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土方が会いたくない奴その2、伊東。
山崎や坂田と同じZ組であり、坂田とはまた違う意味で山崎を悩ませる存在だ。
どちらかといえば女性的な線の細い顔立ちだが、華奢な雰囲気はない。
穏やかな笑みとは対照的に、眼鏡の奥にある目は冷めたままで、品定めするように坂田と土方を映していた。
「なんだ違うの? 伊東って裏切り者っぽいのに」
「はは、酷いな。クラスメイトからそんな風に見られているなんてね、困ったな」
と、少しも困ってなさそうに伊東が笑う。
一見すると人当たりの良い笑顔だが、その裏に隠されているモノを知っている山崎にとって伊東の笑顔ほど恐ろしいものはない。
(目が笑ってねえええ!)
胃の痛みが更に増した。
「土方くんからも言ってくれないか。残念ながら裏切り者じゃない――、てね」
伊東が浮かべた笑みをそのままで、坂田から視線を土方へ移した。
「あぁ、本当に残念だ。いっそテメェが裏切ってくれたらって思うよ」
「嫌われてるね。キミとは仲良くしたいのに」
「冗談なら面白くねえな。吐き気がする」
「同感だ。自分で言っててゾッとしたよ」
レンズ越しに映る土方の顔が、心底嫌そうに歪んだ。
この状況で分かるとおり、土方と伊東の仲は最悪だ。
どちらかといえば、山崎は坂田より、伊東と土方を会わせたくなかった。
しかしこの二人、いわゆる"仲間"という立場になる。ただ、二人は反目しあっており、よほどのことがないと会う事もなければ話す事もなかった。
一触即発な雰囲気の中、
「見つめあってねーで、早く近藤連れてけよ」
という坂田の言葉で、現実逃避していた山崎も状況を思い出し我に返った。
「そうだ、近藤さん!」
「近藤くん?近藤くんも居るのかい?」
伊東が雰囲気を和らげると、周りを見渡しながら一歩踏み出す。
「ぐえっ」
「そこ!そこの伊東くんが踏みつけてるそれが近藤さんっっ!!」
山崎が勢いよく伊東の足元を指差せば、ゆっくりとした動作で片足を上げ、「ああ、近藤くんじゃないか」と驚いた様子もなく呟いた。
「驚いたな。アウストラロピテクスの精巧なレリーフかと思ったら、近藤くんなんてね」
「驚いてねーだろ」
「心外だよ、土方くん」
「どう見てもロピってるよコレ。ロピ藤さんだろ、こいつ」
「坂田くん、良い呼び名だね。山崎くんも呼んでみたらどうだい?」
にっこりと微笑みながら、伊東は山崎に話しをふる。
「お、お、俺!?」
急に三人の視線が集まり、山崎はどもりつつもブンブンと頭を左右に振った。
そんなフザケた名前で呼べば近藤本人よりも土方、何より沖田の反応が恐い。
ザキのくせに、と理不尽な苦労を背負わせられるに違いないのだ。
それが分かった上で山崎に話しをふったのか。
山崎が苦手としているのは、伊東のこういう所だ。
(タチ悪りー!)
心の叫びが伝わったわけではないだろうが、三人の興味は横たわる近藤へと向かった。
「ロピ藤、生きてっか?」
坂田が軽く足先でつつく。
「てめ、蹴んなよ」
「うぅ…た…さん……」
「元気そうじゃん」
「それは残念」
近藤がうわごとを繰り返す姿を眺めて、伊東が溜め息をもらした。
そんな伊東を土方は冷めた表情で観察する。
「それが本音か、伊東」
「冗談だよ。本気にしないでくれ」
「いい加減、その化けの皮剥いだらどうだ」
口角を上げ、伊東を見つめる土方。
些細な軽口だが、機嫌の悪い土方には笑えない冗談だった。
「土方に冗談は通じねーよ」
突き刺さるような土方の気配をものともせず、いつもの軽い調子で坂田が声を発する。
「耳に息吹き掛けただけでキレやがってさ」
今しがた痛めた肩をさすりながら、坂田がダルそうに愚痴った。
その空気を読まないマイペースな態度に、場の雰囲気も僅かに柔らかくなる。
「テメェはまだ言ってんのか」
「二人は随分と仲が良いね」
「どこが。伊東もされてみろ。気色悪いだけだ」
先程の感触を思い出したのか、土方が端正な顔を歪めた。
「フッてだけでこれだからね。なら、舐めりゃあ良かったのか?」
「は?何言っ、」
「舐めれば良かったんだよ、坂田くん」
土方の返事を待たず、伊東が涼しい顔ではっきりと言い切った。
山崎の顔が一気に青ざめる。
「土方くんは舐めないからキレたんだと思うな」
「やっぱりそう思う? でも、さすがに男の耳舐めるのはなー」
「土方くんが是非にと言ってるんだ。舐めてあげたらいいじゃないか」
「まあ、土方がそこまで言うなら舐めねえこともねーけど」
「舐めんじゃねえよッッ!!」
二人の無駄に息の合った会話に土方の表情が怒りで歪む。
しかし、今の坂田と伊東の会話など普段繰り広げられている二人の会話に比べたら大したことはない、と山崎は知っていた。
だからといって、
「土方さん!クラスで土方さんが二人に言われてる事に比べたら、今のなんて可愛いもんですよ!!」
などと、口が裂けても言えなかった。
土方の怒声をBGMに、再び現実逃避する山崎が胃薬を貰いに保健室へ行こうかと考えていた時、坂田が不意に山崎の方へと向かってきた。
「俺、行くわ。委員長、あとよろしくー」
「ちょっと、え!?」
頭を掻きながら横を通り抜けようとする坂田に、山崎が手を伸ばす。
こんな地獄絵図の中、その張本人がイチ抜けするなんてありえないだろと坂田の腕を掴んだ。
「ちょっと、よろしくって、」
「俺、男と繋がる趣味ねーから離して」
「そんな下ネタいらないから!そうじゃなくて、よろしくって、」
無理に決まってるだろ!!と叫びたいのをグッとこらえる。
あてにならない坂田だが、いるといないとでは全く違う。なんとか坂田を留まらせようと山崎は思考回路をフル回転させた。
坂田の性格上、また興味をそそられるようなものがあれば立ち止まるはず。
何か、何かないか…!
山崎が祈るように、掴む手に力をこめた。
「なんだ。ここか」
よく通る声が廊下の先から響き渡る。
この場にいる誰でもない声だが、聞き覚えのある落ち着いた声。
「手間のかかる男だな」
艶のある黒髪を背中まで流した男が眼前の光景を無表情に眺める。
手には大量のプリントを載せながら、その涼やかで切れ長の目は、真っ直ぐに男達を見つめていた。
その後ろから、パタパタと軽やかな足音が近づく。
「ごめんね桂くん!そこで話しこんじゃって……」
「志村、山崎がいたぞ」
「本当に?」
桂が僅かに顔を横に向け、志村と呼んだ女子生徒に声をかけた。
「近藤もいる。周りにオマケも揃ってて賑やかだ」
「オマケって……」
そう言いながら、眉一つ動かさない桂の背後からヒョイっと顔をだしたのは、Z組もう一人のクラス委員、志村妙。
「……みんな、何してるの?」
「お、お妙さんッ!!」
妙の声が聞こえた瞬間、妙の名前を叫びつつ目を覚ました近藤。
「さすが、ストーカー」
と、立ち止まった坂田が感心したように呟いた。
2008.08.18
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