初めは、鳥か何かの巣穴だろうと思った。木の幹にぽっかりと空いた小さな穴。ありきたりなその光景にも関わらず、俺にはどうしてかその穴が酷く異質なモノに見えた。言葉にするのは難しいが、敢えて言うならこの世のモノではない何か。だから、かもしれない。オカルト的な何かなら、それが何なのか興味が湧いてくる。調べたい。その思いだけで俺は穴に近づき、好奇心を抑えることもなくその暗闇の中へと手を伸ばしてしまったのだ

瞬きをして次に目を開いた時には、俺は公園じゃない別の場所にいた。軽快な音楽が流れる、何処か薄暗い遊園地の様な場所。だけど色が淀み混じった空と、宙を走る得体の知れない物体で、此処が普通の場所じゃないということを瞬時に察してしまった。此処は、人間がいて良い場所じゃないと


「っ、何なんだ、此処は!」

俺は目も口も下半身も何もない、猫の耳が付いた様な白い塊に囲まれていた。20匹はいるだろうか、俺の周りをとり囲みながら、隙を見せればその身体を投げ、攻撃しようとする。俺は体制を低く構えながらも、隙を見せない様にと身構えた。だけどこのまま此処にいれば、何時かは攻撃を受けてしまうだろう。俺の周りをぐるぐると囲む不気味なそれに、俺はいつの間にかじっとりと汗をかいていた

「キキキ キキキッ!」

その塊の攻撃を何度も避けていれば、段々とギリギリになってくる俺の動きに、ソレは滑稽だとでも言うように声をあげて笑った。耳に痛いくらいに突き刺さるその声に一瞬、くらりと眩暈がする。どれだけコイツらに囲まれていたのだろう。だから本当にギリギリだったのだ。その不気味な塊がピタリと攻撃を止めてしまったのには正直、不審に感じるよりも先に、俺はほっと息を吐いてしまった

「キキ キキキキッ!」
「…何……、だ。」

またしても不快な声が鼓膜を貫き、さっきとは比べものにならない程の衝撃が頭を襲ってくる。脳みそを揺さぶられているかの様に、視界も思考も全てがぐちゃぐちゃになる。それを促す様に、また俺の周りをぐるぐると塊が回りだし、同じ様に俺の視界もぐるぐると回りだした。どうしてかぼーとして、何も考えられなくなる。俺を取り囲む輪が、だんだんとその輪を縮ませ、迫ってきた。それなのに、どうしてか俺の身体はぴくりとも動かなくて。もう思考も判断力も全ての機能がストップしてしまったみたいだ。分からない。もう何も分からない。此処は何処だとか、この白い塊は何だ、とか、もう何が、何で、どうして、分からない、何、何を、何が、何で、此処は、アレは、……俺は、どうして……何で、俺……が………………ナ、に…、デ、……、




「サン・ディ・ショット!」


ガウンッ!

突然、闇に沈んでいた思考に鈍い銃声音が響き渡った。途端、霧が晴れたかの様に全てがクリアになり、同時にひんやりと体温を奪われつつあった身体は温かみを取り戻し、またしても嫌な汗がじっとりと浮かんでくる。周りにいた不気味な塊は、先程の銃弾を受けてしまったのだろうか。轟々とした炎に包まれ、塊は一瞬にしてその姿を灰へと変えてしまった

「…、一体…何が…、」

数十匹もいたソレは、俺の周りから全て消え去り、場所もいつの間にか元いた公園へと戻っていた。帰り道に通りかかった時と何も変わらない無人の公園。ただ1つ違うことは、夕焼けに染まっていた空が、今はもうとっぷりと沈み、その身にたくさんの星を散らばせているという事だけだろう

