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「美味しいですか?」
「はい…。とても、美味しいです…。」
「それは良かった。」

目の前で同じA定食を口にする土井先生は、そう言って箸を動かした。『忍たま乱太郎』のアニメを見てずっと思っていたこと、おばちゃんの作るご飯を食べてみたいな。その夢が念願叶って嬉しいはずなのに、何故かその味があまりよく分からなかった。それは多分、周りから突き刺さる様に感じる視線。四方八方からその目を向けられて、味どころか箸を進める手さえも上手く動いてはくれなかった

「すみません。彼らに悪気はないんですよ。」

そう言って困ったように笑う土井先生に、私は何とも言えず笑い返した。食堂には色とりどりの色が集まり賑わっている。その大半がひそひそ話す小さな声と私に向けられる視線。何を話しているのかなんて分からないけど、此処は酷く居心地が悪いなと私は魚の身をゆっくりとほぐした

「そう言えば伊織さんはアニメの『忍たま乱太郎』をご存じですか?」
「………え。」

世間話を続けるかの様なごく自然な流れだった。相変わらず土井先生の顔は笑みを浮かべていて、気づけば周りの音は掻き消え、今はただ静寂がこの場を包み込んでいた

「……土井先生、それは一体どういう意味ですか…?」
「どうもこうも、そのままの意味ですよ。伊織さんは『忍たま乱太郎』というアニメをご存知ですか?」

ごく自然な動作で、土井先生は煮物の入った小鉢に箸を伸ばし大根を口へと運んだ。その一連の動作を眺めながら、私は停止してしまった思考を何とか動かそうと必死に考えていた。勿論、土井先生の質問の意味は分かっているし。知っているかどうかと聞かれれば勿論、答えは知っているに決まっている。『忍たま乱太郎』は私の大好きなアニメであり、幼い頃から今まで一緒に成長してきた番組なのだから。だから勿論、彼らのことは一方的に何でも知っていたし、この3日間そのボロが出ない様に必死に何もかもを知らないふりをして過ごしてきた。彼らの世界が作られたものだと否定したくなかったし、この世界に来てしまった以上、此処は現実の世界になる。作られたものじゃない、彼らは生きていてちゃんと成長している。だから、知られない様に振る舞っていた。それなのに、土井先生は全てをお見通しの様にその質問を口にした。彼は知っているのだろうか。彼らは、知っているのだろうか。此処が漫画やアニメの世界として、別の世界で見守られ続けているという事実に

「あぁ、別にその返答で貴方をどうこうしようという訳ではないんですよ?ただ私の純粋な疑問ですから。ただ、今までの天女様は全員、『忍たま乱太郎』をご存じな様でしたので、もしかしたら伊織さんも知っているのかと…それだけなんです。」

そう言った土井先生は、味噌汁の入った御碗に口を付けた。私は一体、何と応えたらいいんだろうか。素直に知っていると答えてもいいのか、白を切って知らないふりを続けるべきなのか。だけど私は、その土井先生の質問に何処か確信めいたものを感じた。きっと彼は気づいている。彼らは気づいている。私が『忍たま乱太郎』という物語を知っていると

「…知って、います…。」

バクバクと早鐘の様に私の心臓は暴れていた。そうですか。にこりと微笑む土井先生に、私の心臓は一層の事、暴れ狂っていた

「…土井先生は、…どうして、『忍たま乱太郎』をご存知…なんですか?」
「……そうですねぇ。」

土井先生は、ゆっくりとした動作で煮物の入った小鉢に箸を伸ばした。その動きを相変わらず目で追えば、躊躇もなく摘み上げられたそれに、私は驚きを込めてパシパシと瞬きを打った。土井先生の箸に摘み上げられたのは、大き目に切られたちくわ。確か練り物は土井先生の大嫌いな食べ物だ。泣くほど嫌い、おばちゃんの目を誤魔化すまでして食べることを拒んでいたそれ。極自然な動作で箸でちくわを持ち上げた土井先生に、私は一体どうしたのかと彼を見上げた。だけどそこにあったのは、今まで通りの笑顔で

「どうして、でしょうねぇ?」

パクリと土井先生の口の中へと放られたちくわを目で追って、私の思考はいよいよ停止してしまった

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