ひだまりのまんなか

  


初めてピーマンを一つも残さないで食べられた達成感からふんふんと鼻唄を鳴らしながら、てくてくと歩く。満腹のお腹を摩りながら「ユキちゃん、」と視線を上にずらしながら、友達の名前を呼んだ。

「次、なにする?」

「あー、何か行きたいとことかある?」

「どこでもいい」

「でたよ一番困る答え」

む、と眉間に皺が寄る。だって、どこでもいいんだからしょうがないじゃん。と、睨みつけるわたしを意に介さず「んじゃ、ゲーセンでも行く?」と訊いてきた。ぱちり、と瞬きをひとつしてから、さあっと顔から血の気が引いていくのを感じた。一歩、ユキちゃんから身を引いて、震えながら小さく叫ぶ。

「ふ、不良…!」

「は?」

「だ、だって、子どもだけでゲーセン行っちゃいけないって夏休みのプリントに、」

「小学生か!それあれだろ、夏休み直前に配られるプリントで子どもだけで花火しちゃいけませんだのプール行くなだの遊戯王カードの交換には気をつけろだの書かれてるやつだろ!」

「も、もう行ってもいいの?」

下からユキちゃんの顔を覗き込み、恐々とたどたどしい口調で問いかけると、ユキちゃんは「いいに決まってんだろ…」と呆れたように見下ろされてから、ん?と首を傾げた。

「っつーことは、お前ゲーセン初めて?」

「うん」

「マジか。今まで何して友達と…、やっぱいいわ」

途中で言葉を打ち切り、「じゃ、行くか」と方向を転換して、さっさと歩きはじめるユキちゃんのうしろに、とことこと着いて行く。なんだかピクミンみたいだ。ユキちゃんに引っこ抜かれて、ついて行くピクミン。ピクミンは、ついて行くだけでしあわせなのだ。オリマーさんにとっては、仕事に必要な道具なだけなのかもしれない。けれど、ピクミンは。ピクミンにとっては、オリマーさんは穴に籠っていた自分を引っこ抜いてくれた、唯一の人。

わたしよりも大きな背中をじいっと見据えながら、ピクミンもこんな感じでオリマーさんを見ていたのかなあと、ぼんやりと思った。




ひええ、と情けない悲鳴がとあるゲーセンの一角で響いていた。

「やだあー!来ないで!!来ないで!!来ないで!って!ばあ!!」

ゲーセンはもともと薄暗いけど、トラックに見立てた狭い小部屋は一層暗く、狭い。薄く目を開くと、画面には大量のゾンビが映っていて、恐怖からひっと叫んでしまい、ぎゅうっと目を閉じながら、引き金を引く。引きまくる。ズドドドドと銃弾が乱射される音、ゾンビの悲鳴が辺りに轟く。コンプリート!と流ちょうな英語が終わっても、わたしは奇声を発しながら引き金を引いていた。

「植原、もういいって」

「うわあああ」

「だからもういいって」

「むりむりむりわたしゾンビになりたくないむりむり」

「もういいっつってんだろ!」

ぐいっと手首を掴まれ、膝の上に下ろされた。へ、と目を開けると、すぐそこに呆れ顔のユキちゃんが。親指で画面を指しながら「圧勝だよ、圧勝」と、言った。

「お前、ランキング一位」

「へ」

どこどこ、とお尻を持ち上げてユキちゃんに身を寄せる。少し、息遣いが乱れたような気がして、ユキちゃんを見ようとしたら、「ほら」と、少し浮ついたように言いながら、ユキちゃんが人差し指を向けた空間の先に、ローマ字で表記されたわたしの名前が点滅していた。

「わたし、最強ってこと?」

「…二位と百点差だし、そうかもな。植原これやんのマジで初めて?」

「うん」

「マジか」

事実をしれっと答えると、ユキちゃんはがくりと肩を落とした。あっという間にオレのスコア超しやがった…と、こめかみを手で抑えながら悔しそうに呟くユキちゃんがなんだか面白くて、ふふんと挑発的に胸を張って踏ん反り返った。

