ひだまりのまんなか

  


植原は『ユキちゃん、わたしに学校に来てほしいの?』と顔を覗き込んできた。そういう旨のことを先ほど言ったのにも関わらずもう一度問いかけてくる植原の理解力の無さに苛立ちを覚えながら『まァ、うん』とぼそぼそと口ごもりながら言う。植原はそう、と小さく呟いたあと俯いた。

『…明日、行ってみようかなあ』

ぽつりと漏らされた、風に吹かれたらすぐ消えてしまいそうな小さな声は、ほんのりと喜びで色づいていた。若干見開かせた眼で植原を見る。強がりや無理をして言っているわけではなさそうだった。植原の眼には明確な意思が宿っていた。植原は、オレに視線を滑らせて、そして微笑んだ。

『ユキちゃんが待っててくれるなら、行ける、かも』

柔らかく緩められた瞳で見られていると、少し鼓動がはやくなった。なんとなく気まずくて、視線を逸らしながら、早口でボソボソと呟いた。

『来てほしくなかったら、あんなこと言わねえから』

『ユキちゃん』

『んだよ』

『早口で喋られると、聞き取りづらい。困る』

本当にコイツは人を苛立たせてくる人間だ。




植原は翌日、本当に学校に来た。学校に行くから校門で待っててほしい。ツムツムのハートあげるから、というLINEが届いて(お前元から毎日ハート送ってんだろ)半信半疑で校門で待っていたら、びくびくと身を縮こまらせて歩いてくる植原の姿を見つけてマジで、と目を丸くした。植原はオレの姿を見つけると、ぱあっと顔を輝かせて、小走りで駆け寄ってきて、学校に来たことを褒めてほしいと眼で訴えかけてきた。

こういう構ってちゃんは嫌いだ。けど。

『…まァ、頑張ったんじゃねえの』

褒めたら喜ぶんだろうなと思ったら、自然とそう口にしていた。植原は嬉しそうに無言で頷いた。


それから、一週間が経過した。


「ユキちゃーん!見て見て!!」

葦木場の能天気極まりない声が飛んできた。所在なげに視線を横に滑らせると、葦木場と植原は緊張した面持ちで並んで立っていた。

「見てほしいものがあるんだ」

「はァ」

「…日和ちゃん!」

植原がこくりと顎を小さく引いてから、二人は向かい合った。オレはその様を白い眼で見ていた。せーの、と葦木場が掛け声をあげる。

「あーるーぷーすーいちまんじゃーくーこーやりーのうーえーで」

二人は高速でアルプスごまんじゃくを始めた。速すぎて見えねェ。残像だ…とバトル漫画のようなことになっている。らんららららーん、で終わった後、いぇーいと二人は両手を合わせて、嬉しそうに飛び跳ねた。

「すごいでしょ!?」

目をキラキラ輝かせながらオレに問いかけてくる葦木場をスルーすると、「ユキちゃあーん!」と悲痛な声が飛んできた。頬を背ける直前、植原の悲しそうな顔が視界に入ったが気付かないことにした。


植原と葦木場はものすごく馬が合った。

オレの友人たちの中で一番植原と気が合うのは葦木場だろうなと直感が働いて、葦木場を紹介した。最初は高身長の葦木場に恐れを抱いた植原だったが、オレがちょっと便所で席を外した隙に、あっという間に打ち解けていた。もう今じゃ、日和ちゃん、たっちゃんと呼びあう仲。たっちゃんって。タッチか。たっちゃんかっちゃんか。南ちゃんか。

「日和ちゃん、駄目だったね…。ユキちゃん驚かなかったね…」

「たっちゃん、頑張ろう。修行あるのみ」

「そうだね…!」

不思議チャンと不思議チャンが組み合わされることによって生まれるザ・不思議チャンワールドに常識人のオレはついていけない。間違った方向へ努力を進めようとしている二人の不思議チャンを放置して、オレは紙パックのジュースを啜った。


