貴崎の家は予想以上に広く、外観と内側のイメージの落差から四次元なアレを連想させられた。貴崎曰く『普通の家に有る、部屋と部屋の隙間みたいなのが殆ど無いの。だから、私の家広いの』。婆さん曰く『廊下を広く見せれば立派な家に見えるんですよ』。なるほど二重トラップを用いた見かけ倒しか。隙間が無ェってことは壁が薄いってことだし、廊下にスペース使えば必然的に部屋は狭くなる。
「あんまり騒いだりしないし、見た目さえ良ければ何でもって言ったらおじいちゃんが設計してくれたんだって」
「お前の爺さんが建てたのかこの家」
「うん。すごいでしょ」
すごいな、と返せば得意気に胸を張る貴崎……へえ、張ってみたら意外と有るんだな。と、人間に有るべき本能として自然にそんな事実に気が付いて普通に感嘆した。コイツ子供っぽい面して偉いもん隠してやがる。肩凝らねえのか?尋ねてみると、『え?……うーん、凝ってる、のかな多分、』なんて曖昧な返事が返ってきた。セクハラにも気付かないこの鈍感さ。阿呆もここまで来れば見事なものだ。また赤面貴崎が見られるかと一瞬でも考えた俺が馬鹿だった。
いや、もうこの話題には触れまい。
このまま続ければ、嬉しくない汚名を着せられる羽目になるかもしれなかったので別の話題を検索した。んなモン絶対ェ御免だ。
俺は現在客間に通され、緑の畳の上で婆さんの淹れた茶を啜りながら貴崎と二人会話していた。婆さんは夕方の庭の世話だとかで外へ出ている。妙な状況だ。が、別段落ち着かないわけでも無かった。……貴崎の周囲に散漫している阿呆オーラが俺の緊張ケージを極限にまで引き下げているのには間違い無いが、まあそうでなくとも俺は和の造りに抵抗を感じるようには出来ていない。茶もどちらかと言えば熱い方が好みだった。
「じゃあ、私ご飯作ってくるね」
「おう」
頼んだぜ、と言えば元気な返事が返ってくる。パタパタとスリッパを鳴らして客間から退室した彼女と入れ違いに、庭の世話が終わったらしい婆さんが顔を出した。
お口に合いましたか?
そう問われて、俺は快く頷いた。
*
「羽織がお友達を連れてくるなんて、いつ以来か……」
「アイツそんなに友達居ないのか?」
「ふふ、居ないことはないとは思いますよ。……あの子は少し、難しいところが有りますので」
「そうか?」
良い奴だと思うぜ?
私が育てましたので。と笑顔が返された。
「心はとても良い子に育ってくれましたよ」
「……心、は?」
「ええ――不知火さん、あの子のお友達で居る限り、いずれわかることなので先にお話しておきますね」
「……」
……そうか。
そう、なんだな貴崎。
頭の中で、今台所に立っているだろう彼女に問い掛ける。
全然そんな素振りは見えなかった。
それは今の時期がただ安定しているからだろう。
しかし、いずれわかると言った婆さんのその口調から、安息の時間が一時的なものであることは確か。
「羽織は生まれつき、身体が弱くて」
母親は、
喉から出掛かった問いを再び腹に収める。
客間の端に見える仏壇に目を向けた。この部屋の敷居を跨いですぐ、貴崎が線香を上げていた場所だ。
親か。理解するのに然して時間を要することもなかったが、しかしそこには丸縁眼鏡の男一人分の写真しか見当たらなかったのだ。貴崎と似た目鼻立ち。男にしては柔らかい顔付きをしたこの写真の被写体は、一見して彼女の父親であることがわかる。では母親は。ここに遺影が無いということはつまり。
「娘は、夫を失ってすぐ家を出ました。羽織は生まれて数日も経たないうちに、私の家で引き取られることに」
「病気のこと、知ってんのかよ。貴崎の母親は」
「……連絡も取れないんですよ。困った娘ですね」
