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生徒会は特別な存在ではない。
特権があるわけでも、何かの実権を握っているわけでもない。
面倒な雑用を代表してこなしているというだけで、他の生徒と何ら変わらない。
ただ、生徒会長の坂本だけは特別な存在だった。
圧倒的な人望で生徒会長へと就任した坂本は誰よりも豪快で、誰よりも先を見ることのできる男だった。
人好きのする笑顔で強引に持論を展開し、いつの間にか自分のペースに巻き込んでしまう。
それが、この高校の生徒会長を務める坂本辰馬という男だった。
そんな男が発案したという今回のクラスマッチ。
ごく一般的なクラスマッチではないということは、今までの坂本発案行事を考えれば分かり切ったこと。
強制参加で、不参加者はクラス単位で罰ゲームという鬼のようなシステムのため逃げ場はない。
いくら参加したくなくとも参加するしかないのだ。
「サボれねーなら普通のクラスマッチがしてーよ。ふつーの」
坂田が頬杖をつきながら不満をもらした。
黒板の前で喋る山崎と妙の声がBGMのように耳に入ってくる。
ようやく本題へと戻ったらしく、ペアを決める方法が話し合われていた。
「今回ばかりは君の意見に同意だ。どうにかならないのか?」
こちらも疲れたとばかり首をコキッと鳴らす。
余程苛立っているのだろう、常に冷静で穏やかな佇まいを崩さない伊東にしては乱雑な行動で、言葉遣いも若干乱暴だ。
「俺にどうにかできると思ってんの?俺ただの美化委員よ?」
「君がただの美化委員でも君の友人は生徒会長だろ」
伊東は至極当然のように言い放ったが、坂田は鼻で笑って即否定する。
「無駄無駄。あのもじゃもじゃが人の指図を受け入れるような男なら苦労しねーわ」
あしらうように手を左右に振る坂田を横目で見やり、伊東は冷めた笑みを浮かべた。
「確かに、歓迎会の時にも苦労させられたからね。もじゃもじゃには苦労させられるよ」
もじゃもじゃには、と目を逸らし眼鏡に触れながらさりげなく強調する。
「伊東くーん。どこ見て言ってんのー。まさか俺のエンジェルヘアーを見て言ってないよねー」
「そのまさかだよ坂田くん」
「お前なぁ、タンポポの綿毛みたーい!って女の子に評判の銀さんヘアーにケチつけんのかコノヤロー」
「きっとその女の子の頭の中もタンポポの綿毛みたいなんだろうね。今頃風に吹かれて飛んでいってキミのことなんか忘れているだろうよ」
「なんか刺々しいな。溜まってんの?最後にエッチしたのいつよ。相手がいねーなら紹介してやろうか?それともまさかのチェリーくん?」
お互いに目を合わせないまま淡々と嫌味の応酬を続ける二人。これもZ組にとっては珍しい光景ではない。
「坂田くん!今はそういう話をする時間じゃないでしょう?静かにしてね」
さすがに目に余ったのか、妙の注意が坂田に飛んだ。
「え、俺だけ?伊東は」
「二人ともよ」
「ごめんね志村さん」
伊東が申し訳なさそうに微笑めば、「気を付けてね」と機嫌良く妙が笑った。
「なんかお前、巧いな」
注意された早々話し始めるが、さすがに気を使ったのか坂田の声は先ほどより随分と小さい。
「巧いって何が」
「優等生ぶんの」
坂田の言葉に伊東が息を吐くように笑う。
「どういう意味か分からないな。でも……そうだね。何かと楽だよ?優等生という存在でいるとね」
「悪いことをしても気付かれにくいし?」
坂田は組んだ足を退屈そうに揺らしながらヘラリと表情を崩した。
伊東がまた坂田に視線を向ける。一瞬だけ険が混じったような瞳はその色をすぐに隠し、そしてまたいつものように微笑んだ。
「もしもやると仮定するなら、誰よりも巧くやる自信はあるかもね」
よく聞けば物騒な伊東の返答に「へえ」と、薄い反応を返した坂田は怠そうに頭を掻いた。
「悪いこと、ね。……校長室でエッチとか?」
突拍子もない台詞に伊東は僅かに眉を寄せ、深い溜め息を吐く。
「キミはすぐにそういう話しをしようとするね」
「伊東と俺の共通の話題ってそういう話ししかなくね?」
「まさか。僕はいつでもどこでも誰とでもなキミとは違うよ」
「おいおいそりゃ言い過ぎだわ」
自分のイメージが酷く偏っていることが気に入らないのか、坂田が身を乗り出して反論する。
「さすがに誰とでもはねーわ誰とでもは。すぐに足開くような女は速攻で萎えるしね俺。まあ、勢いに負けてヤるにしてもさ、ゴム無しでエッチする勇気はないわー。俺の息子が病気になったらどーすんの?」
と、勢いあまって少々声が大きくなったその瞬間、坂田の頬を何かがかすめた。
