「…咲口とは、2年の時から同じクラスだったんだ…。」

完全下校40分前。生徒会室に向日は、その力ない笑顔を覗かせた。そんな顔を見てられなくて俺は無理して笑うな、と真っ先に口にした。そう言えば、向日の顔は一瞬悲痛の色に歪んだが、コイツが意外にも泣くことはなく、ゆっくりと近くのソファに腰を下ろせばポツリポツリと、咲口との話を聞かせてくれた

「跡部ももう知ってると思うけどアイツ、本当に人望あったんだよ。」

困ってる人間とか見捨てられない性質でさ、いつもそんな奴を見つけては、あれやこれやって世話やいてんの。誰にだって分け隔てなく接してたから、いつの間にか咲口の周りにはアイツを慕う人間ばっかりになってさ。いつも笑ってたんだ

実を言えばさ、俺もそんな助けられた人間の1人なんだぜ。…俺さ、2年の3学期にテニスでスランプに嵌っちまっただろ?どれだけ練習してもダメで、どれだけ飛んでも、どれだけ努力して考えても、全然上手くいかなくて。結構、周りの人間に迷惑かけてさ。そん時なんだよ。咲口が、「それでも足掻けるんだから、向日は大丈夫だよ。」って。…俺、そん時気づいたんだ。あぁ、それでも俺、テニスが好きなんだって。それから、スランプなんて蹴散らす勢いでひたすら練習したんだ。どれだけ実力に繋がらなくても、繋がるまで足掻いて足掻いて足掻いてやるって。そうしてたら、いつの間にかスランプなんて本当に蹴散らしててさ。あぁ、出来たって

そう話す向日の目は、過去の出来事を懐かしむ様に少しだけ細められていた。それにつられて、俺も少し昔のことを思い出す。あれは俺たちがまだ2年生の頃だった。ある日、突然に向日が酷いスランプに陥ってしまった。どれだけ練習を重ねても、一向にそれが実力へと結びつかない。それでも何とか結び付けようと、半ば自棄に練習を繰り返している向日は、見ている此方が辛い程に、苦しい顔をしていた。だから、せめて俺たちに出来ることをと、偶然を装いレギュラーで、何度も向日の特訓に付き合っていた。だけど、ある日を境に、向日の顔つきが変わった。晴れ晴れとした様な、真底、テニスを楽しんでいるという以前の顔でテニスと向き合っていた。だから俺は、ただ驚かされたのだ。何がコイツを変えたんだろうって

「スランプ抜けたんだって話したらさ、アイツ、自分のことみたいに喜んでよ。向日が諦めないで、足掻いたからだよって、言ってくれたんだ。」

俺、すっげー嬉しかったんだ。そう言った向日は、少しだけ口角を上げて笑みを浮かべた。しかしそれも一瞬で、また眉を下げては、自身の膝の上に組まれた掌へと視線を落とした

それから俺も、よく咲口と話すようになってさ。そんな奴だから、気づけばクラスの中心は咲口になってて、いつも皆で他愛ないことばっか喋っては、笑ってたんだ。…昨日だって楽しそうに、いつもみたいなバカな話して、笑ってた…。今日の放課後、新しく出来たクレープ屋にクレープ食べに行こうって約束してんのも聞いたんだ。また明日って、アイツ笑って手振ったんだよ

「だから、アイツが自殺するとかありえねェんだよ…。」

そう言った向日は、今度こそ涙を流していた。悔しい、その表情にはその言葉が深く刻み込まれていた

「なぁ、跡部!頼むよ!アイツがああなった原因、見つけてくれよ!?何だって、俺に出来ることなら何だってするから!だから、頼む…っ、」

ガバリと膝に額が付きそうな程、向日は深く頭を下げた。膝の上でズボンを握りしめた拳は、小刻みに震えていた。コイツだって悔しいんだ。咲口だけじゃない、咲口の親だけじゃない、教師だけじゃない、俺だけじゃない、向日だって悔しいんだ。そんな向日を見て、俺は改めて強く決意をした。俺に出来ることだって、何だってしようと。絶対に咲口の無念を晴らしてやろうと

「当たり前だ。絶対に俺が原因を突き止めてやる。だから頭を上げろ。」
「…跡部、っ、ありがとう、!」

俺はただ黙って向日の肩に手をやり、2度軽く叩いた。大丈夫だ、絶対に真実を突きとめてやるから。だから、任せてくれ。その言葉を込めて。向日は一つ頷いた後に、小さな声でもう一度、「ありがとう…、」そう口にした


出来ることなら何だってしよう
(悔しい思いは皆、同じだ)

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