他人事のように娘のことを話す婆さんを見る。呆れという感情は疾うに越え、笑い話を聞く際に等しい表情で自らの淹れ直した茶に口を付けていた。この分だと貴崎には母親という思い出は愚か、その存在すらもロクに知ることは無かったのだろう。悲しい話です、と湯飲みを置いた婆さんは少しだけ目を伏せていた。
何故婆さんは、俺にこの話をしたのか。
答えは単純且つ明快で、つまりは試験か何かのつもりなのだろう。
先の会話で婆さんは、貴崎が友達を家に連れてくることはそうそう無いことを仄めかした。
更に、会話の念頭に身の上話。
病気と家庭事情のダブルコンボ。
今の段階で、貴崎との関係が少しでも『面倒臭い』と感じたならば、まだそれほど仲が深くないこの時点で『友達』から手を引けと。
後に貴崎が傷つくことを避けるために。
「……」
これは難題だ。
婆さんは俺と貴崎がまだ友達と呼べるような間柄ではないことを知っている。試験の意図も理解した。しかし、それと答えを出すこととはまた別の問題なワケだ。
恐らく今までもこうして、半端な『友達』って奴を片っ端から跳ね返して行ったのだろう。余程の善人でなければ最後まで貴崎に付き合い続けることは出来ない。これほどの事実を前にお前は彼女との友達をやっていられるのかと。
或いは、興味本意な関わりではなく、それが好意的なものであるかどうか。
俺の場合は、間違いなく興味……
「……――」
――興味本意、か?
「……そっちが包み隠さず話してくれたから、俺も全部話すけどよ」
再度言おう。
これは難題だ。
正直自分の中でも考えが纏まっていない。今日この家に来るまでの心境は確かに好奇心から完成したものだが、もう少し前ならどうか、と考えたところで思い出した。
多分、貴崎と初めて話したときだ。
『焦燥感にも似た、やり切れない喪失感』
そんなものを感じ取った。はっきりとした理由も無く、ただ何となく繋がりを断つことに恐怖を覚え、自分にとって半ば無理矢理気味に話をした。
そっからは今と同じように好奇心を原点に吊るんでいるが、切っ掛けになった最初は少し違っているらしい。
「漠然とな、今繋いでおかなきゃ後悔するって気がしてよ……何だかんだで今になった」
「……そう、ですか」
「ああ。ハッキリ言ってこれから慣れ親しむかどうかも今の段階じゃ決めようがねえ。そんなに真剣に考えるほど、アイツのこと知ってるわけでもねえ」
「……」
「……ま、取り敢えず飽きるまでは面倒見てやるさ。そんで良いだろ?」
「ええ……わかりました」
多分これは、婆さんの納得行く答えには程遠い。
しかし、まだ貴崎と知り合って数日程度の男が答えるならこんなもんだろう、常識として。今の話は頭の隅にでも入れておけ、と。お互いの中でそういう共通認識が定まっただけ、今日が無駄足じゃなかったと思うことにした。
「二人ともご飯出来たよ。おばあちゃん、運ぶの手伝って欲しいな」
丁度そのタイミング襖から顔を出すのは貴崎。婆さんは先までの表情を完全に切り替え笑顔で席を立った。演劇の経験でも有るのか、と疑いたくなるほど見事な多面性に感心しつつ、二人が戻ってくるのを待つ。
その事情
純和食。魚の味付けに塩と砂糖を間違えたりしないだろうかと未だ期待を忘れない俺だったが、やはりその展開もスルーされてしまい、諦めて普通に美味い飯を口に運んだ。
さてどーすっかな、と思考を巡らせながら酢の物に箸を付ける。
しかし、
「……」
一口堪能したその時点で、思わず湯飲みに手を付けてしまった。まさかの不意打ち。同時に込み上げてくる笑いの波を押さえきれず、ギリギリ茶を飲み込んだ直後遂に吹き出した。セーフ。
同じく向かいでそれに気付いた婆さんも、俺同様に笑いを堪えながらキョトンと目を丸める貴崎の名を呼ぶ。
「羽織」
「え?」
「お酢と味醂、間違えましたね」
「え!?――……ああっ!」
→
prev /
next