん、してた、わけ、じゃなく、てぇ」
「おう」
「みどり、みどりやくんとのじあいで、じょうどのせかいがひろがっだごとに、さびしくでぇ、ふあんで、それで、泣い、泣いた」
「ああ、それでか。話してくれてありがとな」
「ありがどじゃないでじょ〜〜〜」

 子どものように泣きわめきそして理不尽に怒る私の背中を摩りながら「俺も同じだから気にすんな」とショートは冷静に言った。

「俺も明が緑谷になんか言われて泣き止んだっぽいのに、すげえモヤッとした。あとお前が他の男と結婚してるの想像したら、すげえムシャクシャした。同じだな」

 ショートの言葉の意味を処理していく。泣いてる為なかなかうまく動かない思考回路が導き出した答えに、体の熱が更に上がる。

「…あの時はなんで泣いてたんだ?」
「……ショートが一歩間違えば死んでたかもしれないって言ってたのが、聞こえた、ぐすっ、から」
 
 重い…って引かれないかな。恐る恐る言う。
 ショートは一泊間を空けてから「そうか」と呟いた。柔らかい声だった。

「明が泣いてたってのにわりィ。心配してくれてたんだなって思ったら、嬉しかった」

 言葉通り本当に嬉しそうな声にいつかの緑谷くんの表情や声が脳裏に浮かび上がる。

『…心配されたらさ。心配かけてごめんって思うけど、ホッとするんだ。帰りを待っててくれる人がいるんだって、安心するんだ』

 私、ショートの帰りを待ってていいんだ。
 そう思うと嬉しくてだけど涙腺が刺激されて、喉の奥がひくひくと震える。

「明」

 ショートは決意を籠めた声で私を呼ぶ。顔を上げると、ショートが真剣な面差しで私を真正面から見据えていた。

「二度と心配かけさせねぇなんて事は言えねえけど、でも俺は、絶対にお前に会いに帰ってくる。…信じてほしい」

 その場限りの薄っぺらい言葉じゃないことは目を見ればわかった。真摯な光が強く瞬いている。そん風にそんな事を言われたら、もう駄目だった。あふれる涙を抑えるように顔を両手で覆いながら、何度も何度もうなずく。するともう一度、抱き寄せられた。今度は優しく包み込むように、そっとした手つきで。

 涙腺が壊れた私はそれからしばらくの間、泣き続けた。
 その間ショートはずっと、抱きしめてくれていた。
 私が泣き止むまで、ずっと。










「化け物………!」

 鏡の中映る私は目と鼻が腫れ上がり、化け物そのものだった。あまりにも恐ろしい形相に震え上がる。

「明って号泣したらそんな風になるんだな」

 ショートは感心したように言う。しかも何故かどこか嬉しそうだ。しげしげと私を観察するショートに「そんな見ないでよ〜!」と慌てて顔を背ける。

「明の号泣した顔見るの初めてだからつい。お前俺の前ではほとんど泣かねえから」
「きょ、今日一生分見せたでしょ…」

 小さな子のように泣きわめいた事を思い出すと恥ずかしくて自然と声がすぼんでいく。ショートは「いや。これからも泣きたい時は思う存分俺の前で泣いてほしい」と真面目に言った。

「えええ…恥ずかしいよ……ブスだもん…」
「目と鼻がすげぇ腫れてるだけだろ」
「それがブスなの!」
「そうなのか?」

 泣いても顔が崩れないショートに言われると煽られてるように感じるけど、ショートはそういう煽りができるような人じゃない。本当に心の底から私の言わんとしたいことがわからないようできょとんとしていた。こうやって過ごしているといつも通りのショートでさっき好きだと言われたり抱き締められたことが幻覚のように思えてくる。

「よくわかんねぇが、まあいいか。明、帰ろう」

 ショートは私に手を差し出した。へ、と固まってからショートが何をしたいのか察する。
私と手を繋ごうとしてるんだ。さっきの、夢じゃないんだ。
実感が全身に伝わり同時に熱が帯びていくのを感じた。うん、と掠れた声で呟いてから手をとろうとすると。

「あ、駄目だ」

 ショートは急に右手を引っ込めた。差し出そうとした私の左手は宙ぶらりんになり、所在なさげに彷徨う。
 「え」と目を点にしている私にショートは申し訳なさそうに言った。

「俺が関わると手が駄目になる事例が結構あって…ハンドクラッシャー的な…。手を繋いだら余計にハンドクラッシャーになっちまうような気が…」

 しどろもどろになりながら大真面目に言うショートにぽかんと口を開けてから、俯いた。駄目、ショート真面目に言ってるんだから、ふざけてないんだから、駄目。必死に笑いを押し殺す。だけどやっぱり堪えきれなかった。

「あはははは! あはははは!」

 ぶーっと噴き出してから笑い始めた私にショートはびっくりしたように目を丸くする。自分がどれだけ面白い事を言ったのか理解できていないショートの手を取った。私より一回り以上大きな掌をしっかりと握りしめると、体中が熱くなった。鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしているショートを覗き込みながら、笑いかける。

「明、やめた方が、」
「大丈夫! ショートの手は助けた事の方が多いんだから!」

 それに、と一旦言葉を切る。これを口にするのは恥ずかしいけど、事実だ。私もショートを見習ってそれから今までの反省を生かして、これからは本音をちゃんと言っていこう。

「今も、その、私を幸せにしてくれてるし」

 きゅっと手を握りながら呟くように言うと、しいんと変な間が空いた。恥ずかしさが込み上げて全身が痒くなる。い、言わなきゃよかった…! 慣れない事するから…! 全身が熱くなり、「な、な〜んちゃって!」とおどける私をじいっと見ながら、ショートは言った。

「明って可愛いな」

 …………………、………………、………………………………、

「明?」
「はっ! え、今、今なんか言った? なんか変な事言わなかった?」
「言ってねえけど。明って可愛いなとは言ったが」

 しれっとすまし顔で爆弾発言を投下するショートに私は硬直した後、へなへなと足元から崩れ落ちる。

「明、大丈夫か」

 私に視線を合わせるようにショートもしゃがみ込む。
 焦点をきちんと合わせると、眉を寄せて心配そうな表情で真剣に問いかけるショートがすぐそこにいた。

 ずっと、遠い人だと思っていた。ショートは私の事を取る足りない存在だとあらかじめ言い聞かせる事で、自分の傷を浅くしようとしていた。
 馬鹿だなぁ。ほんとに私は馬鹿だなぁ。目の前の私を心配そうに見つめているショートを見ながら自分の馬鹿さ加減に呆れて、苦笑が零れ落ちた。

「うん、もう大丈夫」

 こんなに近くにいてくれたと言うのに気づかないなんて、ほんとに馬鹿だ。
 ショートの目をしっかりと見据えながら力強く頷いて、手をぎゅっと握り返す。嬉しくてへへ、と間の抜けた笑い声が漏れた。
 ショートはぱちぱちと瞬いてから真剣な顔を作り、厳かに言った。

「明ってすげぇ可愛いな」
「………やっぱ大丈夫じゃないかも………」
「!?」

 
 遠い存在だと思っていた幼なじみ。実は傍にいてくれた事がわかったけど、
 それはそれで、これはこれで、
 幸せだけど大変な悩みが、生まれてしまった。








END.




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