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えーっと。

これは。

壁にもたれてクカーと寝息をたてている美少女を、私は目を丸くして見つめた。ふわりと柔らかそうな髪の毛を後ろでひとつに纏め、閉じた目の睫は長い。見るからにきめ細かそうな肌。これはどこからどう見ても、美少女。いやでも私よりは年上、かな?じゃあ…美人さん?

私が今まで見てきた中で一番の美人さんが路上で寝ている驚きに、バイトの疲れも吹っ飛んでしまった。頬が赤いから、酔っ払って寝ているのだろう。なにより、お酒臭いし。

こんな美人さんをこんな時間帯にこんなところで放置していたら…、その…危ない。よからぬ輩にあんなことや、こんなことされてしまうだろう。
そして頭の中に浮かぶのは、一つの案。

いやいや、と私は頭を振る。
いくら美人さんとは言えど、見知らぬ人間に対して甘すぎる。この危険なご時世だ。注意に注意を重ねて丁度いいと言っても過言ではない。
もう一度、美人さんを見下ろす。
すやすやと寝ている様は、女の私が見とれるほど、綺麗で。

「ああ、もう…!」

しゃがんで、美人さんの腕を肩にかけて、立ち上がる。美人さんは思ったよりも大きくて、がっしりしていて、重かった。









「…っはあ!」

必死の思いで、美人さんを家に連れ帰ってきた。こういう時、1LDKにしてよかったと思う。廊下を歩くこともなく、部屋に直行できるのだから。私は帰ってそうそう、玄関先で膝をついた。もうひとふんばりして、美人さんをベッドに乗せて、ふーっと息を吐く。これは筋肉痛になるな、と私はため息を吐いた。明日は授業がない日でよかった。

交番よりも、私の家の方が近いし、わざわざ110番してまで警察呼ぶのは煩わしかったので、という私の甘さと怠惰によって、私は美人さんを家に連れ帰ってきた。昔から友人にお人よしだの、甘いだの言われる。それが私である。優しいとはまた違う。甘いのだ、私は。

「んぅ…」

おっと。お姫様のお目覚めか。なんて臭いことを本気で思わせるような綺麗なお顔から掠れ声が漏れる。可愛い顔に似合わず、以外と声低いな、この人。

「起きましたか?お水、いりますか?」

「あー…うん」

とろんとした目で私を見上げる表情は色気が感じられるのですが、片膝をたてて、頭をガシガシ掻いているので、その色気も半減してしまっている。せっかく美人さんなのに…勿体ない。

グラスに水をいれてきて、私は美人さんに渡した。渡した時に、美人さんの手に触れた。これまた意外とゴツゴツした手。意外だらけだな、この人。

「サンキュー…」

「いえいえ。タクシー呼びましょうか?」

「タクシー?」

美人さんはとろんとした目で、きょとんと首を傾げる。まだお酒と眠気が残っていて、こちらの意図することをうまく読み取れないのだろう。…可愛い…。鉄仮面と言われる私の表情筋が緩むくらいの愛らしさだった。

「はい。家に帰るためのタクシーです」

私がそう言うと、美人さんの顔が強張った。

「やだ」

「へ?」

「嫌だ。帰らない」

私の笑顔も強張った。

へ、え、は?
何、言っちゃってんの、この人?

「そ、そう言わずに…」

「いーやーだ、俺、帰らない。ここにいる」

ぎゅうっと抱えた枕に顔を埋めて、断固拒否を表す美人さん。って、ん?

俺…?

たらり、と冷や汗が背中に流れる。

女の子にしてはがっしりしていて、女の子にしては大きくて、女の子にしては声が低くて、女の子にしてはガサツな振る舞いで、女の子にしては手がゴツゴツしていて。

「お、男の人…!?」

「そうだけど」

あっけらかんと、今更何言っているの?とでも言いたげな目で私を見てくる美人さんに、私は口をぱくぱくさせることしかできなかった。

そうならば、なおさら、帰ってもらわなければ、困る!!

