ひだまりのまんなか

  



地球には毎日新しい人間が生まれそして死んでいく。
一人増えようが減ろうがわたしの人生には全く関わりのないこと。
今日もわたしの世界は通常通り回っていく。

ぼけーっと肘をついて空を眺めながら、今日が休日で良かったとそっと胸を撫で下ろす。休日だけど、わたしは講習で学校に来ている。黒田くんも学校にいることはいると思うけど部活中だろう。顔を合わせることはない。

ノートの上にシャーペンを走らせて無意味な円を描く。月曜日になったらどうしようか。普通に接することができるように頑張らないと。今までが近くにいきすぎたんだ。普通の、クラスメートの男女としての距離感で接すれば大丈夫だろう。

…普通って、なんだっけ。

手を離すとシャーペンはころんとノートの上を転がる。その時、チャイムが鳴った。



「これとこれとあとそれと…あ、そのお美しい笑顔のもください」

真っ直ぐ帰る気にもなれず、わたしは写真部に立ち寄った。東堂様のお写真を売っている。東堂様ご本人がびしばし写真を撮っていいぞと許可をくださったので肖像権とかそういう難しい問題はクリアーされている。わたしは何かに憑りつかれたようにして無心で東堂様のお写真を買い終えると、中庭に行ってベンチに座り、封筒から写真を抜き出してむふふと笑う。

はあ、お美しい。目の保養。

うっとりとしながら写真を捲っていく。東堂様メインに撮っているけど、時折違う人も入っている。あ、『まなみ』くんだ。ファンクラブの友達が可愛い可愛いと喚いていたから知っている。わたしは年下は対象外なので特に何も思わなかった。でも確かに愛らしい顔立ちをしているな、とは思う。女の子だったらとんでもない美少女だっただろうなと、またぱらりと捲ると驚きで目が見張り、言葉に詰まり、手から力が抜けて写真がばさばさと地面に落ちた。

心の準備してない時に、出てこないでよ。

偶然映っただけの黒田くんに理不尽な怒りをぶつけてから、大仰に溜息を吐いた。

ベンチから腰を上げ、しゃがみこみながら拾い上げていく。最後の一枚を取ろうとすると、一陣の風が吹いてふわりと写真を舞い上げた。慌てて掴もうとするが、すかっと空振りに終わる。ふわりふわりと風は写真を運んでいく。

「へ、ちょっ、待って…!」

走って追いかけていくと、誰かが頭上に腕を伸ばし、写真を掴んだ。
その人は。

「お、オレの写真だ」

「うわ、キモ」

「キモくはないな!」

東堂様は荒北さんに一喝したあと、しげしげと写真を見つめながらほうほうと呟いた。硬直しながら凝視しているわたしの視線に「む」と気付いた東堂様がにっこりとほほ笑みかけてきてくださった。

血液が沸騰した。

「植原さん、部活に入ってたのか?」

「い、い、い、いえ、は、はい、入ってません」

「なら何故…、ああ講習か。偉いな、植原さんは」

優しい笑みを浮かべながら、慈しむような眼差しを向けられて、思考回路はショート寸前。今すぐ会いたいよ。泣きたくなるようなムーンライト。という感じだ。本当に思考回路がショートして自分が何を考えているか自分でもよくわからない。

「い、いや、そそそんな、勉強は学生の本分ですし」

顔の前でぶんぶんと手を振りながら滅相もないと謙遜するが、東堂様は「いやいや」と首を振った。

「それがわかっててもできないんだよ。なァ、荒北?」

東堂様はちらりとからかうように隣の荒北さんを見て、口角を上げて笑う。荒北さんはチッと舌を鳴らしたあと「オレは後から巻き返すからいいんだよ」と面白くなさそうに言った。

「と、と、と、東堂様と、荒北さんはご休憩中ですか?」

「ま、そういうところだな。植原さんはもう帰りか?」

「は、は、はい」

こくこくと首を縦に動かすと、荒北さんが「オイ」と高圧的(そうわたしには見える)に声をかけてきた。びくっと萎縮しているわたしに構わず、そのまま続ける。

「お前、黒田になんかあったか知ってる?」

目を見張って、荒北さんを凝視する。何かを確かめるようにして伺う瞳でわたしを見下ろす。何もかも白日の下に晒すような強い光りを宿した目が眩しくて、少し顔を逸らした。

「…知りません」

「ウソだな」

ぼそっと答えると間髪入れずに否定された。多分、通用しないと思っていたけど瞬時に否定されるとは。だから、苦手なの、この人。顔を下に向けて下唇を浅く噛んで口を噤む。

「ンな嘘つくってこたァ、お前が関係してんだな」

だんまりを決め込んでいると大きく舌を鳴らされる。びくりと震えた肩に、ぽんっと優しく手を置かれた。恐々と顔を上げると、ろ過されたように澄んだ瞳が柔らかくカーブを描いていた。