アトラクションから出ると、わたしはまたもやユキちゃんの服の裾をちょいと摘まんだ。ゲーセンは楽しいところだとわかったけど、それでもやっぱり、怖い。薄暗い照明とか、派手な男の子達の大きな笑い声とかに、萎縮してしまう。ユキちゃんもそれをわかってくれているのか、摘まんだ時、ちらりと視線をわたしに寄越してから『あー、ハイハイ』とどこか呆れたように一言零しただけで、それ以上は何も言わなかった。

「マリカするか?」

「ゾンビ襲ってこない?」

「お前襲われても片っ端からぶっ殺せんじゃん」

「怖いものは怖い」

「はいはい。こねーよ。怖くねえから」

安心を与えてくれるような柔らかい微笑みを向けられて、安堵が広がり「じゃあ」と頷くと「こっち」と、ゆるやかに体の向きを変える。こなれた足取りでさくさく進んでいくユキちゃんの裾を抓みながら、ピクミンのように着いて行った。

十分後、ユキちゃんはハンドルに顔を突っ伏しながら、「…嘘だろ…」と、力なく呟いていた。ユキちゃんは決して弱くはない。速い部類に入るだろう。ただ、わたしがもっと速かっただけだ。キノピオのように鼻を伸ばしながら、胸を張り、腕を組む。ユキちゃんはハンドルに頭を乗せたまま、顔を向け、遣る瀬無さそうに問いかけてきた。

「…お前、マジで…、」

「初めてだよ」

得意げに口元を綻ばせ、自信満々に言うと、「…マジか」と明らかにショックを受けている声色で呟かれ、さらに自尊心が満たされた。再び、ハンドルに顔を埋め「ちっくしょお」と掠れた声で呻いているユキちゃんを呼んだ。

「おおきくなったら、ドライブ連れてってあげるね」

CMで可愛い女優さんが乗っているような車を頑張って買って、助手席でユキちゃんがあーだこーだ文句をつけながら乗っていて、後ろにはたっちゃん。そんな未来予想図を描いていると、自然と朗らかな声色になった。ハンドルに乗せたまま、緩慢な動作でごろりと顔をわたしに向け、疑わしそうな眼差しで見てきた。

「死にたくねえからやだ」

「もういい。たっちゃんとふたりで行く」

「葦木場殺すつもりか」

「殺さない!」

わたしのハンドル捌きに負けた分際で…!と、憤然とする気持ちを、手を拳にすることで表現する。わなわなと震える二つの拳を、ユキちゃんはじいっと観察するように見ていた。

「お前よくそんなんで掴めんな」

「なにを」

怒りからつっけんどんな口調で返すと、「そんなんで」と、人差し指で、わたしの拳を指してきた。

「シャーペンとか、銃とか、ハンドルとか」

淡々とした声色で切れ切れに疑問を投げかけてくるユキちゃんの瞳に、ゲーセン特有の仄暗い明かりが宿っていた。

「んー」

そう言われて、自分の掌を丸めたり広げたりしながら見つめる。ぎゅっと拳に丸め直してから、ユキちゃんに言った。

「掴めてるよ。タマゴも割れるし」

「ゾンビもぶっ殺せるしな」

「その言い方やだ。可愛くない」

「東堂さんに言っとくわ」

「やめて」

「植原はゾンビぶち殺せる超サイヤ人も吃驚の女つっとく」

「やめてー!!」



トイレに行ってくる、とユキちゃんが言い残した後、わたしはひとり、UFOキャッチャーと格闘していた。透明のガラスの箱の中で眠っている黒猫のぬいぐるみを獲得しようと、目下奮闘中だ。これを取って、口止め料としてユキちゃんに渡す。これをあげるから、どうか東堂様にわたしがゾンビに勝てるような剛腕の持ち主ということを言わないでほしいとお願いするしかない。目を凝らし、目標との距離を目分量で鷹のように眼光を鋭くして睨むように図りながら、慎重に捜査していく。

…今だ!