「キミ、本当に危なかったよ!」

そこでやっと、この場所に俺以外の人間がいることに気が付いた。真っ暗な公園に凛と透き通るソプラノの声。その声につられる様に、自然と視線が上を向いた

「って、あれ?キミのその制服、もしかしなくても氷帝生だよね?」

そう言って首を傾げたそいつは、セーラー服なのかコスプレなのか、とにかく奇妙な恰好をしていた。橙色を基調とした丈の短いフリルのワンピースに、胸元についた大き目のリボンが、風に吹かれてゆらゆらと揺れている。そんな彼女の右手にある、不釣り合いな銃が街灯に照らされて、黒くその存在を主張していた。この女なら、あの不気味な空間のことも、白い塊のことも知っているのだろうか。俺はあんな目に合ったばかりだと言うのに、どうしてもその謎に対する好奇心を抑えられなかった

「お前は、何者だ?さっきの、アレは何なんだ。」
「うーん、私はしがない魔法少女やってます。さっきのキミがいたあの場所は、魔女の巣。それでもってキミを襲っていた白い塊は、魔女の使い魔。キミ、あと一歩で死んじゃうとこだったんだよ。」

私が間に合って良かったね!そう言って笑う彼女の言葉に、今度は俺が首を傾げる番だった。魔女?使い魔?一体、どういうことだ。現実的ではないそれに、俺は眉を顰めて訝しげな視線を彼女にぶつけた

「まぁ、なかなか受け止めがたいよね。だけどね、彼女たちは存在してるんだよ。いつでも私たちの、すぐ傍で息を潜めてる。隙を見せれば、喉元に喰らい付かれる。ありえない、なんてことはありえないんだよ。非現実的だと思うソレも、私たちの日常に溶け込んでいる。」

手に収められていた銃をかちゃかちゃと指で弄りながら、彼女は淡々と言葉を紡いでいく。真剣なその眼差しに、自然と喉がごくりと上下した

「ねぇ、ところでキミも氷帝生だよね?」
「…あぁ。も、ってことはお前も…。」

そうだよ。彼女はにっこりと笑いながら、星形の髪留めに手を翳した。途端に、パァッ、と眩い光が彼女を包み込み、一瞬にして飛散した後には、彼女はその身に氷帝学園の制服を纏っていた

「その学年章…2年か。」
「そ、氷帝学園2年生だよ!」

彼女の胸元のポケットに付けられた学年章を見て、果たしてこんな女が同じ学年にいただろうかと記憶を巡らすが、初めてみるその顔に本当に彼女が氷帝生なのかと、疑念が湧いてくる

「お前、名前は…。」
「名前は、…って、もうどうでも良いんじゃないかな?」

と言うか、今までのやりとりもどうでも良いものなんだけどさ。そうして彼女は右肩に手を翳して、何かを撫でるかの様にその手を宙に滑らした

「だって、キミは此処で見たものも、体験したことも全部、忘れちゃうんだからさ。」

「ね。そうなったら今から何を話したって、もうどうでも良いことでしょ?」そうして、またにっこりと笑みを作る彼女に、俺の背筋をツゥ、と嫌な汗が流れ落ちていった

「ごめんね。キミに覚えていられたら、色々と都合が悪いから。」

困った様に眉を下げて笑う彼女に、俺は一歩後ずさり、身構える。まさか、コイツは人の記憶を消そうとしているのだろうか。いや、いくらなんでもそんな…。そこまで考えて俺は、ハッとした。ありえないなんてことは、ありえない。きっと彼女は今日、俺が此処で体験した記憶だけを抜き取る術を、持っているのだろう。非現実的な方法を…。彼女は、またしても右肩に乗る何かを撫でるかの様に、その手を宙に浮かべた

「キュゥべえ、お願い。」

この場にいる第三者に声をかけるかの様に、口にしたキュゥべえという名前。俺は、更に警戒を強めたが、ただその名前を聞いた瞬間、俺の思考は、呆気なくも深い闇の中へと沈んでしまった


全ての非日常
(ただ最後に、真っ赤な何かに見つめられていた様な、そんな気がした)

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