004

本編

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「…もし、親指と小指を縛って生活するとしたらどうなるのか、考えたことはある?」

暗い暗い部屋の中。
少年特有の高い声が木霊する。
また同時に美しい顔に打撲後と切り傷の目立つ捕虜の舌の鳴る音が木霊する。

捕虜は隣国にて敵国の國津神の軍人だ。
自らの上官が狙撃されそうになったところを庇い、傷を負い捕まった。
捕虜である彼自身も相当な銃の使い手で、何時も此方も相当な痛手を負っていたらしいので丁度良いと初茜自ら痛めつけにきたのだ。
あの憎き月夜の補佐官を捕らえた。しかも遣り手の将校だと聞いてどんな百戦錬磨の男が来るのかと思っていたなら、そこにいたのは、それはそれは御伽噺に出てきそうな美男であったので、初茜も驚いている。

元々並の女より美しい男であったが、はだけた服と乱れた髪がより一層妖艶な雰囲気を醸す。
しかしその華奢な容姿に似合わず、捕虜としては扱いにくい男であった。

「暴れて手が付けられないと部下が嘆いていたよ。
まるで君はアレだね。飼い犬。従順な犬だ。自らの使える主人に尽くす、とびきり従順な、ね。」

自らの主を信じて疑わない犬の様なその男の名前は濃霧林檎という。

「少なくとも僕は貴方様のような薄情な人間ではありませんよ」

初茜の綺麗な眉が少し上がったかと想えば、ダークブラウンのブーツが飛んだ。
鈍い音が部屋に響くが、呻き声はこぼれない。

「それじゃぁ、本題に戻ろうか、どう想う?犬畜生の濃霧君。
親指と小指を縛って生活するとしたら…の件だよ、」

「僕には皆目検討も付きません。」

それはたわいのない会話(否、会話というには些か一方的なものである。)の返答は当たり障りの無いそれである。
しかし、それがまた初茜の檄に触れたらしく打突音が響く。それは濃霧を傷つけるのが既に初茜の拳ではなく別の何かであると物語るに相応しい。
それでも呻き声一つ零さない濃霧に初茜は酷く楽しそうに笑った。

「最初は不便らしいけど」

濃霧の顎を黒い日本刀でついとあげる。
(因みにこの日本刀の鞘で殴られているのである。)
なんとも扇状的な図だなぁと思いながら続ける。

「うちに慣れてくるらしい。」

自分と違う美しさを持つ濃霧が個人的に気に入らない発茜はこの場に乗じて日頃の一方的な鬱憤を晴らしている節もあるので、狙うのはその端麗な顔ばかりである。

「三本指にね、」

自身の口がにっこりと笑みを浮かべているのがよく分かる。

「それからだんだん邪魔になるんだって。
小指と…親指が」

何処を切りつけたら此奴泣きわめくんだろう、なんて考えながら 日本刀で顎のラインをなぞる。

「仕舞には自分で切り落としてしまったらしい。
小生も聞いただけだから、見てないけどね。残念なことに。」

小生、見てみたいな、なんて零してみても、濃霧は小馬鹿にしたように綺麗な眉を動かすだけ。
またブーツが飛ぶが、呻き声は漏れなかった。

なかなかしぶとい奴。

どうにも崩れない濃霧の様子を見て、初茜は、最近気になっている事を訪ねることにした。

「君のような若造がどうして将校にまで上り詰めたのかな?
やっぱり顔で月夜に言い寄った?
枕営業でもしたのかな?」

リアルな年齢はわからないが、濃霧はどう見ても若すぎる。
スピード出世したとしても佐官あたりだろう。
確かに仕事は出来るし腕も良い。
そこらいらの萎びれた将校に任せるくらいなら、この青年に仕事をさせた方が捗るだろうと、初茜に思わせるくらいには良くできた男である。
しかし未だに自国も彼の国も、年功序列の気は抜けない。
大抵は年寄りが将校の座に座るし、家が軍人の家系ならエリートコースまっしぐらである。
もちろん、初茜はそんなお坊っちゃん達を軍属に仕立て上げてからその柔い精神を叩き直すという作業を繰り返している。
(おかげで初茜の近衛兵はその鬼の扱きに耐えた鋼の精神を持つ屈強な軍人達である。)

