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いくら酔っていたからっていっても、俺の行動は、“酔っていたから”という言い訳で済むレベルではないだろう。
時差ボケがひどい頭は膜がかかったように、ぼけーっとしている。
ジュージューと何かを焼く音をBGMに、思い出したくもない昨日のことを俺は思い出していた。
一昨日、玲に言われた通り、○月×日を空けておいたよ。この日何があるの?と母さんに訊いたら、母さんは驚きながら言ったら母さんは驚いた声で言った。『あなた、玲ちゃんが結婚すること知らなかったの?』と。
文字通り、頭が真っ白になった。
監督の怒声を背中に受けて日本への飛行機に乗り込んで、玲に会いに行った。
久々に見る玲は、前よりも格段に綺麗になっていた。
凛とした雰囲気は崩れてない。それどころか、いっそう輝きを増している。
凛としたまま、柔らかな、しあわせそうな空気を纏っていた。
それに気圧された俺は、一瞬、いつものように口がまわらなかった。
だが、すぐに気を取り直して『どういうことだよ!』と玲に食って掛かった。
『…結婚することは、だいぶ前から決まっていたの』
『…っ、じゃあ、なんで、俺に言わなかったんだよ!?』
『…ごめんなさい』
長い睫が、玲の頬に影を落とす。
知って、いたのか。
知られて、いたんだ。
玲は、俺が玲を好きっていうことを。
カアッと顔に熱が集まっていくのがわかった。
『翼、あなたこんな突然日本に帰ってきたりして、』
また俺を子ども扱いするような口振りで諭してくる玲が鬱陶しくて、
『うるさい!!』
と、俺は玲の声を遮るようにして怒鳴った。
『つば、』
眉を下げて、悲しそうな表情をして俺に手を伸ばしてくる玲の手を払いのけて、玲の横を通り過ぎる。
ドアノブに手をかけた時、『翼!』と、凛とした、俺の背中をびしっと正してくれる、綺麗な声に、思わず振り向かせられる。
視線の先には、眉毛をぴんとあげて、先ほどの悲しそうな顔から一変して、きりっとした表情の玲。
『練習スケジュールほっぽりだして、日本に帰ってきたんでしょう?向こうの監督から電話かかってきたわよ。あなたそれでもプロなの?プロとしての自覚はないの?ほんっと、子供ね。いやだいやだ、駄々ばかりこねて。今すぐスペインに帰りなさい。…いえ、やっぱりいいわ。監督からは私が伝えておく。駄目な子供が迷惑かけてすみません。ホームシックで日本に帰ってきてしまいました。一週間ほど、心の静養をとらせます、って伝えておくわ』
『な…っ』
反論をしようとする俺を遮るように、玲は真っ直ぐ俺に視線を向けて、言葉に詰まる。
それから、と玲は言葉を続けた。
『一週間後、私の結婚式に、ちゃんと出ること』
そこからのことは、本当に本当に、思い出したくない。
俺は目を見張らせて、体を震わせてから、ドアノブをひねり、空港からずっと切りっぱなしの携帯の電源をつけることもせず、昼間から酒を呑んで。
それで。
見知らぬ女の子に介抱され、ここにいると駄々こねて、そのまま部屋にいると。
…なんでそうなる…?
二日酔いだけじゃない、この痛みは。頭痛がする頭を抑える。
「あ、起きたんですか」
透明な声が鼓膜を鳴らした。
見上げると、二枚の食パンとベーコンエッグを持ってきている、俺が昨日から世話になっている女の子がいた。それをコンパクトテーブルに置いてから、ちょっと待ってください、と俺に言ってから再び小さなキッチンに体を向けて、もう一つベーコンエッグとサラダが入っている大きな皿を、コンパクトテーブルに置いた。
…ちょっと、待って…。
「二人分になると、このテーブルじゃちょっと…余裕がないですね」
やっぱりだ。この子、俺のために朝飯作ってくれたんだ。
良い子だと、思う。あんな形で出会って、ここにいると駄々こねた男にこんな丁重なもてなしをすることはない。けど、俺、今は。
「…ゴメン…」
吐き気がして、食えない。
良心がひどく痛むのを感じながら、俺は二日酔いで食べれないと、絞り出すように言った。
女の子はぽかんと口を小さく開けてから、「あー…なるほど」と納得したようにうなずいた。
「二日酔いですか。私なったことないので、そういう考えに行きつきませんでした。出過ぎた真似をしてすみません」
それどころか、ぺこりと頭を下げてくる始末。
…調子が狂う。
やっぱりコイツ、ちょっと将に似ている。素直すぎるというか、なんというか。
フラれて寂しいから一緒にいてくれと、会ったばかりの男に言うし、そのまま大人しく抱き枕になるし。
…会ったばかりの女の子を抱き枕にする俺も、なんなんだ…。
「翼さん?頭痛いんですか?お水、いりますか?」
「…頼む」
女の子は冷蔵庫からミネラルウォーターを出して、グラスに注ぐ。
「はい、どうぞ」
「サンキュ」
あれ。多分、だけど。
この子、昨日は蛇口をひねって、水道の水を俺に渡さなかったか。
不満を言いたいわけではない。なんで今はミネラルウォーターなんだ?と不思議に思った。
もしかして。
この子、わざわざミネラルウォーターを買いに行った…?
