ひだまりのまんなか

  


何言ってんだ、このクソジジィ。

「な?先生と黒田の仲だと思ってさ?」

良い齢したオッサンが手を揉みながらオレに胡麻をすってくる様はただただ気色が悪かった。

「嫌ッスよ。なんでオレがンなしちめんどうくさいことしなきゃなんねーんスか」

「頼むって〜、黒田ってあのド天然の葦木場ともうまく付き合えてるし、面倒見いいし、人気者だし、お前が一番打ってつけなんだって!」

「おだてても無理ッスよ。じゃ、オレ部活行くんで」

くるりと踵を返して職員室のドアに手をかける。オレは荒北さんにぎゃふんと言わせるために日々もう特訓して忙しくて仕方ないのだ。余所見なんてしている暇はない。失礼しました、と心がこもってない形だけの挨拶を口にしようとした時。

「去年、誰がガラスを野球ボールで壊したんだったっけなあ…」

不穏な色を孕んだ声が後ろから聞こえた。ドアを引こうとするオレの動きが不自然に固まった。続いて、「確か、『く』から始まって『だ』のために、ひと肌脱いだ覚えがあるんだけどな〜」と。冷や汗が頭皮から噴出し、項を伝い、背中に流れた。ゆっくりと振り向くと、そこには、ニタァッとあくどい笑みを浮かべているオッサンがいた。


そんなこんなで。オレは同じクラスの不登校の女子のためにプリントを届けることになった。あまりの煩わしさに苛立ちが止まらない。坂を下りながらチッと舌を鳴らした。オレは別にボランティア精神に満ち溢れているような殊勝な奴じゃない。不登校になるような奴の気持ちなんて全然わからないしわかりたくもない。甘えたヤツだと思う。そんな奴のために、オレが、わざわざ部活のあと届けに行くとか。あーくそ、ダリィ、めんどくっせぇ。

ロードバイクを降りて、担任からもらった地図を頼りに、その不登校の女子の家を探す。豪華な家が並んだ住宅街。あーハイハイ、お嬢様ですか、そうですか。だから親が甘やかして不登校になんだよなァ。えーっと、不登校の女子の苗字はっと。ソイツの名前は地図の下に、担任の顔からは想像できないような綺麗な字で書かれていた。

植原日和

植原、植原っと。ロードバイクを押しながらきょろきょろと辺りを見渡すと、眼前に植原とローマ字で書かれた洒落た表札が現れた。表札と同じく、家もこじゃれていた。メルヘンか。サンリオピューロランドか。物怖じしない性質なので、そのまま躊躇せずピンポーンとインターホンを鳴らす。すると、「はあーい」と呑気な女の人の声が聞こえてきた。

「あ、こんちは。植原さんのクラスメートの黒田っていいます。プリント、届けに来ました」

『まあ…!ちょっと待ってて!』

嬉しそうにはしゃいだ声がしたかと思うと、ブツッと電子音が途切れた音が鳴った。ドアが開かれ、「こんにちはあ」とにこやかな笑顔を浮かべて出てきたのはおっとりした雰囲気のオバサンだった。植原日和の母さんで間違いないだろう。ぺこりと頭を下げて挨拶する。門を開けて、植原の母さんは「ここまで来てくれてありがとう!」と礼を述べた。いえいえ、別にいいッスよ、と心にもないことを言う。プリントを渡してさっさと帰ろう、と思った時だった。

「あの子に高校でお友達がいたなんてねえ、さあさあ、上がって!」

…は?

ポカンと口を開けて呆然とすることしかできない。植原の母さんは「どうぞどうぞ」とオレの腕を掴んで、強引に門の中に引っ張り込む。は、ちょっ、おい、こら。これが葦木場なら一発でも二発でもぶん殴ってやめさせるのだが、流石にクラスメートの親に手を挙げることは常識人のオレにはできない。やめてくださいと強く言うこともできず、オレはされるがままに家に連れ込まれてしまった。昼ドラか。人妻んちに連れ込まれるって昼ドラか。

植原の家はフローラルな香りに包み込まれていた。日和の部屋、二階なのォ、と嬉しそうに言いながら、オレを二階へ案内する。いや、案内しなくていいから。帰らせてくれマジで。とは言えず、「ハァ」と要領を得ない返事をしてしまう。

気付いたら日和とローマ字で書かれたプレートがぶら下がっているドアの前に、オレは立っていた。どーなってんだこりゃ。冷や汗が噴き出た背中に張り付いたシャツが気持ち悪いったらありゃしねェ。

「日和〜、お友達がきたわよ〜」

友達じゃねーよ!!一回も喋ったことねーし、っつーか顔も知らねーから!!

今すぐそう怒鳴りつけたい気持ちを必死に抑えつけ、オレはドアの向こうにいる顔も知らないクラスメートに向かって言った。

「…あー、その、…プリント、持ってきたから。…学校、来いよ」

投げやりに、上辺だけの気遣いの言葉を吐く。返答はなかった。しかし、オレの隣で、植原の母さんは嬉しそうに目を細めている。

「ありがとう、本当に。…黒田くん」

「あ、はい…え」

植原の母さんはオレの手を両手で包み込んだ。はっ、ちょっ、え。植原の母さんは「心配してくれるお友達がいたなんて、ほんとに良かった」と涙ぐんでいた。いや、だから友達じゃねーから。

「またこうやって来てくれる…?」

自分の母親と同じ年頃の女の人に、潤んだ瞳で懇願されて。めんどくせーからやだよ!!と断れる男子高校生がどこにいるだろうか。少なくとも。

「ハ、ハハハ…もちろん…」

スポーツ万能という事以外、一般的な常識人であるオレには、到底言うことができなかった。無理矢理上げた口の端が引きつって苦しい。




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