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「…え…?」

そろそろ帰ります、と腰を上げた時。私は驚きに値する言葉を玲さんに言われた。

「あなたも式に出てくれない?」

と。

「一人くらい増えたところで構いやしないわ。翼の恩人だもの。すごく感謝してるの。お礼といったら…、いえ、お礼ではないわね。よく知らない人間の結婚式なんて面倒くさいものね。お礼でもなんでもないわね。これ、ただの私の我が儘だわ」

翼さんの思い人である女性、玲さんはそう言ってにっこりとほほ笑んだ。

「私、でも、ご祝儀とか用意してないですし…」

「いいわよ、そんなの。言ったでしょう?ただの私の我が儘って。明日用事があったり、どうしても嫌だったりしたらいいんだけど」

駄目かしら?と眉を下げて困ったように笑う玲さんを見てから、翼さんに目を遣る。玲はしょうがないなあ、と言うかのように、ふうっとため息をついてから微笑んだ。慈愛の満ちた眼差しで玲さんを見ている。

ちくん。

胸の奥に針が触れたような痛みを感じる。

これ以上ここにいたら、玲さんのことを特別に想う翼さんの姿を否応なしに見てしまう。この痛みをもっと感じ続けなければならない。

断って、帰るべきだ。

頭の中で危険信号がなっている。これ以上自分を傷つけるな。苦しみたくないだろう?と、語りかけてくる。

でも、翼さんは、明日。大好きな人が、自分以外の誰かと結婚するのを目の当たりにしなければいけないんだ。

ずっとずっと想いつづけてきた人が、自分の手の届かない遥か遠くに行くという苦しみを、明日、味わうのだ。

わが身可愛さに、苦しんでいる翼さんから目を逸らして帰るという選択は間違っていないと思う。誰だって自分が可愛い。自分の心を守るのが得策だ。得策、だけど。

ああ、私はやっぱり馬鹿だなあ。

「出席させて、いただきます」

深々と頭を下げて、了承した私は先輩にヤリ捨てされたあの頃から何ら変わらず愚かだけど。

でも、こういう風に、愚かな自分は嫌いじゃない、と思った。









「翼がまさか年下の女の子に手を出すなんて…」

「あ〜こりゃファンクラブの子号泣だな〜」

「俺に流せファンを俺に流せ頼むひとりでいいから」

えーっと、その、これは。

気付いたら翼さんの友達がたくさん集まっていた。最初は褐色の肌色の人が現れて、私を見るなり「へえ〜」と、にやっと口角を上げた。それからドレッドヘアーの人やら関西弁の男の人やらにいつのまにか私は取り囲まれていた。

「お前らあんまたかるな、怯えている」

「翼が呼びつけたくせになんだよ」

「そうやそうや!」

「俺まで呼ぶんやからな〜ほんま切羽つまってたんやな、姫さん」

金髪の関西弁の男の人、藤村さんが意味ありげに翼さんに笑いかける。

どういうこと?

私の頭上のハテナマークが見えたのだろうか、翼さんが説明してくれた。

「いつまで父さんに叱られるかわかんない状態で母さんと二人っきりで過ごさせるのもなんだかと思ってさ。母さんに変な誤解されて春花に飛び火したら可哀想だし。ま、それは大丈夫だったようだけど。藤村こっちに来ているって聞いていたからさ。コイツ口だけはぺらっぺら動くから、春花と母さんのぎこちない雰囲気払しょくしてくれるだろうと思って呼んだんだよ。あとはまあ…藤村が来なかった時の保険」

つまり、そうか。私のために呼んでくれたんだ。
要約するとそういうことになる。

胸が熱くなっていて、掠れるようにしかでなかったお礼の言葉は、覆いかぶさるようにして入ってきた井上さんの言葉によって隠れてしまった。

「なんやそれつまり春花ちゃんのためってことやん〜、ア〜こういう気遣いがモテる秘訣なんか!?」

「お前はそれ以前の問題だろ」

黒川さんが容赦ない一言を入れて井上さんは「なんやて!?」と怒りを表すが、周りの人々は大笑いをしている。翼さんも声をあげて笑っていて、楽しそうで、つられるようにして私も笑ってしまった。

「お、やっと笑ったなあ」

声の先に目を遣る。見上げる。その先には藤村さんがいて、私と目が合うとにっこりと目を細めた。緊張していて気付かなかったけど、この人、とても格好良い。さっきとは違う意味での緊張が生まれた。

「ずーっとなんかビクビクしてたもんなあ。そりゃあこんなでっかい家に連れてこられて、知らん人間にばっかり囲まれてたら緊張するよな〜。ほら、これでも飲み」

どこから出したのだろうか。藤村さんは私の手に缶を持たせた。大きな手が私の手に触って、骨ばった指が男らしくて、意識してしまう。

「あれ、どしたん?顔あかいで?」

覗き込むように聞かれた。

か、顔が近い…!

