「あれ……やっぱり用事?」
「いや、」
「?」
特に、用は無いはずだ。意図せず止まった足に前進を命令する。しかし動かない。……仕方無い。何故か本能的に、この少女と話をしなければならない気がして口を開いた。が、話題が見当たらなくて再び閉口する。しかしここで、このタイミングを逃せば取り返しのつかないことになる気がした。勘は良い方だがこんな理由のわからない直感は初めてで戸惑う。振り向いて彼女を見た。
その瞬間、ざわざわと頭が騒ぐ。
……何だコイツ。
首を傾げる。何て名前だったか……あ、
そういや名前、まだ聞いてなかった。
「お前、名前は」
「貴崎羽織。1年B組」
「……そうか」
「貴方は?」
「俺か?」
「うん」
「……3年の、不知火匡様だ」
「え……わ、先輩だ……」
口元を両手で覆って失言のポーズ。最初に受けた印象にしては意外だった。上下関係とか、気にする奴なのか。とはいえまだ五分程度しか話していないわけだが、数秒で定着した空気が読めなさそうなイメージを早くも撤廃する。
そのとき、
「ねえ、不知火様」
「……」
「……えと、変?」
「――ククッ、」
「?」
不意討ちだ。
思わぬ攻撃を喰らってその場で爆笑する。まさか本当に呼ぶなどと、誰が考えるのか。あの天然入った雪村でさえ綺麗に去なしてたってのによ。貴崎は俺を見詰めながら次第に赤くなっていった。それがまた可笑しくて笑う。一向に収まる気配は無い。
「じ、自分でもおかしいなって思った……」
「ハハハ!冗談に決まってんだろ?真に受けんなよ!」
「うぅ……じゃ、じゃあ、何て呼べば良いのかな」
「ククッ……ふ、普通に呼べば良いだろ。苗字とか、先輩とか、」
「む」
貴崎は中々波が鎮まらない俺を見て拗ねた表情になる。とはいえ、どうしようも無かった。数十秒間そのまま笑ってようやく落ち着く。
全力で笑ったのはいつ以来だったか。多分二ヶ月くらい前だ。あん時は風間に言い寄られたときの相変わらずな雪村の挙動不審に吹き出した。しかし最近はそれも慣れて、退屈な日常の一部と化してしまっている。
それだけに久々に見つけた飽きない人材に、俺は妙な心地良さを覚えていた。
貴崎羽織。
コイツ、面白ェ。
「で、何か言いたいんじゃねーのか?」
「あ、うん」
思い出したように元の表情に戻る。元の表情ってのは何も考えてなさそうな能天気面のことだ。この短い時間で段々貴崎のキャラが掴めてきたことに淡く感動する。わかりやすいわコイツ。要は馬鹿なんだな、そう言ってしまえば話は早い。
貴崎は何故かしばらく吃っていたが、いつもみたく切り捨てず気長に待っているとようやく口を開く。ここまで二十秒。何もせずに居ると意外に長かった。
やっとか。
そうして紡がれた『用件』は、俺にとって意外な内容だった。
「また、来る?」
その瞬間横切る感覚。
それは先の焦燥感にも似た、やり切れない喪失感。
「……」
何だ、これ。
何も失っていない。
それほど大切なものも無かったはずだ。
にも関わらず錯覚させられた。
理由はわからない。
彼女はたった一言――対する俺は、二の句が告げず黙らざるを得なかった。
何だ。
何だコイツ――……
「――不知火、ここに居ましたか」
「!」
背後から声が掛かる。不本意ながら聞き慣れてしまった声だった。ああ……天霧の旦那か。救世主としては微妙な人選だったが、まあ風間よりはマシだろう。無理矢理納得する。
生徒会の件で、と言い掛けていた旦那はふと視線を滑らせ俺の後ろに佇む女子生徒に目を向けた。おや。瞬くこと数回。
「そちらは?」
「ああ、知り合いの一年だ」
「ほう……これはまた、貴方らしくありませんね」
「かもな」
意味も無く適当に誤魔化して貴崎を見る。第三者の介入に戸惑っているらしかった。右を見て、左を見て、下を向く。
……人見知りか?
またまたわかりやすい。気付けば先の気持ち悪さも消えていて安堵する。
「悪ィな貴崎、用が入った」
「あ……また、来る?」
「おう。またな」
「う、うん。じゃあ、お花増やして待ってるね」
花……って、
どんだけ先の話してんだコイツは。苦笑する。やっぱ面白い。
風間的に表すなら、差し詰め『気に入った』ってトコか。
「ばいばい、匡君」
「ああ」
結局、名前呼びで落ち着いたんだな。
新鮮な呼び名に、口元が弧を描いた。
園芸部長
明日にでも会いに来たら、どんな顔をするだろうか。
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