ひだまりのまんなか

  


顔も見たことないクラスメートの母親に友達と勘違いされ、その旨を何故か担任が知っていて(植原の母さんから感謝の電話をもらったついでに知ったらしい)、『これからも頼むな黒田!!』とバンバンと背中を叩かれた。担任の笑顔の圧力、植原の母さんの縋り付くような眼に圧されたオレは、あれから時々植原の家に出向いている。

「あー…プリント持ってきたから」

今日もオレは、顔も知らないクラスメートにドア越しに話しかけた。返ってきたのは静寂。植原の母さんは「ごめんなさいね」と申し訳なさそうに眉を八の字に寄せて謝ってくる。オレも鬼ではないので「や、別にいいッスよ」と心にもないことを笑顔で言う。

「じゃあ、今日もちょっとお話ししてあげてくれる?」

「あー…はい」

「ありがとう、ごめんなさいねえ。はい、これ、今日も良かったら」

植原の母さんは紅茶とケーキが載せられたテーブルトレイを床にそっと置いたあと、「いつもこんなところでごめんなさい。日和もせっかくお友達がきてくれるんだからお部屋にいれてあげればいいのに…」とため息を吐いた。だから友達じゃねーんスよ、と言えればどれだけ気が楽か。代わりに、また上辺だけの「気にしないでください」という気休めの言葉を、笑顔を貼り付けながら言った。植原の母さんは「なんて良い子なの…」と目を潤ませる。辛い。

植原の母さんはオレに「ゆっくりしていってね」と朗らかに言った後、階段を降りていった。オレはドアに背中を預けて座り込む。減量中というわけでもないし、出されたモンを食わねェのは悪いし、何より、フツーに腹減ってるし、っつーことでオレはケーキに齧り付いた。チーズケーキの爽やかな甘酸っぱい風味が口内に広がる。うまい菓子にありつくことができるのは、植原にプリントや授業ノートを届けることで、得られる唯一の利点だ。

植原日和の友達になって、学校に行けるようにすること。それが担任から課された使命だった。クラスから不登校の生徒を出すと教師の評価でも下がるのだろうか。知らねーよ、と一蹴したいところだが、去年野球をかけもちしていた頃、校長室のガラスを派手にぶっ壊し、それだけでも大問題と言うのに、校長が大切にしている花瓶まで若干欠けさせてしまった。それをオレとダチでなんっとか接着剤で欠けている部分を直しているところを担任に見られてしまい、必死に土下座して口止めをしたという弱みを握られているので、反抗することもままならない。クッソあの狸ジジィ…。

友達、ねェ。

チーズケーキをフォークで切り分けながら、ぼんやりと思う。オレは友達作りに困ったことがない。スポーツでは期待の新人と持て囃され、いつでも人の輪の中心にいる。学校を苦痛に思ったことなど一度もない。部活は苦痛というか、荒北のヤローマジ死ね!!と怒りに燃えたことなら何度もあるが。…思い出したらまた腹立ってきた誰がクソエリートだあのクソヤンキーが。突如沸いた苛立ちを、チーズケーキを食うことで紛らわそうとするが、アイツへの怒りはそんなことではおさまらなかった。

っつーか、コイツも。

ドア越しに、植原をぎろりとねめつける。オレは何度か植原との会話を試みた。植原のことを何にも知らないので、専らオレ自身のことを話しかけた。チャリ部入っててさ、とか。ムカつく先輩がいてさ、とか。そういうことをなるべくやんわりとした口調で言った。だが、植原は一言も返さなかった。人に喋りかけられて、無視。なんっつー自己中な女だ。そんなんだから友達できねーんだよ、と怒鳴りたい気持ちが喉まで出てきたが、いつも必死に抑えつけていた。だが、今は、荒北さんへの怒りで包まれていて。かつ、植原を見下しているオレは、こんな奴のために気を遣うなんてバカバカしいとすら思ったオレは、乱暴な言葉を放り投げた。

「なァ、お前プリント持ってきてくれてありがとう、って礼の一つもねえの?オレだって暇じゃねーんだけど」

返ってきたのは、やっぱり静寂だった。またかよ、と舌打ちをする。ハァーッとため息を吐いて、ケーキ食ったし帰ろ、と立ち上がった時だった。ガチャリ、と控えめにドアが開けられた音が後ろから聞こえた。振り向くと、そこには、赤ぶちメガネをかけた地味としか表現のできない女子が立っていた。華奢な体が小刻みに震えている。そいつは、すう、はあと小さく深呼吸をしたあと、絞り出すようにして、蚊の鳴くような小さな声で言った。

「いつ、も、ありが、とう」

少しでも物音をたてたら聞こえなくなってしまいそうな、そんなか細い声で、さらに言葉を重ねた。

「黒田くん、いつも、学校のこと、話してくれてありがとう。わたし、その、いつも、楽しみにしてて、あの、だから、これからも、聞きたい、です」

だからこれからも家に来いって?っとに自己中な女だな、と不快に思う気持ちは次の言葉で吹っ飛んだ。

「また、ケーキ、作る、から」

…え。

ぱちぱち、と驚きで目を瞬かせた後、「え、これ作ったの、植原…?」と、今はないチーズケーキが載せられていた皿に視線を遣ったあと、植原に戻して言う。植原はこくりと頷いた。オレはあんぐりと口を開いた。

「…パティシエか!?」

目の前の特に可愛くもなんともない地味としか言い表せられない、学校にも来れないような女子のことを、ほんの少しだけ見直した瞬間だった。




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