「日和ちゃんこれ一口いる?」

「…! ありがとう…!」

「すっごい物欲しげに見てくるよね日和ちゃんって〜言えばいいのに〜」

きゃっきゃっと嬉しそうに切り分けたハンバーグの一部を植原の皿に置く葦木場と、「わたしも」と、切り分けたメンチカツの一部を葦木場の皿に置く植原の周りには、花が舞っていた。なんだよこれ、女子か、女子会か。

「ユキちゃんも、いる?」

首を傾げて問いかけてくる植原の表情は、一週間前には見られない明るさが見えた。家に引き籠っていたころは根暗としか表現できない顔立ちだったが、この一週間で晴れ晴れとしたものになった。

オレとサシで話していたころには見受けられなかった明るさが、眩しくて苛立つ。

「お前さァ、いつまで男にべったりしてんだよ」

剥き出しにした苛立ちを植原に投げつけた。植原は鳩が豆鉄砲を食らったような表情をした。ぱちぱち、と目を瞬かせている。

「男…?」

「葦木場とか、オレにだよ。女のダチ作れよ、そろそろ」

「女の子、の?」

「男にばっかべったりしてたらぶりっ子とか男好きとか言われんぞ」

っつーか、既に言われてるけどな。続いて言いそうになった言葉は喉に押し込んだ。豆腐メンタルの植原は陰口を叩かれていることを知ったらまた家に引き籠るだろう。

それは、なんか、嫌だった。

あの日、苛立ちを必死に抑えていると植原がベットからするりと降りた。初めて見た植原の制服姿はたくさんいる女子の中に一瞬にして紛れ込んでしまうような平々凡々たるものだった。隣のクラスの可愛い女子の方が着こなしていた。

けど、なんか、目に焼き付いて、心に残った。

…これは、植原の為を思って言っていることだ。

一昨日、購買にパンを買いに行ったら同じクラスの女子が『植原さんって黒田と葦木場くんにべったりしすぎじゃない?』『男がいなきゃ無理〜ってタイプっぽいよね』とひそひそと陰口を叩かれていた。葦木場、モテッからなァ、そりゃ女子の反感買うわ。典型的な女子に嫌われる女子ってやつだしな、アイツ。と、冷静に分析した。

この妙な苛立ちは関係ない。植原の為を思ってだ。このままだとガチで女子に嫌われる。手遅れになる前に手を打つべきだから、オレはあえてきつい口調で言っているんだ、と、心の中で自分に言い聞かせるようにして繰り返す。

「わたし、ユキちゃんとたっちゃんと仲良くしちゃいけないの?いっしょにいちゃいけないの?」

「別にそうは言ってねえだろ。べったりする頻度をもう少しなんとかしろつってんだよ。次、遠足の班決めの時適当な女子にいっしょにまわろーとかなんとか言って入れてもらえよ」

「え、」

「ハイこの話終わり」

言い切ったあとに、茶碗によそられた白米をがーっと口の中に流し込んでいく。

「わかっ、た」

ぽつりと震えた声が茶碗で埋められた視界の向こう側から聞こえてきた。すべて白米を流し込んだオレは茶碗を視界からのける。

「がんばる、ね」

無理矢理作られた植原の笑顔はささくれのように痛々しかった。

「…ごっそーさん」

罪悪感が今更沸いてきて、耐えられなくなったオレはがたんと荒々しく席を立った。葦木場がおろおろしながらオレと植原を交互に見ている。ポケットに手を突っ込みながら、廊下を歩く。

思うように事が運んだはずなのに気分は全然晴れず、それどころかいっそう曇ったように感じられて、忌々しくて舌をならした。








「好きな奴と組めよー。六人で一班なー」

高校生にもなれば班決めに教師が首を突っ込むこともない。担任のやる気ない一声を合図に、普段からつるんでいる奴らで班が決まっていく。楽しげに笑う華やかな声があっちからもこっちからも聞こえてくる。

だから、植原の鉛を呑みこんだように沈痛な表情は、教室の中で浮いていた。
だから、否が応でも引き付けられた。

緊張から汗を吹き出し、ひっきりなしに左右に情緒不安定に泳いている瞳。肩が上下に小さく動いていて、心臓を掴むかのように、セーラー服を皺がついてしまうんじゃないかというくらいに掴んでいた。

