ひだまりのまんなか

  


ユキちゃんは、部活で大変なのに、わたしのお家に来てくれた。お母さんも『日和にあんな良い友達がいたなんて』と、すごく嬉しそうに綻んだ。友達、友達、と小さく繰り返して言葉の意味を咀嚼する。友達がいた、というか。友達になろうとしてくれた、という言い方が正しいのだろう。わたしなんかと、友達になろうとしてくれている。ユキちゃんは、とても良い人だ。しかも。

「…!!」

感動で声が出ない。ぷるぷると小刻みに腕が震えるのを抑えられなかった。わたしは東堂様のお写真を両手で掴んで穴があくのではないかというくらい凝視していた。写真の向こう側にはげんなりした顔つきのユキちゃんがいた。

「買うのすっげー恥ずかったんだからな、マジで、死ぬかってくらい恥ずかったんだからな。感謝しろよ」

こくこくと首を数度縦に動かした後、もう一度わたしは東堂様のお写真を食い入るように見つめた。さらさらの黒い髪の毛に、凛とした涼やかな目元、軽薄な恰好をしているけど上品な空気に包まれているため、怖いとは思わなかった。

あの日、東堂様の虜になってしまったわたしは、ユキちゃんに頼んで東堂様のお写真を買ってきてもらうように頼んだ。ハァ!?ぜってーヤダ!!と拒否を唱えるユキちゃんに三十秒間目で訴えかけると、ユキちゃんはヤケクソ気味にわーったよ!!と声を荒げた。そして、三枚ほど買ってきてくれた。女の子達の中に混じって買うのは顔から火が出るほど恥ずかしかったらしい。

はあ、と恍惚から溜息を吐く。東堂様。東堂尽八様。お名前もお美しい。だって東に堂に尽に八だもの。綺麗。

…そういえば。

「…ユキちゃんの漢字ってどんなの?」

「は?」

「ユキちゃん、ゆきなり、って漢字。どんなの?」

ふと舞い降りてきた疑問をそのまま口に出す。わたしは説明が下手くそなので一回ではなかなか伝わらない。それが会話の弾まない原因となってないということはわかりつつも、治せないでいる。

ユキちゃんはスマホを取り出して指を動かしたあと、わたしに画面を見せてきた。

『黒田雪成』

「綺麗ね」

思ったままの感想をそのまま口にすると、ユキちゃんは「どーも」と特に嬉しそうな素振りも見せずにお礼を述べたあと、っつーかさ、言葉を継いだ。

「お前一時間置きにハート送ってきてるよな…」

ユキちゃんはスマホを眺めながら呆れた口調で言った。ユキちゃんにLINEとツムツムを教えてもらって以来、わたしはユキちゃんに毎日起きている間は一時間置きにハートを送りつけている。

「すげェ勢いでスコア上げてってんな…これが一週間前始めたやつのスコアかよ…」

信じられないとでも言いたげなユキちゃん。お父さんやお母さんはわたしが何をしてもたくさん褒めてくれるけど、それ以外の人には褒められたことがあまりないわたしはどう反応していいかわからず、照れ臭くて、ふるふると首を振ってやり過ごそうとした。

「ツムツム、楽しい。教えてくれて、ありがとう」

手を床につけて、深々と頭を下げてお礼をすると、「そこまで感謝することじゃねーだろ」と、これまた呆れたように呟いた後、「なんでオレの周りはこういうずれたヤツばっか集まってくんだ…」とぼやいた。ずれた?と首を傾げると「あーもういいから…」と力なく言われた。

「集まる、ってことは、ユキちゃんたくさん友達いるのね」

「たくさんっつーか…まァ、それなりには…」

「何人?」

「いちいち数えてねーよ」

数えきれないほどいるんだ、と大きく目を見開かせたあと「すごい」と感心しながら頷いた。ユキちゃんは「…別にンなこたねェけど」と、わたしの憧憬の視線から目を逸らして、ごにょごにょと口ごもりながら否定する。

友達もたくさんいるし、部活も頑張っているし、わたしと仲良くしてくれようとしているし、ものすごく良い人で、すごい人だ。だから、わたしは想いの丈をユキちゃんにぶつけた。

