ひだまりのまんなか

  


植原はいわゆる『浮いてる』ヤツだった。これじゃあ、学校馴染めないのは仕方ない、と頷けるほどの。人の話を聞いてるんだか聞いてないんだかよくわかんねェ態度。ぽつりぽつりと落とされる単語はたどたどしくて頼りない。言葉のキャッチボールをろくにできない。はっきり言って、植原と会話してても、つまらなかった。

帰りてェー。

心の中で力なく呟く代わりに、気付かれないように溜息を吐いた時だった。オレの話を聞いてるんだか聞いてないんだかわからない表情を浮かべていた植原の口が1時間ぶりに動いた。ユキちゃん、と。

「自転車、乗ってきてる?」

「は?」

「その、速い自転車、乗ってきてる?」

植原は少しの説明文を加えて同じことを問いかけてきた。速い自転車、つまりロードバイクのことを指しているのだろう。コイツ、話聞いてたのかよ。数回、目を瞬かせる。てっきり聞いてないとばかり思っていたオレは、意外な事実に驚きながらも「乗ってきてるけど」と返した。その瞬間、植原の眼がぱあっと輝いた。そして、じいーっと、見つめてきた。

言いたいことがあんなら言えよ!!その口は飾りか!?パチモンか!?と怒鳴りたい気持ちを必死に撫でつけ、「わーったよ、見せる」と頭をガシガシ掻きながら答えた。植原はこくこくと何度も頷いた。だから喋れよ。



門の中に停めておいたロードバイク(盗まれたら大変、と植原の母さんが門の中に入れるのを許可してくれた)を、外に運び出して、電灯の下に持っていって、植原によく見えるようにしてやる。植原はしげしげとじっくり観察したあと、オレに顔を向けた。植原の方が身長低いので、自然と見上げる形になって、植原がオレを上目遣いで見る。これが好みの女子だったら…と虚しい気持ちが胸に広がっていると、植原が「ユキちゃん」と、呼びかけた。

「んだよ」

「見たい」

「はァ?」

「ユキちゃんが乗ってるとこ、見たい」

じいーっと、食い入るように見つめてくる傲慢かつ無垢な瞳がオレを捉えて離さず、拒否する理由を与えてくれない。この手のタイプはあれだ。無言で一緒に遊びたいというプレッシャーをかけておきながら遊びに誘ったらちっとも楽しそうにしない、というタイプだ。オレの嫌いなタイプ。やだよ、と一蹴したいところだがコイツの信頼を手に入れ学校に来させない限りオレのボランティア活動は終わらないので『わかったよ』の意を込めた溜息を吐いてから、ロードバイクに跨った。

「走ってみて」

オレはコイツの家来か。クラスの隅に生息しているような奴に指図されるのは気に食わないが、植原の信頼を手に入れない限り以下略なので仰せのとおりシャーッと軽く走った。回ってきたオレをじいっと見た後、視線を落として、植原はぽろっと呟いた。

「全然速くない」

それはもう、つまらなさそうに。

ぷっつんと、何かが切れる音がオレの体内で響いた。

「ダーーッ!!いい加減にしろこの不思議チャン気取りの失礼女!!」

それからはもう、今まで溜め込んできた鬱憤がただ爆発するだけだった。

「お前なァ!!人と話す時は目ェ合わせろ!!聞いてるんなら聞いてるって合図出せ!!頷くか喋るかどっちかにしろ!!エスパーじゃねーからお前が聞いてるかどうかなんてこっちはわかんねーんだよ!!何も反応ない奴にずっと話すのつれーんだよ虚しいんだよ!!それから!!」

人に指をさしてはいけません。んなもん糞くらえだ、と思いながら、ポカンと口を開いている目の前に人差し指を突き付けた。

「はえーから!!オレ!!今週の大会×××で9時からやっから観に来いバァーーカ!!」

そう怒鳴り捨てたあと、オレはそのままペダルを漕ぎ始め、風のように去って行った。







…やっちまった…。

ロードバイクに跨り、ハンドルを握りながら後悔とそして後悔と後悔に襲われていた。どんだけ後悔してんだよ。後悔のサンドイッチか。んなもんに包まれたくねーよ。ついカッとなって犯罪をおかしてしまった犯罪者の気持ちが今なら1ミクロンだけわかる。荒北さんに毎回ぶちのめされてるとは言え、地味な女子に全然速くないと言われて平気なほど、オレのロードに関するプライドは低くなかった。売り言葉に買い言葉、と言うのとはまた違うが。ハァーッと息を吐く。っつーか、あの引き籠りがこんな人が集まる場所に来るはずがない。大方今頃家ですやすやと寝ているだろう。今まで我慢に我慢を重ねて積み上げてきた信頼関係も全てパァ。ボランティア活動一体いつ終われんだ。…あーもう、いいわ。めんどくっせェ。

雑念を払うように頭を振る。集中集中、と頬を叩いて、気合を入れた。




はあ、はあ、と荒い息を口から漏らす。澄み切った青い空を仰いで、んーっと腕を伸ばした。走る前までの雑念はすっかり消えてなくなった。理由は単純だ。優勝したからだ。青空を写したかのように、オレの心は晴れ渡っていた。ッシャッとグッと手を拳にして、勝利の昂揚感で震えていると、ポンッと肩に手を置かれた。振り向くと、穏やかに微笑んでいる東堂さんがいた。

「優勝おめでとう、黒田。見事な登りだった」

憧れのクライマーの東堂さんに褒められて、嬉しくて言葉が詰まる。「っ、ありがとうございます!」と頭を下げた時、どこからかか細い声が聞こえてきた。最近、よく聞くようになった声が。

…いや、まさか…な?