「いただきます」と手を合わせてから、食パンを小さな口でかじっている女の子をまじまじと見つめた。
化粧はしていないようだが、身支度もきちんとしているし、朝食も作っていたし、今が昼ごろだからと言って、昨日俺と同じ時間帯に寝たんだ。俺と同じ時間帯に起きても不思議じゃない。わざわざ、起きたというのか。
昨日は酔っ払っていたから、あまりこの子の姿をきちんと見ていない。
これを機に、俺は女の子を観察することにした。
正直言って、美人というわけではない。目は細いというか、小さい。だが鼻筋はすらっととおっている。肌も白いというわけではないが、綺麗だ。髪の毛は肩よりも上の前下がりボブ。
「あのさ、あんた、何歳?」
直球で訊いてみることにした。女の子は俺に顔を向けた。ごくんと喉に食パンを押し込んでから、答えた。
「十九です」
「あー、まあ、そんなところだろうと思った。何してんの?」
「○×大学の一年です。英文学部です」
「聞いたことある」
なんだろ、この子と話すの、なんか安心するな。
初めて会ったとは思えないくらいに、安心する。
この子自身からあふれだす、のんびりとしたオーラ。
俺が俺がという競争の世界に身を置いているから、こんな人物と出会うことはなかなかなくて、変な感触もするが、癒される。
俺はベッドに寝ころがって、女の子と話した。
「ねえ、名前は?」
「倉橋春花といいます」
「ふーん、春花っていうんだ」
ふんふんと確かめるように頷くと、春花の頬が徐々に、赤くなっていった。
…はい?
俺の訝しげな視線に気付いたのだろう、春花は頬を慌てて抑えた。
「す、すみません。その、男の人に下の名前を呼びすてにされるの初めてで」
膝の上で手遊びしながら、ごにょごにょと小さな声で弁明してくる。
つまり、照れてるということか。
俺の性格の意地の悪いところが、にょっきりと顔を出してくる。
俺がにんまりと笑うまで、時間はかからなかった。
「ふーん、へーえ?」
からかうように言ってやると、春花の体が反応して縮こまる。
最近の日本の女子大生は恥じらいのはの字もない、と藤代がオッサンめいた愚痴を言っていたけれど。
そんなこと、ないじゃん?
ベッドから身を乗り出して、春花の頭を、頭の形に沿うようにして撫でると、春花の肩がびくっと跳ねた。
玲のことが、好きだけど。
恋愛感情とは別に、ただ単純に、可愛いと思った。
「可愛いね、お前」
だから、思ったことをそのまま声にのせると、春花の周りの空気が変わった。
のんびりとしたものから、冷たい、拒絶するような空気へ。
頭を撫でるのを思わずやめてしまう。
「そんなお世辞、やめてください。可愛くなんてないです」
小さな声で、しっかりと拒絶をしてくる春花。
しっかりと、拒絶の意を表された。
もっと拒絶する場面あるだろう、と俺は呆れる。
でも、それ以上に。
「春花、顔あげて」
言われるがままに、顔を上げる春花。不安定に悲しげに揺れる瞳に、春花を見下ろす俺が映る。
そのまま、俺は。
「いたっ」
春花にぱしんと決めてやった。デコピンを。
「可愛いか可愛くないかは個人個人の美的感覚によって決まるものなの。春花は可愛くないって思ったかもしれないけど、俺は可愛いって思ったの。ケチつけないでくれない?」
それ以上に、ケチつけられて腹立った。
デコピンされた額を両手で抑えて、瞬きをしている春花に「いい?わかった?」と言い聞かせる。
「は、はい」
俺は「ん」と小さく顎を引き、「素直でいい子だね」と髪の毛をぐしゃぐしゃにするようにして撫でる。最初は戸惑っていた春花だが、徐々に気持ち良さそうに猫のように目を細めた。
「翼さんって…いくつですか?」
「二十三だよ」
「えっ」
「何その反応」
「年上かなーとは思ってたんですけど、二つくらい年上だと思ってたので…。でも、納得もしました。翼さんって、お兄ちゃんみたい」
ふふっと柔らかく笑う春花。初めて見る笑顔は、いつも無表情なせいか、余計に愛らしく見えて、
「俺も、妹みたいだなって思うよ。おまえのこと」
そう言ってから、つられるように俺も笑った。
マイナスからの始まり
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