長編 | ナノ

 Dive in the blue sky(土方+坂田)






誰だって自分以外の人間が存在しない場所を求めてしまう時があるのだと土方は思う。
こうなふうに人気のない屋上に足を向けてしまう理由はまさにそれだろう。
友も連れず、たった一人でここを訪れることは今に始まったことではない。
地上からも教室からも遠く離れているせいか、ここでは音も風景の一部となる。
在るのは静寂と喧騒のコントラスト。
冬の名残を残した風が時折するりと肌を撫でる。
普段なら騒々しく感じる甲高い声すら心地良かった。

「寝みぃ・・・」

春は案外過ごしにくい。
確かに色とりどりの花は美しく、世界は命に満ち溢れているが、どうにも思考が緩慢になってしまうのだ。
甘い温もりに溢れた空気は、まるで柔らかな毛布に包まれたような感覚を与えてくる。
そうなれば瞼が次第と重くなってくるし、ポカポカという音が聞こえてきそうな日差しを浴び続けていれば欠伸もでてくる。
欠伸ついでに声を発した途端口寂しさを感じた土方は、高校生にはあるまじき行為だがいつもの嗜好品を求めて学ランの内ポケットを探った。
しかし、指先に手応えがない。
何度が探ってみたものの、指先は布を擦るばかりだ。
舌打ちをし一瞬諦めかけるも、なければ余計に吸いたくなってしまうもの。
別の場所にあるかもしれないと思い立ち、土方はズボンのポケットへ少々乱暴に手を突っ込んだ。

「それ脱いだら?」

あきらかに自分以外の声。
一人の空間だと思っていた場所にある他者の存在。
土方は弾かれたように振り返るがそこに人影はない。

「アレが服についたらなかなか落ちねーから。白で目立つし。抜くんならズボン脱げって」

土方を無視するように一定のリズムで奏でられる声は続く。
その音を辿れば視線は自然と出入口の上へと向かい、その時初めて、そこに人影があることに気が付いた。
土方が入ってきた出入り口の上にあるスペース。
それを覆うように拡がる空は染み一つない水色で、水溜まりが逆さまになったような、青空。
そこに見える白い髪は空の青と相まって、鮮やかな境目をつくりだしていた。
土方は呆れた表情で溜め息を吐く。
なんとなく予想はついていた。

「いつからそこにいた」
「さぁ。いちいち時間なんか見ねーし」

睨み付けたところで気の抜けた声が返ってくるだけ。

「てめえはそこで俺を見張ってストーカーでもやってんのか?」
「ストーカーはお前んとこの大将だろ。俺は土方くんが抜きに来る前からここに居んの」
「誰が抜くかよ、こんなとこで」

この男が土方「くん」などと呼ぶ時は大抵ロクなことがない。
案の定、土方にとって大層はた迷惑な勘違いをしている。
当然、それはわざとなのだが。

「別に恥ずかしいことじゃねーだろ。オナニーくらい誰でもやってんし。思春期男子の日常の一つじゃね」
「くだらねえ」

土方が苦々しい表情で吐き捨てると、坂田は頬杖をついたまま声を出さずに笑った。

「いやあ、でも偶然とはいえ、まさか学校の屋上で土方くんの耐久時間を観察するはめになるとは。人に見られたら興奮するほう?」
「その目は腐ってんのか?ああそうか腐ってんだな。だから幻覚が見えんだよ。眼球えぐりだして洗ってこい」
「いやいや、ズボン越しに擦ろうとしてた土方くんならちゃんと見えてたって」
「だからそれがおかしいっつってんだ!・・・あークソ、いちいちめんどくせえな」
「そーかね。人気のない時間に屋上来るってそういうイヤラシイことするためだろ?」

わざと面白い方に誤解しているかのような態度に腹は立つが、土方は努めて平静を装った。
それが場を治めるために一番良いということは身に染みて知っている。

「で、そんな坂田くんはそこでなにやってんだ?てめえこそ弄ってんじゃねえのか」
「俺は土方くんと違ってお勉強中なんですー」
「ハッ、なんの勉強だか分かったもんじゃねぇけどな」