「――静かにしろって言ってんだろ」
ニコニコと微笑むその表情と坂田に凄む台詞は全くかみあっていない。
妙の投げたチョークは後ろの壁に当たり、そのまま砕けてしまったようだ。
「次はないわよ」
「へーい」
改めて妙の恐ろしさがクラス内で再確認された頃、突然校内放送の始まる合図が鳴り響いた。
『みんなー元気かのー。生徒会長の坂本じゃ』
人一倍陽気な声がスピーカーから流れてくる。
今まで散々話題になっていた坂本会長本人による校内放送だ。
『今度のクラスマッチのことじゃが、人数調整をしちょったらこっち側の人間が足りんのじゃ。だから各クラスのクラス委員はいつも通り手伝ってもらうきの』
こっち側、とはつまり運営側ということだろう。
しかしクラス委員が手伝うなど恒例のようなものなので特に反論はない。山崎も妙も「なんだそんな事か」と気の抜けたような笑みがこぼれた。
しかし、次の言葉にクラス中が静まり返った。
『あともう一つ。クラス委員に手伝うてもらう言うたが、J組のクラス委員が一人しかおらん。なので人数の多いZ組から一人、臨時でJ組クラス委員ばやってもらおう思うちょる』
山崎は驚いた顔で妙の方を見たが、妙も同じような顔でスピーカーを見つめている。全く知らされていないことだったのだろう。
J組とは多数の問題児が在籍する、できればお近付きになりたくないクラスだ。
そんな場所へ、なぜかこのクラスから一人レンタルされるらしい。
ここにきてようやく坂本の言葉を理解した生徒達はざわざわと騒ぎ始めた。
誰かが行かなくてはならないが、誰も行きたくない。
なぜクラスマッチを違うクラスで、しかもクラス委員として過ごさなければいけないのだろう。しかも問題児集団の巣窟でだ。
「どうする山崎くん」
「どうしようかな……」
クラス委員を任されている手前、この件に関しても何らかの答えを出さないといけないのだが戸惑いの方が大きく頭が働かない。
山崎は最善策を練ってみるが少しも良い案が生まれてこない。妙も困ったように頬に手を添えている。
すると、陽気な笑い声が再び流れ始めた。
『Z組から誰か一人行ってもらう言うたが、あそこは気難しい連中が多いきの。だからわしがピッタリだと思うやつば指名することにした。えー、Z組の男で眼鏡かけちょる腹の黒そうな優等生がおるやろ?おんしに決定じゃ!アッハッハ』
坂本の笑い声が響き渡るなか、教室内の視線が一人の男に集中していた。
Z組にも優等生と呼ばれる者は数人いるが、腹の黒そうな優等生眼鏡は一人しかいない。
つまり、必然的にレンタルされるのが誰か、否が応にも分かってしまうのだ。
山崎の胃が痛む。
よりによって今回のクラスマッチに否定的だったあの男が、最も面倒な役目を生徒会長から押しつけられるはめとなったのだ。
しかし、あのJ組を桂と共にまとめるなら最高の人選だと山崎は思った。
伊東なら問題児集団に怯むことなく上手くやることができるだろう。
しかし、やはり伊東の反応を思うと山崎の胃は痛み続けるのだ。
「伊東くん、指名されちゃったねー」
張り詰めた教室の空気など何のその、坂田が軽い口調で伊東に声をかける。
「生徒会長直々のご指名なら断れねーもんな。なんせ伊東は優等生だから」
「随分と嫌味だね」
押し黙っていた伊東が口を開く。
「何を考えているのか知らないが、僕を指名するなんて彼もいい度胸だね」
「何も考えてねーよ。頭ん中ももじゃもじゃだぜアイツ」
「キミも同じようなものだろ」
「腹ん中真っ黒な伊東には言われたくねーわ」
いつも通りな言い合いをする二人に山崎はホッと肩を撫で下ろした。
どうなることかと思ったが、伊東は案外すんなりと受け入れてくれたようだ。
「伊東くん、大丈夫?」
妙の気遣う言葉に伊東は「大丈夫だよ」と返す。
坂本によってもたらされた緊急事態も難なく解決し、教室はいつもの空気に戻っていた。
「あそこのクラスめんどくせーのばっかだよな。まずヅラ自体がめんどくせーし」
無表情で呟いた坂田は「まあ、でもさ」と、ほんの少し伊東に顔を寄せる。
「こっちに居るより色々としやすいんじゃね?」
ボソりと伊東にだけ聞こえるように囁かれた声。
「校長室でエッチするより悪いこと、とかな」
微かに笑いを含んだ声に伊東はふっと表情を緩め、そして目を伏せた。
神経質そうな細い指先が眼鏡に触れ、それをゆっくりと取る。
現れるのは硝子玉のような薄茶色の瞳。
伊東はいまだに笑い声が流れるスピーカーをその瞳に映し、そうだね。と呟いた。
2010.01.18
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