どう考えても濃霧はエリートコースを走る人間には見えない。
月夜が掘り出したりしなければ彼はもっと穏やかな軍人の道を辿っていたのだろう。

そう、彼は、濃霧は、常人だ。

「君みたいなマトモな人間、こんな化け物ばっかりの最前線、似合わないよ?」

将校でなおかつ、前線で戦うということは其れ即ち、人間兵器の類か、戦争を理由に人殺しをしている戦闘狂くらいである。

健全な人間のくるところじゃない。

将校にしてまで、側に置きたかったのか、それともそれほどまでに異例の出世を認められる程の天童だとでもいうのだろうか。
初茜の頭の中で巡っていた思考に待ったをかけたのは当の濃霧である。

「…僕の名誉の為言わせていただきますが、枕営業はしていません。僕も穏やかな田舎軍人を目指していたのです。あの御方のお陰でこんな地獄の果てまでくる羽目になったのですよ。全くいい迷惑で御座います。ええ。」

今まで殆ど喋る事無く、此方を睨み付けるだけであった濃霧の突然の饒舌ぶりに些か驚きながら初茜は、へ、へぇそうなんだ、というふうな相槌を打つ。

「そもそも、僕は最前線で戦うために軍人家業に身を投じた訳では御座いません。
急に突拍子もなく、呼び出され、押し倒され、寸での処で貞操を守ったのは記憶に新しく御座います。
貴方様と我が上司が犬猿の仲にあることは承知の上に御座います。我が上司月夜を殺してやりたいほど恨むそのお気持ち、痛いほどによく分かります。
ですが、ええ。これこそ声を大にして言わせて頂きたい。」

どれだけ上司に恨みあるんだろう、謀反起こされて死亡とか笑えないよ、月夜君や。と考えさせられるようなマシンガントークに、初茜は若干引き気味に濃霧の次の言葉を待っていた。
それはもう、ちょっと仰け反って、白い手袋を填めた手で蒼い髪を梳いてみるくらいのアクションがついている。

「…詰まるところ、最終的に彼に魅せられたのは僕ですから。」

その返答は、初茜の予期したものとは懸け離れていた。
一瞬呆気にとられた瞬間に拘束を解いた濃霧に死角を取られていた。

成る程、只のお気に入りでは無いわけだ。
少なくとも戦闘狂の暴れ回る戦場で生き残れる技量はあったという事だ。
しかも何だかんだで月夜を慕っていると、そういうことか。いやはや、この世界には物好きもいるんだね。

と、冷静に分析している間に初茜の周りに配備していた近衛兵達が派手な血飛沫をあげて絶命していった。
その数確か五、六人。

「嫌々あの変態に付いてるんなら、天津神に引き抜こうと思っていたけど…。
その様子だと無理そうだね。」

真後ろからの回し蹴りを片手で押さえ、淡々と問いかけるのは初茜。

「ええ、まぁ。
今の僕はこの立場に満足はしておらねど、不満は御座いません。」

初茜が次の一言を述べようとすると、まるで地震のような地響きが彼を襲った。

「…ッチ…今日は変わった客が多いなぁ。」

地響きと共に舞い上がる土煙に眉を寄せる初茜。
実の処彼は潔癖症の気があるわけだ。
それでも土煙の向こうに見えた影(シルエット)に口角をあげる。

「なんだか、最近よく会うね。歩く猥褻物。」

「ほんとにねー。
おちびちゃん。」

初茜の目の前には先ほどから話題に上っている國津神に住まう死に神、月夜零弍が降り立っていた。
仮設基地の天井をぶち抜いて来たらしく、天井には丸い穴が開いているではないか。
なんということだ。
そして相も変わらず派手な登場だ。

濃霧の尋問という名の八つ当たり兼拷問をしている間に日が暮れ、月が昇ったらしい。
月光が天井の穴から差し込み、さながら奴の名の如く、”月の夜”である。

「返してくれる?
うちの林檎ちゃん。」

奴は、さながらヒーローのように現れ、そしてヒロインを助けるヒーローのような台詞をさらりと述べていた。
但し、その格好や表情は悪の化身のようなソレである。

そんな月夜の登場に初茜の感想はこの一言に尽きる。

「最っっ悪」




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