視線を逸らした土方は小さく舌を打った。
一人の空間を求めて訪れた場所に先客がいて、そいつはどうやらお勉強中らしい。
本気で坂田がいたしていると思っているわけではないが、一人きりではない空間に土方が居座る理由はなかった。

「邪魔者は消えてやっから、せーぜー励めや」

そう言って名残惜しむ様子もなく土方はその場から離れていく。
出入口は坂田が居る場所の真下。
その為、いやがおうにも白髪の男に近付いてしまうことになるが、坂田はどこか違うところに意識を向けているようで土方を見てはいない。
このまま何事もなく屋上を離れようと、土方がドアノブに手をかけた時。

「聞きてえことがあんだけど」

はっきりとした口調は坂田らしくない。
そんな疑問を抱く前に、軽い音が土方の背後で鳴った。

「・・・ってぇ・・つーか固てえな、ここ。二階から飛び降りるより痛てーわ」
「・・・痛いはてめえの頭だろ」

土方はめんどくさそうに顔だけ坂田に向ける。
別に立ち止らなくても良かった。
しかし、坂田の「聞きたいこと」が気になったのもまた事実。
先ほどまでとは逆の位置に立つ二人。
坂田の背後には錆びたフェンスと、世界の全てを覆うような水色があった。

「あの右な、俺のクラス」

顔だけ横に向けた坂田が顎で指し示す先には校舎がある。
ちょうど屋上の向かい側にある校舎だ。
坂田が見ているのはそこにある教室の一つ。

「で、あそこら辺が俺の席。窓際で一番後ろって羨ましがられるけど夏と冬は地獄だからね。雨降ると濡れるし」
「それがなんだよ」
「ここがよく見えんだよ。例えば、三年の巨乳女が乳もまれてるところとか」
「はあ?」
「あの女マジでデカかったわ。食いもんが全部おっぱいになってんじゃね?・・・あとはそうだなあ、鬼とか言われちゃってる男が笑ってるところとか」


「その隣で笑ってる女とか」

そう言って一呼吸置いたあと、坂田は土方へと向き直る。

「ここで誰待ってんの?」

その視線は強いものでも責めるものでもなかった。
しかし土方は喉の奥に手を突っ込まれたかような息苦しさを感じていた。
込み上げる苦い感情。
フラッシュバックする光景はいつでも鮮やかに眩しくて、天井に広がる青色の中に面影を探していた。
もう一度、あの瞳が自分を映す日がくればいいと、身勝手な願いが逃げ場をなくしていく。


手放したのは自分だったくせに。


沈黙が降りる空間。
しかし、二人の間に張りつめていた糸をなんの迷いもなく切ったのは坂田だった。

「まあ、それはどーでもよくて、今からが本題」

だるそうに頭を掻き、首をコキコキと鳴らす。
怪訝な顔をした土方に改めて坂田が言った。

「土方ってドーテー?」

今度は先ほどとは違う意味で沈黙になる。
返事が遅れたのは別にこの質問を肯定しているからではない。

「そうだったとしても笑わねーから教えろよ」

すでに薄笑いを浮かべた表情で言われても説得力の欠片もない。
この男に説得力を求めるのが間違っているのかもしれないが。
あらんかぎりの不機嫌さを全面に押し出した土方が吐き捨てるように舌打ちをする。
まともに話しをしようとしたさっきまでの自分を呪いたい。

「てめえに関係ねーだろ」

たっぷりと間をあけ、簡潔にまとめた正論を坂田に叩きつけた。
これ以上の言葉はいらないだろう。
しかしそんな正論もどこ吹く風、坂田は「ま、そーなんだけどね」と、癖の強い髪を触る。

