「陽菜ちゃん、おはよう。」
「おはよう、柚木ちゃん。」

早くもなく遅くもなく。少し教室がざわつき始めた頃に、私はのんびりと登校した。何人かのクラスメイトと軽く挨拶を交わして、私はそのまま自分の席についてから、持っていた鞄を横に引っ掛けた

「おはよう、倉崎さん。」
「おはよう、鳳くん。」

後ろから声をかけられて振り返れば、思った通り、そこには文庫本を片手に朗らかな笑みを浮かべる鳳くんがいた。朝から爽やかだな、なんて思いながら私は、ゆったりと身体ごと後ろへと振り返った

「鳳くんはいつも朝、早いの?」
「部活の朝練があるからね。学校自体には、早い時間帯に来てるよ。」
「大変だねぇ…。」

ちらりと彼の後ろに視線を送れば、壁には大きな黒のラケットバックが立てかけられていた。それを見て、テニス部?と問えば、彼からはそうだよと応えが返ってきた

「確か、氷帝学園の男子テニス部って強豪チームなんだよね。」
「倉崎さん、テニスに詳しいの?」
「ううん、ほら。私の前の学校って立海だったから、テニス関係の話はよく耳にしてたの。それに報道部でよくテニス部の取材とかしてたし、その関係でね、ちょっと詳しいんだ。」

あぁ、なるほど。なんて相槌を打つ鳳くんに、私もだからなんだ。って返した。勿論、私が報道部に入った理由は魔女の情報を集める為にあるんだけど、だからってその他の仕事を蔑ろにすることも出来ずに、テニス部のことや学園祭のことなど、学校内のニュースも調査していたっけ

「おい、鳳。跡部さんから連絡で、今日の部活は自主練に変更だそうだ。」
「日吉。いきなり自主練だなんて、何かあったのかな?」
「さぁ、他は何も言ってなかったからな。」
「そっか。」

鳳くんとそんな会話を続けていれば、いつの間にか教室に入ってきていたパッツンな髪型の男の子が鳳くんに声をかけていた。忘れるはずもない。見覚えのある彼は昨日、魔女の巣で使い魔に襲われていた人だった

「そうだ、日吉。倉崎さんに会うのは初めてだろ?」

その言葉で、彼の誰だと言う様な訝し気な視線が私へと向いた。相変わらず、目つき悪いな。なんて内心で苦笑しながら、彼にとって初対面な私は、にっこりと笑みを作った

「初めまして。昨日、転校してきた倉崎陽菜です。宜しくね。」
「日吉若だ。」
「日吉くんだね。」

うん。キュウべえが彼から奪った魔女と私についての記憶は、しっかりと消えている様だ。警戒する様な、探る様な敵意も何も感じないその瞳に、私はよしよしと内心で頷いた。だけどそれとは逆に宿る、好奇心からくるだろう瞳の色に、私は聊か眉を顰めた

「そう言えば、昨日話してたけど倉崎さん、一人暮らししてるって本当?」
「そうだよ。ちょっと家庭の事情でね。」
「事情って何だ?」
「ちょっと、日吉!流石に家庭の事情まで聞くのは失礼だよ。」

腕を組んで座っている私を見下ろす日吉くんは、さながら取り調べ中の刑事の様だった。有無を言わせないその態度に、すかさず鳳くんが注意するけど、私は大丈夫だよと笑って鳳くんを宥めた

「私の両親ね、小さい頃に亡くなってるの。最初は親戚のおばさんの家にお世話になってたんだけど、2年に上がってからは無理を言って一人暮らしさせてもらってるんだ。」

私が小学4年生の頃。両目の視力を失ったあの事故で、私は視力だけじゃなく両親までもを失った。丁度、学校の休みと父と母の仕事休みが重なって、折角だから遊園地にでも行こうかなんて言って、私たちは父の運転する車で家を出発したのだ。だけどその道中で、大型のトラックが私たちの車へと突っ込んできて、父と母は即死、私も瀕死の重体で病院に運ばれた。元凶のトラックの運転手は居眠り運転だったらしい

「でも、よく中学生で一人暮らしする許可もらえたね。」
「たくさん無理、言っちゃったからね。それで2日に1回は絶対に電話するようにって約束で、許してくれたんだ。」

一人暮らしを望んだのは魔法少女になってからだった。ただ、純粋に自由に動ける環境が欲しかった。魔女を狩るのは基本的に深夜の時間帯が多くて、こっそり家を抜け出したのがバレたら、おばさん一家にきっと凄く心配をかけてしまうだろうっていう不安があったのだ