「…話せる範囲でいいから、聞かせてくれるかな?」

何もかもを見透かしてしまいそうな瞳に優しく穏やかな物言い。ふわりと心が和らぐ。こくりと頷くと「ありがとう」と頭をぽんぽんと撫でられた。思考回路がショート寸前どころかショートしてしまったわたしは、視界の端っこで荒北さんがウワァーと引いていたことに気付かなかった。



「…終わり、です」

たどたどしく説明を終える。すると、荒北さんがクッと喉の奥で嘲笑った。

「ざまァねえなァ、あんの糞エリート」

…この人すごい悪人面…。荒北さんの顔を見て、しげしげと思った。隣にいるのが東堂様だからか、こう、お顔の落差が…すごい…。

それにしても、何で『ざまァねえなァ』なんだろう。わたしは首を傾げる。鬱陶しく思っていたわたしから離れられたのだ。黒田くんにとって良いことだろう。黒田くんにとって悪いことなんて、ひとつも起こってない。

「それから、黒田から連絡は何もない、と」

東堂様が真剣な面持ちで問い掛けてきて、こくりと頷く。東堂様はそっと瞑目し、ハァーッと嘆かわしげに溜息を吐いた。

「女の扱いならオレに聞けと日ごろからあれほど言い聞かせているというのに…」

「DTに何を聞くことがあんだよボケナス」

「でぃー…てぃ…?」

「ワハハハ!DTとはドリンクティーの略さ植原さん!」

初めて聞いた単語に首を捻ると、東堂様が大仰に笑い声をあげてから丁寧に説明してくださった。ドリンクティー…紅茶のことかな…。

「あの、東堂様」

手をくみながら、東堂様を見上げる。ん?と優しく微笑んで相槌を打ってくださった。

「何人と付き合ったこと、ありますか?」

東堂様の笑顔にぴしりと亀裂が走り、空気が静まり返った。それを破ったのは、荒北さんの破裂音のような笑い声だった。

「アーッハッハッハっ!ギャッハッハッ!ひー!答えてやれヨ東堂様ァ!!何人と付き合ってきたァ!?女のことならオレに聞けだもんなァ!!アッハッハッ!」

荒北さんはお腹を抑えながら、ひいひい笑っている。涙まで流していた。この日と笑い方まで下品…と白い目を荒北さんに向けていたので、俯いてぷるぷると震えている東堂様の異変に気付かなかった。

「…植原さん」

ぽん、と丁寧に肩に手を置き、東堂様はわたしに視線を合わせるようにして膝を折った。

「人数なんて関係ないさ」

切々とした思いが込められた、優しい声だった。

その背後で、ブーッと荒北さんがまたもや吹き出し、掠れた声で「死ぬ」と漏らしていた。

確かに、そうだろう。それが正論だ。人の交際経験が何回だろうが、わたしには関係ない。

そう、だとしても。

「…でも、わたし、」

手を拳に変えて、力をこめる。掌に爪が食い込んだ。

「黒田くんに、二人、付き合ってた子がいたのを知った時、すごい、ショックだったんです」

東堂様の目が僅かに見開かれ、荒北さんの笑い声がやんだ。静けさに包み込まれていく中、わたしの小さな声がぽつりぽつりと落とされていく

「嫌ってだけなのに、話した子もない子と付き合うとか軽いとか、難癖つけて、黒田くんに嫌な思い、させちゃって」

熱く湿った息が喉を震わした。ぼやける視界を払うようにごしごしと瞼を擦ってから、ぐすっと鼻を鳴らす。

もともとお情けで、一緒にいてあげた人間に、軽いだの不潔だの横から口を出されたら、そりゃあ腹が立つだろう。

また、視界が滲んできた。涙をとめようとごしごしと強く擦ると、やんわりと手首を掴まれた。開けた視界に映るのは、柔らかく微笑んだ東堂様のご尊顔。呼吸を忘れるほどに見惚れていると、東堂様は微笑を湛えたまま、ゆっくりと口を動かした。

「デート、してくれないか?」

…。

……。

………。

思考回路が爆発し何も発せないわたしに代わって、荒北さんが言ってくれた。

「ハァ?」




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