「彼の記憶は完全に消えているよ。何の問題もないさ。」

3限目。自主休講という名の仮病を使って屋上に向かえば案の定、待ってましたとばかりにキュゥべぇが姿を現した。一体、彼はどうやって私の周りの出来事を観察しているのか。姿が見えなければ気配も全く感じなかったのに、どうやら教室で起こった出来事は全てキュゥべぇには筒抜けの様だった

「好奇心らしいよ。だいぶ厄介だとは思うけど。」
「好奇心は身を滅ぼすとも言うからね。魔女に目を付けられたら、彼もただじゃ済まないよ。」
「最悪の結末だね。」

うーん、と悩んでみても彼の好奇心を捻じ曲げる術が、どうしても思い浮かばない。正直、周りをうろつかれるのはご遠慮願いたい。下手に探りを入れられ、後を付けられでもしたら魔法少女という存在がバレてしまうかもしれない。勘の鋭いだろう日吉くんのことだ、生半可な偽装じゃすぐに見破られてしまうだろう

「とりあえず極力、此方から接触しない様にするよ。彼も部活があるみたいだし、放課後からは大丈夫だと思うよ。」
「そうだね。それで放課後は、あの魔女を狩りに行くんだろ?」
「昨日はタイミングが悪かったからね。放課後1番に巣を探しに行くつもり。」

そう返答すれば、キュゥべぇは分かったよと一つ頷いて、その姿を給水タンクの裏へと消してしまった。さて、私はどうしようか。次第に此方に近づいてくる気配に、私は聊か首を捻らせた。仕方がない。私はなるべく隠れるであろう死角に入り込み、壁に背をもたらせ座り込んだ。きっと私と同じサボりさんだから咎められはしないだろうけど、やっぱりサボるのは宜しくないもんね。見つからないに越したことはない。漸く丁度良い体勢を見つけた時だった。ギィという錆びついた扉の音を響かせやって来たのは、上履きの色からどうも1つ上の先輩の様だった。今にも閉じてしまいそうな瞼を辛うじて半分開きながらも、彼は最後の力を振り絞ったのだろうか。ふらふらと屋上の中央まで来たかと思えばそのままバタりと倒れ込んでしまった。……って、え、死んだ!?

「ちょ、え、え、だ、大丈夫ですか!?」

私はその場を飛び上がり、慌てて彼へと駆け寄ってその肩をゆさゆさと思いっきり揺すった。思いのほか簡単に起き上がった彼の上半身はそれ程、身体が柔らかいのか私が揺さぶる度にがくんがくんと、大きく前後する。だけど、それでも開かれない瞼に、いよいよ誰かを呼ぶべきかと決意した時だった。緊迫したこの雰囲気をぶち壊すかの様に聞こえてきたその音に、私はペタリと地面に座り込んで、コイツは何て人騒がせな奴なんだと大きなため息を一つ吐く

「寝てるだけとか。」
「…スー…スー」

規則正しい寝息に頭が痛くなる。いや、勝手に倒れたと勘違いしてしまった私も悪いんだけど、だけど、それでも何て寝方をするんだ。それにこんなに揺さぶっても起きないなんて。一発ガツンと殴ってしまいたくなるけど、この幸せそうな寝顔を見ているとどうにも起こる気が失せてしまう

「あぁ、もういいや。放っておこう…。」

寝てるならこれ以上、関わる理由もないし放っておくに限るだろう。そう思ってよいしょと腰を上げようとした時だった。もう開くことはないんじゃないだろうかと思ってしまう程、固く固く閉じられていた瞼が開いたのは

「…オメェー、誰だC…。」

うっわ、起きたC……。どれだけ揺さぶっても起きなかった彼が、別に起きなくても良いこんなどうでも良いタイミングで目を覚ました様だ。まだ寝ぼけ眼のその目を擦って、彼は訝しげな視線で私を見上げた。きっと彼の中で私は怪しい人カテゴリに分類されているだろう、そんな視線だった

「…私は2年C組の倉崎陽菜です。先ほど、先輩が屋上に入ってきた時にパタリと倒れてしまったので、気絶してしまったのかと心配になって様子を見に来たんです。」

変質者扱いは困る。教師にでも報告されてしまえば、私の氷帝生活に終止符が打たれてしまう。それは何とか阻止せねばとノンブレスで、一気に説明すれば一瞬、何だ?といった表情を浮かべた彼。だけど、漸く理解したのか眉をへにゃりと下げてそっかーと小さく笑みを浮かべた

「ごめんねぇ。俺、眠たくって眠たくってさ…、あ。俺、芥川慈郎。宜しくー。」
「芥川先輩ですね!宜しくお願いします。」

此処はサボり仲間として宜しくと取って良いのだろうか。くあ、と大きく欠伸をした芥川先輩を見て、これ以上お休みの邪魔をするのも良くないと思い、その場を立ち上がった

「じゃぁ、芥川先輩。起こしてしまって申し訳ありませんでした。もう邪魔はしないので、ゆっくり休んでくださいね。」
「Aーっ!何でだCーっ!」

その言葉を残して踵を返せば、そうはさせまいといった風にスカートの端を握られ、その手によってそれ以上進むのを阻止されてしまった。というかセクハラ!ぎゅうぎゅう引っ張られるスカートの裾を離せと、此方も負けじとぎゅうぎゅうと引っ張り返せば、芥川先輩は思いのほかあっさりと手を離してくれて、私は酷く皺のよってしまったスカートを見て小さく息を吐いた

「せっかく友達になったんだC、ちょっとお話しようよ。」
「…あ、はい…喜んで…。」

どうやら彼の宜しくはサボり仲間として宜しくという意味ではなかったようだ。お友達だったのか。ほわほわ柔らかい笑みを浮かべて微笑む芥川先輩は、一体全体どうしてだろう。私にはそれが、どうしても羊の皮を被った意地悪な何かにしか見えなかった


ふわふわな羊少年
(そう思ったのは見た目だけで)

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