タイミングはばっちりだった。アームは黒猫の首輪を引っ掴み、猫は首つりでもしているかのような不穏な体勢で運ばれていく。がごんとアームが開いたあと、ぼとりと何かが落ちる音が響いた。うきうきわくわくしながら半透明の蓋を開くと、そこには眼つきの悪い黒猫が顔面を床に突っ伏せて、存在していた。きゃー、と小さく歓喜の声を上げてから引っ張り出す。両手で持ち上げながら、黒猫のプラスチックで出来上がった目と視線を合わせる。なかなか可愛い。ブサ可愛い。わたしの趣味じゃないけど、これならユキちゃんも喜んでくれるだろう。ふふ、と笑いを零してから、ぎゅうと抱きしめるとふわふわの感触がくすぐったくて、更に笑みが零れた。きょろきょろと辺りを見渡す。ユキちゃん、まだトイレなのかな。ぬいぐるみを抱きしめたまま、男子トイレに向かうことにした。

「お前バッカじゃねえの!」

「うっせーよバァーカ!!」

ギャハハハ、と大きな笑い声にぴくりと体が反応してしまう。笑い声の持ち主たちに、気付かれないようにしてちらりと盗み見ると、同年代と思われる子達が男女混じって楽しげに笑い合っていた。さっきまではUFOキャッチャーに集中していた。もう少し前は、ユキちゃんを掴んでいた。だから、怖くなかった。けど、こうしてひとりでいると、放り出されたような孤独感を覚え、不安を紛らわすために、ぬいぐるみを抱きしめる腕に力をこめて、俯いた時だった。

「泉田も元気?」

「元気元気、どんどんムキムキなってる」

楽しげに笑う、ユキちゃんの声が前方から聞こえ、顔を上げた。そこには、わたしの知らない男の子達と、声色同様に楽しげな笑顔を浮かべているユキちゃんが立っていた。

どくりと響く鼓動がやけに大きく聞こえた。

ユキちゃんは懐かしむような表情で、中学生の時のことを楽しそうに話していた。二年の時、球技大会で大活躍した話だとか、先生にこっぴどく叱られた話とかを、わたしと一緒にいる時よりも声を大きくして、明るい声色で、話している。さっき、すれ違った人達と、少し近いテンションで話していた。わたしと話している時は、もっと落ち着いている。ツッコミの時はともかく、普通の会話の時は、呆れたように諭してきたり、笑ったり、少し大人びた言動をしている。

ぎゅうぎゅうとぬいぐるみを、綿が溢れ出てしまうのではないか、というくらいに抱きしめる。

ユキちゃんは人気者だ。友達どうやって作ろうとか、どうやって話そうとかで、悩んだことはないのだろう。天性の明るさを放っている。わたしとは違う、と、今更な事実を突き付けられただけなのに、どうしようもない孤独感を覚える。

実際、たかだか3メートルぐらいしか離れていないのに。それ以上の距離があるようで。ああ、遠いなあ、と、別世界の人たちをぼんやりと眺めた。

「…って、植原」

聞きなれた声に苗字を呼ばれて、はっと弾かれたように離れかけていた意識が引き戻された。

友達に囲まれたユキちゃんが、はあ、と溜息をひとつ零してからわたしに言った。

「お前どこ行ってたんだよ。電話してもでねーし。どうせ映画館の時からサイレントモードにしてたとかそういうオチなんだろ」

…ほら。

やれやれ、と言った調子で話しかけられることに、劣等感を覚える。下唇を噛んで黙り込んでいると「…植原?」と怪訝そうに呼んでくる。それに答えず、俯く。視界に、お気に入りの茶色のショートブーツが映る。根がはったかのように微動だにしない足元。周りの会話が耳から耳を通り抜けていく。

「あー、ったっく!」

めんどうくせえ!と、投げやりに荒げた声だけを、鼓膜が捕えた。気付くと、視界にスニーカーが入ってきて、え、と顔を上げた時にはユキちゃんの背中があった。ぱしりと掴まれた手首に、ユキちゃんの体温を感じる。

ユキちゃんはわたしの手首を掴んで、ずんずんと淀みなく足を進めていく。

ああ、これ、あの時と、同じだ。

遠足の班決めの時、入れての一言が言えなくて、どうしていいかわからなくて、うじうじと立つことしかできないわたしを、輪の中へ引き込んでくれた時と、変わらない優しさを、わたしにくれる。

