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私が彼について知ってること。

本名かどうかは知らないが、翼、という名前であること。

長年片思いしてきた人が近々結婚すること。

背が低いこと。

顔立ちが綺麗なこと。

逃げるように家から出てきた、と自身のことを嘲笑っていたけど、そんな行動を起こすとは思えないくらい、大人の包容力があること。

これが、私の知っていること。

『スポーツとか、テレビとか、あんま観ない感じ?』

翼さんは探るように問いかけてきた。はい、と頷くとほっとしたように『そっか』と柔らかい安心したような顔をするから、綺麗な顔をしているし、モデルさんとか売り始めの俳優かな、と私は思った。



そして、それから。

翼さんは、頭がよかった。
私は英文学部だ。うんうんと唸りながらパソコンでレポートを打っているとひょいっと覗いて「あーその言い回しでも間違ってはないけどちょっと違和感あるよ」から始め、的確な言葉を数個、私にかけてくれた。翼さんが言ってくれた言葉で、頭のもやもやはどこかに消し飛び、そして新たに生まれたのは。

「なに、その顔」

ぽかんと口を開けながら、翼さんを見る私に、翼さんは怪訝そうに返す。

「え、えっとー…翼さんって、すごく頭いい、ですか…?」

翼さんって、頭良かったんだ。という新たな発見に対する驚き。

「うん」

翼さんはしれっと涼しげな顔で答える。はあ、はあ、と私はゆっくりと二回頷いてしまった。よく考えれば、驚くことでもなかったかもしれない。私は勝手に翼さんをニートだと思っていたのだが、翼さんからはどことなく気品を感じる。いいところで生まれ、そして育った感じがする。

「といっても、人間的には馬鹿だけど」

自嘲といっしょに飛び出た言葉に、えっとなり、私は目を開いた。

「好きな女の結婚も祝うことができなくて、逃げ出して、自分より年下の女の子の世話になるとか、馬鹿がすることだよ、ほんと。こんな馬鹿なこと、自分がするなんて思わなかった」

胡坐をかいて頬杖をついて、目線を下に向ける。
その姿は、所在なさげで、自己嫌悪に満ちていて。
翼さんは、とても綺麗だから、悲しそうにしていたら儚さが更に際立って、とても綺麗になる。
だから、こんなことを思うのは烏滸がましいことだとわかっているけど、

私に、重なった。

拒絶されたら、どうしよう。という思いがなかったわけではない。
けど、手を伸ばさずにはいられなかった。

さらさらしている翼さんの髪の毛をふわふわと浮ついた手で撫でる。

大きな目を丸くして、視線を上げて私を見る翼さんに、ぎょっと体が強張る。

「す、すみません。触られて、嫌でしたか?」

出過ぎた真似をしてしまったのかな、とオロオロする私を食い入るように見つめてから、翼さんはプッと笑った。

「優しいね、春花は」

そう言って、細くて長い指で、私の髪の毛を梳くようにして撫でる。

こんなこと簡単にやってのけるのだから、相当女慣れしているのだろう。綺麗な顔立ちをしているし。

「…翼さんがフラれるとか、信じられません」

「俺も信じらんない」

「そこは否定しないんですね…」

「だって俺、顔もいいし、運動神経もいいし、頭もいいし。俺以上の奴とかなかなかいないよ?」

自分に自信がなさそうかと思いきや、ものすごく自信家だったりする。くるくると変わるなあ、この人は。呆れてしまう。

「あ。今俺の事馬鹿にしただろ」

ぼうっとしているとすぐ目の前に、眉を顰めている翼さんの顔があった。え、と声を上げる暇もなく鼻をつままれる。

「い、いたい!翼しゃんいだいです!!」

「悪い子にはお仕置きだよ」

ぎゅむむと容赦なく力を入れて、私の鼻をつまんでくる翼さん。やっと放されたころには、私の鼻はすっかり赤くなっていて。翼さんはトナカイみたいだ、と声を上げて笑った。

「つ、翼さん!」

「お、怒った。いいぞいいぞ〜春花が怒った顔見るの、俺はじめて」

悪戯っ子のように、にんまりと笑う翼さん。

感心させたり、心配させたり、呆れさせたり、怒らせたり。

翼さんは、不思議な人。

「ほんっと、翼さんの、馬鹿」

むうっとふくれている私の顔を指さして、けらけらと笑う翼さんにそっぽを向いてやった。





髪を優しく撫でる、丸くなる私



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