「匡君……ありがとね」
「あ?」
玄関前。婆さんの手入れした庭は流石というか、校舎裏の庭より綺麗に整って見えた。来たときよりも美しくってやつか。……いや、違うな。
婆さんと貴崎の違いは年季の問題か、或いは貴崎のドジ属性がこの領域に辿り着くまでの邪魔をするのか。見るからに不器用そうなコイツのことだから後者だと断言したいところだが、まあおそらくは前者が九割ってとこだろう。
それはそうと、貴崎は何に対して感謝を示しているのだろう。飯食わせて貰った側として恩は有るが礼を言われる心当たりは無い。何だ、貴崎特製胡瓜の味醂合えを完食したことか?そう言って茶化すと、まあ予想通り貴崎は口を尖らせ拗ねてしまった。
「だって、ビンのラベルが霞んでたから、」
「匂いでわかるだろ?」
「むー……」
「まあそう拗ねんなって」
実際味が変わっただけで不味いわけではなかったのだ。塩と砂糖みたく王道な間違い方でなかったことが救いになったと見た。行きの道中、典型的なドジっ子にはならないと言っていたがあの言葉は嘘ではなかったらしい。……但し、王道でないと言うだけでドジっ子属性はしっかりと定着してしまっているが。
で、何の話だったか。
ああ、なんか感謝されてるんだったな俺。
一体何に対してだそれは。尋ねると、貴崎は先までの表情を一変させ、尖らせた口を引っ込めた後今度はヘラッと笑って見せた。
「おばあちゃんのこと」
あっけらかんと言い放つ。
そのことについて、ああ、と理解するまで数秒……正直かなり動揺した。
婆さんのことと言や心当たりは一つしかない。それでもやはり先の会話で有り難がられるような発言はしていない気がするが、その辺はまあ貴崎の中でピンと引っ掛かるポイントが有ったのだろう。
問題はそこじゃない。
何故、貴崎がそれを知っているのかだ。
「聞いてたのか?」
「ううん、知ってただけ。いつものことだから」
「……なるほど」
「多分ね、おばあちゃん嬉しかったと思うから、だからお礼」
私も嬉しいから、なんて笑いながら話す貴崎。大袈裟だと思うには思ったが口には出さず腹に留めた。そんだけ婆さんもコイツも今まで苦労してきたんだろう。
俺には理解できない見解がそこに有るのだ、きっと。
「おばあちゃん、いっつもああやってお話するの。私と私の友達が、どっちも傷付かないように」
「随分と過保護な婆さんだな」
「うん……でも、私はその方が有り難いから、まだ甘えてる」
昔、貴崎と仲の良かった女子が居た。
そいつは貴崎の病気にも真剣に向き合ってくれる稀な人種だったが、親の事情だとかで遠くへ越してった。
また、新しい友達が出来た。
そいつはどんな人間にも気さくに声を掛けられるような明るい人間だった。
しかしそいつは、貴崎の病気を知った次の日から、上手く笑ってくれなくなった。
引っ越してった奴みたいな人種はそうそう居るもんじゃねえ。それから仲良くなった女子は大抵、後者の奴と同じように徐々に貴崎から離れていったそうだ。コイツは誰からも愛されやすい性格である分、持っている特性に寄る反動が大き過ぎるらしい。
「三回くらい同じことが有って、高学年になってから、見兼ねたおばあちゃんが、」
「お前の『友達』を試すようになった、か」
「……うん」
婆さんの言葉の意図を汲み取れない人間も中には居た。そいつらは俺と同じく、好奇心に近い感情のみで貴崎に近付いたような人種に当たる。……熟思うが、明らかに人選ミスだろこれ。
婆さんも婆さんで何でまた了承しちまうのか。全くの謎だ。
「でも、おばあちゃんのお陰で楽になったの。友達に怯えなくて良いから」
「となると、益々俺が合格な理由がわかんねえ」
「それは……多分、気楽だったから、かな」
なるほど。
失礼なこと言ってくれやがる。
俺が怪訝に顔をしかめたことに気付いた貴崎は、その場で慌てて弁解を始めた。
「話しても全然態度変わんなかったの、匡君くらいだったよ」
「そういうもんか?」
「うん、気楽気楽。飽きられないように頑張る」
「おー、頑張れー」
「あ、酷い」
貴崎に対する飽きる飽きないの定義は、コイツが天然だからこそ成立するのだ。計算でドジする女ほどウゼェ人種は居ない。よって、頑張って貰うわけにはいかないのである。
ま、婆さんは、俺が『友達』に飽きてステージから離脱することまでわかった上で及第点出したんだ。ならもう謎は謎のまま放置して、俺は俺のしたいように過ごせば良い。
今までと変わりなく。
「じゃ、帰るな」
「うん。バイバイ」
「おう。またな」
顔より少し下の位置で控え目に手を振る貴崎に、俺も片手を挙げて返した。
月の頃
明日からまた、会うことになるのだろうか。
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