意志の強そうな瞳がすぐそこにある。しかもまだ缶を持たせようとしている最中だから、私の手に触れていて。

あ、うわ、なんか眩暈してきた…!

「んー?どした…っいでででででで!!」

あわあわとパニック状態になっていると、突然藤村さんが少し後退した。突然のことに驚いて、瞬きを数回してから状況を冷静に確認できるようになった。翼さんが後ろから藤村さんの耳を引っ張ったのだ。

「なにすんねん姫さん〜。ちょっとからかっただけやん〜」

藤村さんは耳を抑えながら涙目で翼さんを抗議する。

「ちょっとだァ…?今のセクハラで訴えられても仕方ないよ?春花どうする?金なら俺が出すからコイツ訴える?腕のいい弁護士連れてくるよ?」

にっこりと綺麗な笑顔で語りかけてくる翼さんの周りから黒いものが放たれている。怖い。私はぶんぶんと首を左右に振った。ちぇっと翼さんは口惜しそうに唇を尖らす。恐ろしいよこの人。

藤村さんはちっちっちっと言いながら声に合わせて指を三回振った。

「あんな、姫さん。セクハラってのはな〜相手が嫌がって初めて成立すんねん。春花ちゃん、しょうみそんなまんざらでもなさそうやったで?」

そう言ってから「なあ?」と私に振ってくる藤村さん。とても自信に満ちている顔だ。とても正直に言うと、嫌ではなかった。それどころか、多分、ちょっと…嬉しかった。翼さんの友達じゃなかったら怖かったと思うけど、翼さんの友達だから安心感も働き、こんな格好良い人に、翼さん以外にあんなに近づかれたの初めてで…あああ私って駄目なやつ…。

否定できないで「そ、その…」と言葉を濁していると。ピシッと音が鳴った。

ん?何の音?

そのあとにインターホンの音が続いたのだが、インターホンの音に気付けないほど怖い光景が私の目の前で起こった。

「俺さあ…合気道とか空手やってたの、覚えてる…?」」

今まで見てきた翼さんの笑顔の中で、最上級に綺麗な笑顔。だが、ポキポキと指の関節を鳴らして仁王立ちしている様はさながら阿修羅のようで、飄々としている藤村さんのこめかみにも冷や汗が滲んでいた。それくらいの怖さと迫力を兼ねていた。

「お、覚えてますよ、椎名くん」

姫さん呼びじゃなくなった。藤村さん、本気で危機を覚えている。

周りのみなさんは口の端をひくひくと痙攣させたり、あちゃーと顔を覆ったりとしていて、とめる気配はない。そんな殺伐とした雰囲気の中に、ひとつの朗らかな声が割って入ってきた。

「すみませーん、遅くなりました〜。おひさしぶりです!」

その声の持ち主の人物は、声に似つかわしい人懐っこい笑顔を浮かべていて。でも全員に一気に視線を注がれて、「そ、そんなに見られると…」と、今度は少し照れ臭そうな笑顔に変わった。

「…あー、もう、いい。将」

翼さんは毒気を抜かれたかのように、間接を鳴らすのをやめて、手をだらりと下ろしてから、可愛らしい男の人に声をかけた。

「春花…こいつ、ちょっと外に連れてって。ここにいるとコイツが危ない」

私の背中をとんっと、可愛らしい男の人に向かって優しく押す。

可愛らしい男の人は私を見て目を見張ったあと、「そうか。君が…」と呟いた。にっこりと可愛い笑顔をまた浮かべて、「じゃあ、いこうか」とドアを開いて「どうぞ」とエスコートしてくれた。ほわほわとした暖かい笑顔に癒される。

「危ないってなんやねん」「っていうかお前が呼んだんだろーが!」「女子大生と交流させろー!!」「陰険男!!」「お前ら死にたいの?」

このような声を背後に、私達はリビングを後にした。



「こんばんは。はじめまして。僕、風祭将っていうんだ」

「は、はじめまして倉橋春花と申します。…風祭さんもサッカー選手なんですか?」

「うん。君は大学生なんだよね?」

「はい」

…会話が終わってしまった。口下手であることが申し訳なくて、つまらないと思っているのだろうかと反応を伺うが、風祭さんはにこにこと笑っている。会話がないのに気まずい沈黙が流れず、穏やかな雰囲気だ。初めて会ったのに、一緒にいるのが心地よく感じる。私は人見知りなのに。