「何故、そこまでして一人暮らしを望んだんだ。」
「おばさんの家ね、高校生のお兄ちゃんとお姉ちゃんがいてね、凄く仲が良かったの。私にも凄く良くしてくれてね、毎日塞ぎこんでた私を優しく迎え入れてくれたんだ。」
「だったら、どうして家を出たんだ?」

自然と下がる眉。当時を思い出して少しだけ寂しい笑みを浮かんでしまう。だけどそんな私と同じように辛そうな表情を浮かべる鳳くんに、どうしてキミまでそんな顔しちゃうかな、なんて気持ちが少しだけ軽くなった気がした

「だからかな。皆が私も家族として受け止めてくれたから、余計に両親のことを思い出して辛かったの。2人が生きてたら、こんな風に食卓を囲んで、今日1日の出来事を話して、嫌なことも楽しいことも悲しいことも。全部、こうやって共有していくのかなって。両親が恋しくて、堪らなくなっちゃったの…。」

だけど、これも本当。おばさん一家は本当に、素敵な家族だった。もしあの事故がなくて、両親が死んだことも無しになるなら、あんな家庭を作りたかったなっていう理想でもあった

「でも、だったらどうして他の学校を転々としてるんだ?」
「日吉くんは、いやに質問ばっかりだね。」

さっきから本当に取り調べの様に次々と質問を浴びせられる質問に、私はにこりと言い返した。だけど当の日吉くんは、それがどうしたとばかりに飄々とした態度をとっている。ごめんねと謝る鳳くんの謙虚な気持ちを、少しは真似して欲しいな

「単刀直入に聞く。お前は咲口先輩と何か関わりがあるのか?」
「どうしてそう思うの?」

彼は最初からこれが目的だったのだろうか。迷いのないその疑問に、私は内心で首を傾げた。彼の昨日の記憶はもう無い筈なのに、どうして私と魔女の餌食となった咲口茜を結びつけるのか………。真っ直ぐに射抜いてくる日吉くんのその視線を、私も逸らすことなく見つめ返した

「はっきり言う。私は咲口なんて人は知らないよ。」
「本当だな?」
「勿論、嘘なんて言わないよ。」

探る様な視線。私は何てことない風を装って、いつもの談笑をするかのように言い返した。相も変わらず困った様に私たちを見比べる鳳くん。日吉くんが何か口を開こうとしたその時、丁度、ホームルームを始める予鈴の音が校舎に響きわたった

「そうか。邪魔したな。」
「ううん。じゃあね、日吉くん。」
「あ、日吉!また部活で!」

教室を出て行った日吉くんの背を見つめていれば、ちょいちょいと肩を叩かれて、私は鳳くんへと視線を向けた

「倉崎さん、ごめんね。随分、日吉が失礼なこと聞いちゃって。」
「大丈夫だよ。でも咲口先輩って言うのは…?」
「昨日、聞かなかった?マンションの屋上から飛び降り自殺したっていう3年の先輩のこ。彼女が咲口先輩なんだ。」
「確か昨日、皆が騒いでたから何となくは知ってたけど…。だけど、どうして日吉くんは私とその咲口先輩に関わりがあるなんて思ったのかな?」

それとなく、探りを入れる。日吉くんに記憶が残っている様なら、またキュゥべえにお願いして消してもらわなくちゃいけないし。鳳くんは、困った様に眉を下げて、実はねと口を開いた

「日吉はオカルトとか、不思議なことに興味があってね。倉崎さんの急な時期の転校と、不可解な咲口先輩の自殺がタイミング良く重なったもんだから、倉崎さんが何か関係してるって思たみたいで…。気を悪くしちゃったら、ごめんね。」
「…ううん、確かに微妙な時期に来ちゃったもんね、それにそんなことがあったら、少しでも疑っちゃうのは仕方ないよ。」
「そう言ってもらえると助かるよ。日吉もあれで、悪意はないんだ。」
「それは分かるよ。大丈夫。」

気にしてないと笑えば、良かったと鳳くんは笑った。日吉くんの記憶はどうやら、無いとみて間違いないようだ。だけど、先程の私の返答で彼が納得したとは到底、思えない。きっとまた接触してくるだろう…

「面倒なことになっちゃったな…。」

私は溜息を一つ吐いて、いつの間にか教室に入ってきた原口先生の話を聞くため、身体を教卓の前へと向けた


要注意人物
(厄介な人物に目を付けられた様だ…)

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