悲しいことなんてなにひとつない。
それなのに。胸の奥が熱い。今にも、泣き出してしまいそう。

「コイツ、オレの高校の友達」

わたしを人差し指で指しながら、荒っぽく、少し照れ臭そうに早口で喋ってから、「おら、自己紹介しろ」と肘でつんつんとせっついてくる。

「あの、」

知らない男の子達に興味深そうに見下ろされて、緊張で言葉に詰まる。あの、その、えっと、と意味を為さない言葉を並べながら、自然と手が動き、ユキちゃんの服の裾をつまんだ途端に、震えている足元にすうっと力が入っていった。

…あの時は、ろくに笑うことができなかった。知っている人にしか心を許した人にしか笑えない。あの頃から何一つ成長してないなんて、そんなの、いやだ。

すうっと息を吸い込んで、吐く。だいじょうぶ、だいじょうぶ、と胸の内で唱える。

だって、となりに、ユキちゃんいるんだから。

その呪文は『だいじょうぶ』50回分の効力を持っていて、わたしを安堵の中に溶けさせていく。

…不思議だ、ユキちゃんは。

小さく心の中で呟いてから、にっこりと笑顔を浮かべた。

「こ、んにちは、植原日和です」










「おっも」

20冊分の漫画が入った紙袋を受け取ったユキちゃんは、辟易したような視線を紙袋に向けながらぼやいた。わたしかグッと丸めた拳に力を入れながら、「すっごく、面白いから!」と力説する。

時間も時間ということで、わたしはユキちゃんに家まで送ってもらった。家に到着した瞬間、今ここで漫画を渡したらいいんじゃ?と思い立ち、わたしはユキちゃんに今日観た映画の原作を無理矢理押し付けることにしたのだった。

「映画はね、結構端折られちゃってるから、ユキちゃん泣けなかったんだと思うの。映画も良かったけど、やっぱり原作だよね。原作は映画の5倍泣けるから、ほんとにほんとに、お勧めだから。野球部もいるから」

「野球部まで手ェ出してくんのかよ」

ユキちゃんがげんなりと表情を歪めた時、街灯に電気が灯った。帰るころは、オレンジ色の割合が大きかった空もすっかり濃紺が幅を利かせていた。ユキちゃんは街灯に眼を遣ってから、わたしに視線を戻す。

「じゃ、帰るわ」

そう言って、身を翻そうとしたユキちゃんの裾をちょんと摘まんで、とどまらせた。

「…なんだよ」

少し煩わしそうに振り返ったユキちゃんの眼前に、ずずいと猫のぬいぐるみを突き出した。

「あげる」

「あげる、って」

ぬいぐるみに隠れていて、ユキちゃんの顔がよく見えない。けど、声から戸惑っていることがわかる。ぐいぐいと押し付けると、息をひとつ零してから、ぬいぐるみを受け取った。

「お前、これ、自分で取ったやつだろ。いいのかよ」

「うん。口止め料」

「は?」

「東堂様に、わたしが強いってこと言っちゃ、ダメだよ?」

体を少し前に倒し、覗き込むようにしてユキちゃんをじいっと見上げながら念を押す。ユキちゃんはぱちぱちと瞬いた後「…わーったよ」と、不貞腐れたように返した。よしよし、と満足げにうなずく。

「…じゃ、マジで帰るわ」

「うん。バイバイ」

「おう」

くるりと踵を返し、どんどん、ユキちゃんが遠ざかっていく。さっきまで、手を伸ばしたらすぐそこにあった背中は、もう届かない場所にある。

「…ごめんね」

ぽつりと、届けるつもりのない謝罪を、小さく漏らした。ユキちゃんの背中はもう見えない。見えないからこそ、言った。

遠回りをして帰った。そっちよりも、こっちの方が近道なの、と2回、嘘を吐いた。1日中遊んで、すっかり疲れ切っていたのに、それでもなんだか、帰りたくなくて、気付いたら、嘘を口走っていた。だから、ユキちゃんが来た道を辿っていく形で帰ってしまうのだとしたら、遠回りをすることになってしまう。

…明日、お菓子あげよ。

胸に残る罪悪感をかき消すように、少し大げさな動作で身を翻し、体を門に向ける。もう一度、振り返る。ユキちゃんの姿がそこにいないのは当たり前のことなのに、さびしさで、胸が疼いた。




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