ナイナイ、と心の中で否定する。しかし、その声はどんどん近づいてきた。

「…ちゃん、ユキちゃんは…いませんかあ…」

今にも泣き出しそうな震えた声に、視線を遣ると。そこには声と同様の、今にも泣きだしそうな情けない面をした植原がきょろきょろと辺りを見渡していた。驚愕で目が見開く。

「? 黒田?」

「すみません東堂さん!」

オレは東堂さんに断りを入れてから、人をかき分けて植原に近づいた。「植原!」とでかい声で呼ぶと、植原は泣き出しそうな顔から一変して「ユキちゃん」と安心したような顔になった。

なんでお前ここにいんだよ、と問いかけるよりも早く、植原が先に興奮した調子で言葉を投げた。

「速いね、ユキちゃん、すごい速い、速い速い」

「ばーって、すごかった、ばーーって。すごかった」

「ユキちゃん、速い。すごい、ユキちゃん、すごい」

ガキのように楽しそうに笑いながらいっぺんにまくし立てた後、ふっと顔から表情が消え、植原はへなへなとしゃがみこんだ。ぎょっとしてから、オレも視線に合わせるようにしてしゃがみこんだ。

「は、おい、植原」

膝を抱えながら俯いている植原の肩を揺さぶる。が、植原は何の反応も示さない。どうしたんだよ、と途方に暮れていると「気分が悪いんじゃないのか」と冷静な声が降ってきたかと思うと、東堂さんがオレの隣で地面に膝をつき、植原に優しい声色で話しかけた。

「植原さん、でいいのかな。人ごみに酔ったのかな?」

植原はこくりと小さく頷いた。東堂さんはそうか、と確かめるように呟いた後、オレに真剣な顔を向けた。

「オレは水を買って来る。お前は植原さんをあそこのベンチにでも誘導してやれ」

「あ、はい」

テキパキと指示をするその様は、いつもの騒がしい雰囲気はすっかり陰を潜めていて。頼もしくて。自分の情けなさを突き付けられているようになって、胸に圧迫感を覚えた。すくっと立ち上がって水を買いに行った東堂さんの背中を見た後、「植原」と、依然うずくまっている植原に声をかけた。

「立てるか」

植原はこくりと頷いた。よろよろと立ち上がって、見せた顔色は少し青ざめていた。口元に手を当てながら、ふらつく足でベンチに向かう植原の歩幅に合わせて歩く。植原はベンチに腰を下ろした後小さくか細い声で呟いた。「ごめんね」と。

「ユキちゃん、せっかく誘ってくれたのに迷惑かけちゃった」

「…誘うって…」

あれを『誘われた』として捉える植原、お前はどんだけポジティブな奴なんだ…と呆れる気持ちと、申し訳ない気持ちが沸いてきた。植原が半年間引き籠っていた事情を顧みず、観に来いと適当に言葉を投げつけ、しかも、どうせ来ねェだろと高を括っていた。

「ユキちゃんに怒られた時、意味わからなかったの。お母さんに急に怒られたって言ったら、それは日和のこときちんと見てくれてるからよって。そんな失礼なこと言ったのに誘ってくれるなんて、黒田くんはほんとに良い子ね、って」

きらきらした眼差しでオレを見つめる植原を見て、あまりの買いかぶられぶりように口の端がぴくぴくと痙攣する。マジでそんな良い奴じゃねえ。ムカついた衝動で叩き付けた言葉に植原を思いやる気持ちは1ミクロンたりとも入っていない。少女漫画のヒーローじゃねーんだよオレは。っつーかお前オレとの会話全部母ちゃんに話してんのかオイ。

冷や汗がだらだらと背中を流れている間も、植原はぽつりぽつりと言葉を垂れ流していく。お母さんに車で送ってもらおうと思ったんだけど、お母さんに用事が入っちゃって、一人で来たの、とか。差し入れ持ってきたんだけど電車に忘れてきたの、とか。道に迷った時は死を覚悟した、とか。(大袈裟すぎんだろ)口角を上げ、目を細めて笑うその顔色はまだ青い。

ずっと引き籠って、ろくに人と接してこなかったくせに。わざわざオレのレース観に来るとか。その結果、気分悪くなって。

それなのに。

「失礼なこと言ってごめんね。すごいもの見せてくれてありがとう。すごかった。すごい速かったよ」

植原は、なんだか嬉しそうに笑いながら礼を述べてくるものだから。こんなことなら、もっと丁寧に誘えばよかったと今更な後悔が襲い、歯切れ悪く「サンキュ」と言おうとした時。東堂さんが「黒田、植原さんはどんな感じだ?」と、戻ってきた。

「だいぶマシになったっぽいッス」

「そうか。植原さん、水だ。どうぞ」

東堂さんは穏やかに微笑みながら植原にペットボトルを渡そうとした。しかし、植原は東堂さんを見たままずっと硬直して、受け取らない。東堂さんが「植原さん?」と不思議そうに首を傾げたあと、合点がいったように頷いてから、自己紹介を始めた。

「すまない、自己紹介が遅れたな。オレは東堂尽八。黒田と同じ部活で一つ上だ。登れる上にトークも切れる箱学一の美形で天才クライマーだ!よろしくな、植原さん」

植原が小さな震える声で呟いた言葉をオレの耳は逃がさなかった。植原は恍惚とした声で、こう呟いていた。

「すてきなひと…」

東堂ファンクラブの会員がまた一人増えた。



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