「ユキちゃんは、良い人で、すごい人」

「…お前よくそういうこっ恥ずかしいこと言えんな!?外人か!?イタリアとかそこらへんの!!」

「でも、ほんとのことだもの」

じいーっと食い入るように見つめるんだけど、ユキちゃんはわたしと目を合わそうとしない。ガシガシと頭を掻きむしりながら俯いた後「…なァ」と伺うような言葉を置いた。なあに?の意味をこめて首と傾けた。

「お前、何があったんだよ」

「何って?」

「何があって、学校来れなくなったんだよ」

顔が、全身が、強張るのを感じた。わたしの異変に気付いたユキちゃんが「…イジメ?」と眉間に皺を寄せて問いかけてきた。

「…イジメっていうか」

「何」

「…その…、」

膝の上で手を丸める。イジメというほど、大それたものじゃない。生きていくうちで、誰かから苦手に思われることなんて、誰しもが一度は経験することだ。けど、それがわたしにはどうしても怖い。怖くて耐え切れなくて、逃げた。ユキちゃんの視線が痛くて、俯いてから、唇を浅く噛む。わたしは覚悟を決めて、ぽつりと言葉を落とした。

「…学校行くと、透明人間になるの」

「…は?」

「わたし、声小さいし、ボソボソ喋るし、目立つ子じゃないから、人、来ないし。だから、頑張って、自分から話しかけて、友達できたと思ったんだけど、つまんない子とか、いっしょにいて疲れる、って思われてて、それから、人に話しかけるのも、学校行くのも、怖くなっちゃって」

「…それが学校行けなくなった理由?」

こくりと頷くと、少しの間静寂が訪れた後、ユキちゃんは言った。

「くっだらねー」

心底、呆れたように。

心臓が重く軋んだ。血が逆流しているような錯覚を覚える。俯いているから、ユキちゃんがどんな表情を浮かべているのかわからないけど、心底呆れきった表情をしているのだろう。声色からそのことがありありと伝わってくる。

「そんなんで?次いきゃいいじゃねーか、次。合う合わないはあんだからよ」

黙りこくって、何の返事も返さないわたしに痺れを切らしたのか、ユキちゃんはハァッと苛立ちを露にした溜息を吐いた後「だいたいさァ」と言った。

「お前、マジで頑張った?一回ちょっと陰口叩かれたぐらいで不登校とか甘えすぎだろ」

まぎれもない正論を突き付けられて、返す言葉もない。膝の上の拳が強くなり、掌に爪を食い込ませる。

知らない子に話しかける時、わたしは尋常じゃないほど緊張する。汗が噴き出る。足元がぐらつく。眩暈を覚えながらやっとの想いで出した声が裏返って、泣きそうになるのを堪えながら「いっしょにお弁当食べていい?」と口にする。そういう、みんな当たり前のようにできることを、わたしは当たり前のようにできない。でも、世間からしたら、みんなは当たり前のようにできることなんだから、こんなことができても『頑張った』の内には入らない。たとえ、どんなにわたしが頑張った、としても。

だから嬉しかった。ユキちゃんが、何度も話しかけてくれて。部活で疲れているのに、何度も来てくれて。返事もしないのに。なんて良い人だろう、と思って、喜んでほしくてケーキまで作ってしまうぐらいには。

けど、そんな“良い人”のユキちゃんですら、呆れている。

「オレとか部活で初日にすっげー嫌なこと言われたけど、それでも部活行ってんじゃん。それをちょっとなんか言われたぐらいで、ンな不幸面して学校来ねェとか、悲劇のヒロイン気取りかよ。甘えんなって、逃げんなって。もっと頑張れって」

全部、全部、正しい。何一つ、間違ったことを言ってない。でも、綻び一つない『正論』、それは、『間違い』のわたしの心には、重く圧し掛かってきて、気付いたら。

「だいたい…は?」

涙が頬をぽろっと転がり落ち、スカートに染みを作った。両頬に涙の筋がひかれていく。ああ、こうやって、せっかく正しいことを言われているのに、ちょっと強い態度で出られて泣くから、わたしは駄目なんだろうなあ。



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