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「…痛い、」

じんじんと鈍い痛みに、小さく呻き声が口から漏れ出た。痛む腰を摩りながら上を見上げれば、ぽっかりと空いた穴からは、切り取った様な青い空だけが広がっていた。不覚だった。この裏庭一帯には、落とし穴があるから近づかない様にと今日、次屋くんと神崎くんに教えてもらったばかりだと言うのに。私は、小さく溜息を吐いて、どうしたものかと頭を抱えた。到底、飛んでも登っても無理だろう高さの穴の中、誰かに助けを乞わなければ、此処から出ることは不可能だろう。でも、私は声をあげることなく、その場に座り込んだ。今はまだこのままで良いや。空にぷかぷか浮かぶ雲を見上げたまま、私は此処に来てからの5日間を振り返った

そもそも私が来てしまった場所は、本当に私の知る『忍たま乱太郎』の世界だったのだろうか。知っている筈の場所なのに、知らない場所の様で。此処が本当にそうであるのか、信じられなくなってしまっている。最初に感じた違和感は、学園全体を漂う血の香りだった。私の知っている『忍たま乱太郎』は、子供向け番組であり、楽しく、時に穏やかに、そういう暖かさのあるものだった筈。それなのに、この場所は酷く冷たい。私よりも先に来たという彼女たちは、恐らく彼らに殺されている。彼女たちが、一体何をしてしまったのかは想像も出来ない。だけど、あの時の土井先生の雰囲気、空気、踏み込むなと作られた冷たい笑み、その全てが彼女たちの末路を物語っていた

次に感じた違和感は、彼らについてだった。土井先生が嫌いだと言われていた練り物を進んで口にしたり、方向音痴と言われていた次屋くんや神崎くんは、迷子になることなく学園内を案内してくれた

「だって忍びですよ?方向音痴なんて致命的でしょ。」

あの時の彼らは、そう言った。確かにそうであるのに、何処か納得いかなくて。どうして、方向音痴なんて呼ばれているのかと尋ねてみれば、彼らは「そういう約束ですから」と、訳の分からない返事をくれた。その後、詳しく聞こうも、彼らは笑うだけで何も応えてはくれなかった。これから先は私が踏み込むべき領域ではないと、大きな一線を引かれた気がした。だったら、どうしてそんなことを言うのか。もう頭がぐちゃぐちゃで訳が分からなくなってきた…。一体、私は何処に来てしまったんだろう…

「大丈夫ですか?」

そんな時だった。上から降ってきた声に顔を上げれば、見覚えのある顔に私の口からは小さく彼の名前が飛び出してしまった

「善法寺くん…。」
「手を伸ばせますか?」

穴の中へと差し込まれた手に、恐る恐ると自信の手を重ねれば、思いのほか強い力で手と腰を引かれ、一瞬のうちに私は地面に足を付けていた

「…ありがとうございます。」
「いえ、大丈夫ですよ。此処は落とし穴が多いので、歩く時はなるべく端を歩いた方が良いですよ。」

そうしてにこりと笑んだ彼は、よく画面越しに見ていた柔らかい笑みを浮かべていた

「此処の辺りは危ないですからね。長屋の方まで案内しますよ。」
「お願いします…。」

このままだと、いつまた穴の中へと戻ってしまうか分からない。だったら此処は善法寺くんにお願いした方が良いだろう。私の手を引いて、歩き出した彼に続いて、私も同じように彼の後を辿った。時折、地面の上を避ける様にひょいひょいと飛んで歩く彼の真似をして、その場所を避けて歩く

「善法寺くんは、何処に落とし穴があるか分かるんですか?」
「これでも忍術学園の上級生ですからね。罠のあるなしはすぐに分かりますよ。」

じゃあ、どうして彼は不運だなんて呼ばれていたんだろうか。此処にも私の知らない何かが存在していた。ああ、何だか嫌な感じだな

「善法寺くんの所属する保健委員って…、その…不運委員って呼ばれてますよね?」
「そうですね。そう呼ばれていますね。」
「でも、善法寺くん、罠の場所も分かるし、そういう素振りもなくて…。」

何て言っていいのか言い淀む。私の知っていた筈の善法寺くんは、何度も不運に見舞われて、いつも落とし穴に落ちたり、七松くんのバレーボールを頭に受けたりしていた。こんな、落とし穴を的確に避けて行く彼は、予想外だった。だから、頭が付いていかないのだ

「そうですねえ…今の僕は不運じゃないから、ではないでしょうか?」
「今の善法寺…くん?」

今の善法寺くんとは、どういうことだろうか。私の知っている善法寺くんとは違うのだろうか

「それに、不運なんてものに何度も見舞われていたら、命がいくつあっても足りませんよ。」

詳しく聞こうとするも、彼はもうこの話は終わりとばかりに、相も変わらず忍びらしくないその笑顔で微笑み、優しく私の手を引いた。ただ、その笑顔だけは私がよく知るものだった

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