「沖田がさ」

へらっと表情が崩れる。

「土方さんは童貞くせえって思いやせんか?とか言いだしやがって。で、とりあえず山崎に聞いてみたけどノーコメントの一点張りで話しになんねーんだわ。そしたら伊東がさ、本人に直接確認すればすぐ分かるっつーわけ」

坂田の話が進むにつれ、土方の表情が恐ろしいものへと変わっていった。
しかし坂田は大した反応をみせず、相変わらずダルい口調で喋り続けたあと、

「つーわけで、童貞?」

改めて質問を投げかけたのだ。

「てめえら・・・また賭けてるだろ」

土方の声が怒りで震える。
思い出すのはあの忌々しい出来事。
土方の下駄箱をイヤラシイ写真だらけにしたあげく、それを賭けのネタにした男逹。
その一人が目の前に居る。

「あ、バレた?」

「今日、雨降る?」くらいの気軽さで喋る男に罪悪感の欠片もない。
土方は素早く片手を伸ばし坂田の肩を掴んだ。グッと力を込める。逃げないようにするためだ。

「い、痛いんですけど」
「だろうな」

完全に悪い顔になっている土方はニヤリと口を歪める。

「二度と俺を賭けに使おうなんざ思わねえようにしてやるよ」

掴んだ箇所をぎりぎりと締め上げ、悪役のような台詞を吐く土方に坂田は冷や汗を垂らした。
面倒なことになってしまった。
しかし時は既に遅し、土方によって逃げ道は塞がれている。

「でも言いだしっぺは沖田だからね。俺は見てただけだから」
「嘘を吐くな。てめえも一枚噛んでんだろ」
「ないない噛んでない。俺より伊東が噛んでたぜ。なんかブルーベリー味の」
「話しをすり替えようとするな」
「いや、お前絶対糖分不足だって。だからそんなにキレんだって。ヤニばっか吸ってっからイライラしてんだって」
「ぺちゃくちゃ喋ってんなよ。さあてと、どうやって大人しくさせてやろうかね。まずはてめえからだなあクソ天パ―――」
「あ、志村」

それは一瞬だった。
ほんの一瞬だけ土方が目線を逸らし、掴む手が緩んだ、その隙。
手のひらが空を掴む。
視線を戻せばその先に白。
気付いた時には坂田の身体は手の届かない距離にあった。

「手エ離しちゃダメじゃん」

坂田は肩を竦め、そして見透かすような視線でもって土方を眺める。

「大事なもんなら誰を傷つけても手放すな」

穏やかなさざ波に似た声。
その言葉は土方の呼吸を止める。
目を逸らしていたものを突き付けられた気がした。


手放したのは自分だった。
それなのに待っている。
今もここで。
今は一人で。


坂田がフッと息を吐き笑った。
口の端がにいっと吊り上がっていく。

「今度はちゃんと掴んどけよ。しっかり握って擦らねーと、いくら野外で興奮するからってイケねーからね」

そう言い捨て、坂田はひらりと身を翻す。
再び土方の視界から白が消えた。
閉まるドア。
同時に聞こえた金属音。

「あんのクソ天パ・・・!!」

土方が拳を握りしめる。
唯一の出入り口に鍵をかけられた。
外側からは防犯上鍵の開け閉めは出来ない。
つまり、この青い空間に閉じ込められてしまったのだ。
すっかり気を削がれ油断したのがまずかった。
あんな単純な手に引っかかってしまった自分が情けない。
しかし、怒りの感情が急速に萎んでいく。
土方は深く息を吐いたあと携帯を取り出した。

「終わったら屋上の鍵を開けに来てくれ」

山崎にそれだけ告げて携帯を切ると、土方は薄汚れたコンクリートの上に寝転がった。
視界の端から端まで拡がる青のグラデーション。
その隙間から滲み降り注ぐ光。
まるで水中から水面を見上げているような浮遊感。
土方は閉じた瞼を手のひらで覆う。
瞼の裏にある空色の波間に意識を沈めた。



Dive in the blue sky




2011.04.26


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