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見事に咲き誇っていた桜の花も風に乗って散っていく。いつの間にか足元は、桃色の花びらで染まっていた。
『土方くんって、近藤くんが好きなの?』
ひどく真面目な顔つきで問い掛けられた質問に、土方は口に含んでいたジュースを噴き出した。
『大丈夫?』
激しく咳き込む土方にハンカチを差し出しながら、ぱちぱちと大きな瞳を瞬かせる。
『いらねー』
『そう?』
口元を手の甲で拭いながら睨んでみても僅かに首を傾げるだけ。素直にハンカチをしまう様子に自然と舌打ちをしてしまう。
『なんだ、その、くだらねェ冗談』
『土方くんをからかったら面白いって聞いたから』
『誰に』
『沖田くん』
土方を貶めることを至上の楽しみとしている腐れ縁の顔が脳裏に浮かぶ。あの野郎!と、苛立ちをぶつけるように紙パックを握り潰せば、残っていたジュースが溢れだした。
『うわっ』
袖口を濡らすそれに、らしくなく慌てる土方。その姿に楽しげな笑い声がふりかかる。
『土方くんって面白いのね』
初めて聞いた笑い声だった。思わず顔をあげる。
『あ、見た』
土方を映した大きな瞳を細めて、桜色の唇が弧をえがく。
『やっと見てくれたね』
ただ、それだけだった。
疼く心臓は土方の本音を曝け出し、気付きたくないものを見せてくる。
それはまるで桜の花びらのように、覆っていたものが剥がれ落ちていく瞬間だった。
冗談だよと嘘を吐く2―9
「あれ?お妙さんは?」
能天気な近藤の声に、山崎は微かに怒りを覚える。
「ここはA組です。あんたのクラスでしょうが」
山崎も思わず母親口調になるが仕方がない。悪気がないのが分かるだけに余計に腹立たしいのだ。
土方と山崎がZ組を離れ、ここA組にたどり着いてから五分ほど経過していた。
やっと目を覚ました大将を心配するものなど一人もいない。今だに騒つくA組は、どこか山崎のクラスと似た雰囲気をもっていた。仲良しクラスというわけではないが、いざというときの団結力はある。そんなイメージだ。
「目ェ覚めたか」
低く優しい声が近藤にかけられる。唯一、彼を心配しているであろう人物が近藤の顔を覗きこんだ。
「おお、トシじゃねぇか。なんだ?疲れた顔して」
自分が土方の疲れ顔の原因の一つだとは気が付かないらしい。
「気のせいだろ」
「そうか?風邪なら気を付けろよ。今年のインフルエンザは強烈らしいからな」
「ああ、分かった」
見当外れな意見だが、土方は素直に頷く。鬼だ悪魔だと皆に恐れられている土方だが、近藤に対してだけその態度が柔らかくなるのだ。この姿を知ったなら、きっと土方を鬼などと呼べないだろう。
「あ、そうそう。ここの副委員を土方さんがやることになりましたから」
委員会のプリントを整理し終えた山崎が、近藤を横目で見ながら話す。
「なんで」
「前副委員さんはフォローの限界で引退しました」
「引退ってなんだ?」
「アンタの尻拭いに疲れたんだとよ、近藤さん」
土方が窓際の椅子に腰かける。山崎の位置からだと、クラスの女子が土方を盗み見しているのが分かる。しかし土方自身は気付いているのかいないのか、どちらにしろ反応する気はないらしい。土方はそういう男だ。
「周りのもんが迷惑してんだ。もう少ししっかりやってくれねぇか」
「悪かったな、トシ。お前には迷惑かけてばかりだから申し訳なく思ってるよ。そういやあ、どことなく老けた気がするな……」
「あんたに言われたくねぇよ」
土方は溜め息混じりに呟いた。
「総悟は?」
近藤の口から聞き慣れた名前がでてくる。キョロキョロと教室を見渡すが、独特な色合いをした茶髪は見当たらず、視線を土方へと戻した。
「休みか?」
「知らねえ。携帯も意味ねーから」
「繋がんねえのか」
「いや、白髪のバカに繋がる。……山崎。沖田を見つけたらすぐに教えろよ」
教卓で前副委員と話していた山崎は「分かってます」と短く返した。
「はあ……。山崎はいいよなー。クラスにお妙さんがいて」
自分の教室へと戻った山崎の姿を見送ったあと、近藤がポツリと漏らす。
教室内は相変わらず騒がしいが、二人の周りだけ微妙に空間が開いている。どうやら二人の会話を邪魔しないようにとの配慮らしい。俺たちは見世物か、と土方は思うが面倒なので言わなかった。
「お妙さんと話したかったな。まあ、仕方ねえか。そういやぁトシはお妙さんと話したのか?」
腕組みをしながら椅子に座る近藤が、土方に尋ねる。
「話したよ」
土方は椅子の背もたれに背中をあずけ、視線を外へと向けたまま答えた。
「何の話しだよ」
「副委員がどうたらとか」
「それだけ?」
「ああ」
近藤が笑みを深くする。
「どうだった?可愛いかったろ?」
「ああ、そうだな」
土方の表情は分からない。だが、その返答に近藤は「だろ!!」と顔を綻ばせて笑った。
クラスメイトの誰かに呼ばれたのか、近藤の気配が遠ざかるのが分かる。なぜかホッとしている自分に土方は驚いていた。
視線の先には桜の木が整然と並んでいて、校門まで続くそれは緑色のトンネルのようだった。
喧騒は遠くなり、土方の瞳に緑の葉が映る。
思考は桜の花びらのように散っていき、心の奥に溜まっていった。
あの日の記憶が甦る。
ほんの少しだけ疼いた何かを断ち切るように、土方はゆっくりと目を閉じた。
2008.12.01
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