てくてくと少し歩いてから、私は「あの」と風祭さんに声をかけた。

「翼さんとはいつから友達なんですか?」

風祭さんは瞬きをしてから、ああと合点がいったようにうなずいて「んーっと…中学からかな」と答えた。

「そうか、友達、かあ」

「友達じゃないんですか?」

「翼さんにはいつも世話をやかれっぱなしだったからね。なんだろう、友達というか、もう一人の兄ちゃんみたいな感じに思っていた、のかも」

ははっと照れたように笑って、頬をぽりぽり掻く風祭さん。

「…翼さん、昔から面倒見がよかったんですね。私も、たくさん面倒見てもらいました」

「翼さんも、君にたくさん面倒見てもらったって言ってたよ」

「…え?」

目を真ん丸くして、風祭さんを見ると、穏やかな微笑を浮かべていた。ゆっくりと「本当だよ」と言う。

「メールもらったんだ。久しぶり。俺が迷惑かけた奴が、今俺の家にいる。母さんと二人っきりにさせるの悪いから、誰でもいいからきてくれないかって、一斉送信でメールがきたんだ」


私が聞いたこともないごはんを作ってくれて、勉強教えてくれて、荷物持ってくれて、どうしようもない話を聞いてくれて、先輩から庇ってくれて。

「…迷惑なんてかけていないのに」

ぽつりと本音が漏れたのは、風祭さんの傍にいたからだろう。
この人は、人の本音を引き出せる不思議な力を持っている。

「僕さ、翼さんって強い人だと思っていたんだ」

風祭さんは優しげな視線を私に向けてから、視線を落とした。

「中学の時、一回体格の問題もあって、ほんの少しだけ荒れた時もあったけど、それもほんの少しだった。試合の最中に立てなおしてさ、すごいよ。あの時の翼さん、君にも見せたかった、本当に格好良かった」

また視線を私に向けて、きらきらと目を輝かせながら、言う風祭さんは、私より年上だろうに、少年のようだった。仲の良い人とは言え、同じサッカー選手をこうも手放しで何の嫌味もなく褒められる風祭さんの人柄の良さが伺えて、自然と頬が緩む。

「だから吃驚した。逃げたって聞いて。あの翼さんが西園寺監督の結婚のことを知って、逃げて音信不通って吃驚した。西園寺監督のこと好きってある日知っちゃったから、知っていたんだけど、翼さんなら失恋しても大丈夫。きっとなんてことない顔で立ち直れるって、思ってたんだ」

翼さんは玲さんが好き。

翼さんの家にきてから、痛いほど実感しているのに、いざ誰かに言葉として出されると。

「…っ」

痛い、胸が痛い、痛い、痛い。

「きみはすごいね」

シャツの胸元を皺ができるくらいに握りしめながら俯いていると、暖かい声色が向けられた。顔を上げると、風祭さんは声と同じくらい暖かい微笑みを浮かべていた。

「あの翼さんの拠り所に一週間でなっちゃうんだから」

「拠り所だなんて、そんな。私翼さんには妹みたいっていつも言われていて」

「ううん。違うよ。翼さんは実力主義者だよ。本当に君のことを、ただ自分が守ってあげないといけない女の子だと思ってたら、西園寺監督の前に連れてこないよ。どうしたって、失恋した人が前にいたら、弱いところを周りの人間に見せてしまう。ただの妹みたいな女の子に支えてもらおうって、翼さんは思わないよ。翼さんはきっと、君を拠り所にしている」

私が、翼さんの拠り所?

はっきり言って信じられない。

私はいつも翼さんに支えてもらってばかりだった。

でも、中学生からの付き合いの風祭さんが言うのだ。

もしかして、ねえ。もしかしたら。

「…倉橋さん?」

どうしよう、そうだとしたら。

こんなに嬉しいことが、あるだろうか。

「あれ、倉橋さん?大丈夫?」

ひらひらと手を目の前で動かされ、わっと飛び上がってしまった。

「そ、そんなに吃驚させちゃった?ごっ、ごめんね!?」

「い、いえいえ!あー暑いですね…!あ、私ジュースずっと持ってたんだ…!じゃあ飲んじゃおう…!」

「あ、ちょっと待って倉橋さん、それ…!」

風祭さんの静止はほんの少しだけ、遅かった。
プシューッという音と伴に、私の顔に炭酸が直撃した。

…私ってなんって馬鹿なんだろう…。

「だ、大丈夫!?え、えーっとハンカチハンカチ…!」

「すみません本当に…」

「いや僕がとめるの遅かったから…!」

一ミリも悪くないのに責任を感じて私に謝る風祭さんを見て、翼さんが荒れてから立ち直る原因に、この人は大きく関わっている、そんな気がして。

「はい、ハンカチ」

心配そうに私を見ている風祭さんに、私は。

「…ありがとうございます」

二重の意味で、お礼を述べてから、そっとハンカチを受け取った。




あの子はきっとアルカリ性



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