思わず立ち上がって、私は声を上げた。

「だっ、駄目です…!帰ってください…!」

「今俺金ないもん。財布すられた。だから無理。ってゆーかいやだ」

「お金なら、貸しますから…!なんならあげますから…!」

「いやだ!」

聞き分けのない子供のように首をぶんぶん振る美人さん。意味わからない。なんなのこの人…連れ帰らなければよかった…と、私が途方にくれながら、美人さんを見ていると。

大きな瞳の目尻に、涙が浮かんでいた。

「あのその、何か、あったんですか?」

おせっかいモードが発動して、私は恐る恐ると訊く。美人さんは眉を八の字に寄せて、苦しそうに、口を開いた。

「惚れた女が、結婚する」

それを聞いて思ったことは。
こんな美人さんでも、失恋するんだ、という驚き。
そして。

「それは…辛いですね」

少しの、親近感。

女性のような姿をしていても見知らぬ男性が自分の部屋にいるのに、それだけで私の警戒心は紐を解くようにするりするりとほどかれた。

何故、かというと。

「私も、最近失恋したので、わかるかも、しれません。その気持ち」

そんな単純な理由だ。

失恋といっても、失恋の形は人それぞれだから、簡単に“わかる”と同意もしたくなくて、曖昧な言葉を口にする。
ふと気づくと、私は美人さんに見られていた。大きな丸い瞳がじいっと私に向けられている。今は弱弱しいけど、この人の瞳は本来とても大きな意思が浮かんでいるんだろうな、と、思った。

「愚痴に、付き合ってくれない?」

ゆっくりと紡がれた弱弱しい声に、私はこくんと頷いた。

小さなころから、ずっと好きだったこと。
最近はやっと同じ目線になれて、これからだと思った時に、婚約者を紹介されたこと。
結婚式が一週間後にあるということ。
それがたまらなく、嫌なこと。

「俺さ、結構、意地っ張りっていうか、いいかっこしいなとこあるから、周りの奴らには弱み見せたくなくて。一人でヤケ酒していたら、このざま」

彼は、肩を竦めて、ははっと乾いた笑い声をあげた。少しの間、天井を仰いでから、私の方を見て、大きな目を細めた。

「サンキュ、きいてくれて」

どきっと高鳴る心臓。
美人って卑怯だ。と、まだどきどきしている心臓を抑えるように、胸に手を当ててこっそり悔しがる。

「我が儘言って、ごめん。俺、かえ、」

「いいですよ」

「え?」

「ちょっとの間なら、ここにいていいですよ。家に帰りたくないんですよね?しかもお金もないんですよね?」

「…そりゃ、まあ。でも、金なら誰かから借りて、ホテルにでも住むし」

「一人でいたら、頭の中、あなたの好きな人の結婚のことばかりになって苦しくなっちゃうと思います」

「…あのさあ、帰りたくないと言った俺が言う事じゃないんだけど、あんた女なんだから、」

「一緒にいて、くれませんか」

ハァ?と言いたげに顔を歪めてから、彼は目を大きく見張らせて、そして。
ああ、そうか。こいつも失恋していたな、と合点したような表情になる。

もしかしたらこの人は、とんでもなく悪い人なのかもしれない。
酔っ払いのふりして、失恋に打ちひしがれているふりして、私の家に上がり込んで、私を殺す気があるのかもしれない。

それでも、いい。
上京してから、ろくに友達も作れず、信じていた人にまで裏切られた私は、誰でもいいから、一緒にいてほしかった。
それに。
人を見る目なんてないことを、ついこないだ証明した私だけど。
この目の前にいる人は嘘なんてついてない、と思った。
不安定に揺れるその瞳は、あの日の鏡に映った私と一緒だと思った。
これで殺されたら、私はとんでもない大馬鹿者だ。
…いや、既に、大馬鹿者か。

「おいで」

声に反応して、顔をあげたら私は腕を引っ張られて、彼の胸の中にいた。

私は驚いても声を上げる性質ではなく、なにがなんだかわからないまま、瞬きをすることしかできない。ただ一つ思ったのは、硬い胸の感触に、本当にこの人は男性なんだな、ということ。

「あのさー、俺だから良かったけど。女がさ、知らない男家に上がり込ませたら、駄目だよ?」

女の人だと思ったんです。と答えたら気分を害するだろうか…と私が返事に窮していると、そのまま、彼はベッドに横になった。少し距離を離されて、近すぎて見えなかった綺麗な顔立ちがよく見えるようになる。それでもまた、近いけど。

「ちょうどいい抱き枕」

「あ、あの。これは」

「大丈夫。何もしないから」

「は、はあ」

「あ、俺は例外だけど、男の“何もしないから”は絶対信用しちゃだめだよ?」

「は、はい」

「…ぷっ、なんかお前アイツにちょっと似てるねー。そういう素直なところ」

「アイツ…?」

「あー気にしないで。妹がいるってこんな感じなのかな」

至近距離でこんな美人と話すのは初めてのことで、動揺で言葉がうまくでてこない。しかも、私今、抱きしめられているような形。

「俺、翼っていうの。これからよろしく」

綺麗な唇から、綺麗な名前が飛び出て。
私の小さな瞳に映る綺麗な人にすっかり見惚れてしまった私は。
ただ、こくりと首を動かすことしかできなかった。






ミッドナイトにさようなら



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