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鉢屋くんと尾浜くんが、学園長先生へと私の自由を提言してくれ、遂に私はこの部屋を自由に出入りしても良いというお許しを頂いた。しかし、一体どうするべきか。この部屋から出るとしても、私には何の目的もない。行きたい場所もなければ、この学園に嫌悪感を抱いてしまっている身では、どうしても此処を出ることが怖かった。いつの間にか陽はすっかり西の方角へと傾き、恐らくヘムヘムが授業終了を知らせたであろう鐘の音が遠くで聞こえた。これでは、すっかりと引きこもりだ。部屋から出ることといえば、朝昼晩の食事、厠に湯浴み。これだけに限られている。タダで置いてもらう身であり、何もせずにいるのは大変心苦しいのだけど、遠回しに何もするなと殺気混じりに釘を刺されてしまえば、お手伝いできることはありますか。なんて言葉は言えなかった

「…だけど、これじゃぁダメだよね…。」

いつまでも引きこもってばかりじゃ、何も変わらないし、好きなこの世界を険悪したままでいたくない。だったら、いっそのこと自らこの世界に飛び込んでみようか。この場所とあの場所を隔てるこの襖一枚、開いて一歩を踏み出せば何かが変わるのかもしれない。だけど勇気というか、今一歩踏ん切りつかないというか…。そうして云々と腕を組み唸り始めた時だった、何の前触れもなくその襖が開かれたのは

「伊織さん、入りますよー。」

ちょっとそれは順序が逆なんじゃないだろうか。開けてから入りますよと宣言した少年2人は、私の了承なんてお構いなしにずかずかと、部屋へと侵入してきた。いや、今更だけど本当にプライバシーとかそういうの皆無なんだね!

「伊織さん、初めまして!私が神崎左門で、」
「俺が次屋三之助です。宜しくお願いします。」

萌黄色の制服に身を包んだ少年2人は、そうだけ言うと一方的に私の腕をぐいぐいと引いて、部屋の外へと連れ出した

「え、えっと次屋くん、神崎くん、何処かに行くんですか?」
「先生方から聞いたんです。伊織さんが自由に学園内を歩けるようになったって。」
「だから私たちが、伊織さんに学園案内をしてさしあげようと思ったんです。」

尚も腕を引いて歩く2人に、私は違和感と戸惑いを感じつつも、お礼を言った。一体どうして、そんな親切を働いてくれたのかは分からないけど、これは良い切っ掛けなのかもしれない。あの部屋から出ていく勇気の無かった私の背中を押してくれた彼らに感謝しなくちゃ。そうして決意してからは、戸惑いなんて何処かへ飛んでいってしまった。そうすれば、私はしっかりと歩けるわけで。私は2人に引かれる様にして握られた手に視線を落とした。次いでその後に1人で歩けるから大丈夫だよ。と、やんわりと2人に伝えれば、彼らはそうですか?何てきょとんとした顔の後、私の手をパッと離してくれた

「次屋くん神崎くん、ありがとうございます。…えっと、宜しくお願いしますね。」
「はい!私たちに任せてください!」

まずは校舎からだ!と先陣切って歩き出した神崎くんの後に次いで、私は次屋くんと並んで後を追った。何処かしっくりこない違和感だけを残したまま



「此処が三年の校舎で、此処の廊下を曲がった所が、四年の校舎になってます。」
「伊織さん、だいたい覚えられましたか?」
「2人が丁寧に教えてくれたから、ちゃんと覚えられましたよ。」

本当にありがとうございました、とそう伝えれば気にしないでください。と2人は顔を見合わせて笑っていた。きっと私の思い過ごしだったのだろう。あれから中庭に裏庭、運動場に事務室、食堂から教室棟まで学園の殆どを2人は案内してくれた。不思議なくらい他の人には全く会わなくて、今気づけば学園内は何処となく静かな、そんな感じがした。だけどそこで初めて、他の萌黄色が視界に映った。その人物は、お。と此方に気付いた様に小さく声をあげて、此方へと近寄ってきた

「伊織さんこんにちは。三之助に左門は何してんだ?」
「お、作兵衛!今な、伊織さんに学園内を案内しているとこなんだ。」

富松作兵衛だった。小さな工具箱を腕に抱えた彼は用具委員会の途中なのだろうか、へーと相槌を打つと、その釣り目がちの大きな瞳を私へと向けた

「伊織さん、コイツらが何か粗相しちゃあいませんでしたか?何かあったら容赦なくぶん殴って良いんで、遠慮はしないでくださいね。」
「作兵衛、酷いぞ!私たちは失礼なことなんてしてないぞ!」
「そうだぞ!心外だ心外!」

ぎゃいぎゃい声をあげる2人に、富松くんは煩ぇと声をあげ返した

「そう言えば作兵衛は委員会の途中なのか?」
「あぁ。四年教室の壁が脆くなってるってんで、今から食満先輩と補修に行くんだ。」

次屋くんも富松くんの腕の中の工具箱に気付いたのか、思いついた様に口にすれば富松くんは頷き、それだったら丁度良かったと神崎くんが次に口を開いた

「食満先輩に先日、道に迷っていたところを助けていただいたんだ。宜しく伝えておいてくれないか。」
「おう、かまわねーけど。ちゃんとその場で礼は言ったんだろうな。」
「勿論だ。な、三之助!」
「あぁ、抜かりないな。」

そんな彼らの会話を聞きながら、どうして神崎くんと次屋くんが私の手を引いたあの時に違和感を感じてしまったのか、そこで初めて、抱いていた違和感の正体に私は気付いてしまった。どうして、こんな当たり前のことに気付かなかったんだろう。気づけなかったんだろう。彼らは無自覚な方向音痴と、決断力のある方向音痴。あんなにもアニメで見て知っていたことだったのに。こんな、私に学園内を案内してくれるなんて芸当、出来る訳がないのだ。それなのに、どうして…

「…あの、次屋くんと神崎くんは、…方向音痴でした、よね?」
「あぁ、そうか!伊織さんは『忍たま乱太郎』をご存知だから、私たちが方向音痴と言われていることも知っていましたよね!」

あの土井先生と食事をとった時と同じような違和感に、吐き気がした。知っている筈なのに、それが間違いだと突き付けられた様に。何かが違うその小さな違和感を、気持ち悪く感じた

「あぁ、確かに俺たちは周りから方向音痴と言われてますね。」
「…だったら、何で案内なんて…。」

出来る筈が無い。それなのに、それなのに彼らは何とでもない様に笑みを浮かべて

「そうですね。だけど、まだその時間じゃありませんので。」

さぁ、次は校庭に案内しますよ。そうして次屋くんに引かれた手は、どうしてかとても冷たく感じた。私の記憶が間違っているのか、彼らが違うのか分からないけど、どうしてか新しく生まれた違和感は、またしても私の中ではっきりとした嫌悪感へと姿を変えてしまった


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