「どーした、黒田?」

友人の一人の声で、はっと我に返った。なんもねェよ、と乱雑に返す。葦木場がオレのブレザーをくいくいと引っ張りながら眉をハの字に寄せて言ってきた。

「ユキちゃん、日和ちゃん誘おうよー。一人まだ空いてるし」

「女子と組んだ方がいいだろ。それに、どうしてもオレ達と回りたいっつーならアイツからくるだろ」

「あんなこと言われたら来にくいよー」

「え、お前植原さんに何言ったんだよ」

「大したこと言ってねーよ」

視線を時折植原に向けながら、葦木場たちと会話していく。植原が鈍い動作で椅子を動かして、思わず反応してしまう。オレの眉がぴくりと小さく動いた。

やっと、ゆっくりと席から立ち上がった植原の足元はふらついていた。そのまま一歩踏み出すでもなく、ぼうっと立っている。苛立ちが沸いてくる。話しかけにいきゃあいいだけの話だろ、いれてって言えばいいんだよ。無理だって断られたら次いきゃあいいだけの話。そうやってぶるぶる震えているだけじゃ何も変わんねェんだよ。

つーか、腹立てよ。

適当な気分でレースに呼んで気分悪くさせた時も。

自分勝手な正論を押し付けて泣かせたときも、一言もオレを責めないで。

今だって、植原はオレを頼りに学校来てんのに、しょうもないガキ染みた嫉妬で、お前を無理させてんのに。

バッカじゃねえの。

イラつく。イラつくイラつくイラつく。

植原のしょぼくれた顔を見てると、イラついて仕方ない。

「―――植原!!」

苛立ちが頂点に達したオレは、気付いたら植原を大声で呼んでいた。不安げに揺らいでいた植原の瞳が最大限に見開かれて、オレを凝視している。オレはずんずんと植原に近寄って、細い手首を掴んだ。

「ユキ、ちゃ、」

「一人足りねェからこっち来い!!」

有無を言わさず、植原を引っ張る。男しかいねェとか、周りの女子の植原に対する評価がまた下がったとか、もうどうでもよくなった。めんどくせェ。しらねーよそんなのバーカ、と何かに向かって罵声を浴びせかける。

「ハイ、六人決定な!!」

突然男だらけのグループに放り込まれた植原は目を白黒させたのちおどおどと震え始めた。だが、葦木場に「日和ちゃーん!」と手を振られた途端安心したように笑った。へいへい、そうですか、と面白くない気持ちになった時、植原がオレのブレザーの裾をしっかりと握っていることに気付いた。

よく見ると、足が小さく震えていた。けど、ブレザーの裾を握りしめる力が強くなると、反比例して足の震えが小さくなっていった。

「んじゃ植原さんよろしくなー。ここは山田、植原さん和ますために一発芸でもしろよ」

「オイこの流れ絶対オレすべる絶対ヤダ」

「山ちゃんならできるよ!」

「なんなのお前ら」

「ほらアレやれってアレ」

「アレとかなんもねえから。持ちネタある前提で話すのやめろって」

馬鹿達による馬鹿な会話が耳から耳を通り抜けていく。代わりに、小さな植原の声が耳にするりと入り込んできた。

ユキちゃん、とか細い声で紡ぐ植原の声が。

「わたし、友達増えたらいいなって思ってるけど、でも、遠足は、ユキちゃんとたっちゃんと周りたかったから、嬉しい」

噛みしめるようにして、「ほんとに、嬉しい」と言うと、植原は目尻に涙を浮かばせながら綻んだ。

「…そーかよ」

植原の眼を真っ直ぐに受け止めることが少し苦しくて、つうっと目を逸らした。

班の奴らは、普通に良い奴だし、植原と適度に仲良くしてくれて、植原の世界が広がっていくだろう。それを少し面白くないと思う気持ちと。

それと。

「日和ちゃんとまわれる〜!やったー!」

緩みそうになる口許を引き締める。仕方ねえなと言うように溜め息をついて、腕を組む。嬉しそうに植原に話しかける葦木場と、無言で微笑んでいる植原が手を合わせて喜んでいた。



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