めずらしい旦那の忘れ物の話
――――たのしみだね――――
――――いつあえるかな――――
――――待っててね――――
―――― 、 ――――
最近夢見がいいなぁなんて考えながらの起床。昨日はずっこんばっこんウフンアハンなことを目の前の男とやってしまったのだよなぁと考えながら皺の酔っていない寝顔を無防備にさらけ出す文則の髪の毛を撫でる。
いつも以上に気怠い体に何も着ていないことを確認し、スラックスしか身に着けていない文則に少しだけすり寄って、頭上にある目覚まし時計をかく、に......
「于禁んんんんんんんんんん!!!!!!!!!!!!!!
起きろ、起きやがれってオラこの寝坊助野郎!!」
「...口調が一昔前に戻っているぞ...なんだ騒々し...」
家を出る時間の10分前を指す時計に、珍しく文則が素っ頓狂な顔になった。遅刻。しかも無断。文則にとっちゃ何よりも恐ろしいことだろう
「これ使って着替えて髪整えてきて! 弁当は何とかする、てかしてみせる」
「...すまん」
キッチンに飛び込んでほぼ冷凍食品の弁当を作る案をやむを得ず採用する。レンジでチンしてたったか詰めて、なんとか出来上がったころには何時もの時間を少しオーバーしていた
「文則鞄!! あとハンカチと...忘れ物ないね!! いってらっしゃい!!!」
振り返る間すら惜しいとばかりに無言で突っ走る文則を見送ってから玄関に座り込む。あーやっぱり目立つかなぁ
文則にサラサラシートの類を使わせてしまった。出先に香ったフローラルな香り。罪悪感を抱えながら弁当作りの片づけをする。疲れた。腰が痛い。
「き、きのう、しちゃったん...だよなぁ」
思い出すのは文則の抱きしめた腕と、声と、それと熱さ。もうどうなってるのか分からないのが怖くて苦しくて、ただただ文則に縋ってその、あえぎ、声をあげてしまって、最後に抱き付いてぶっ倒れたことは覚えてる。そのあと、どうなったんだろ。文則のあれは抜かれてたし...・・あああああもう考えるな! 家事やろう家事!! 布団洗濯して干してリセッシュ撒いとこう!!
洗濯機を動かしてその間に掃除機をかける。頭はいつも以上に騒がしく、口の中でうおおおおりやあああああなんて叫んでみる。
そんな時、携帯がダイニングテーブルの上でブーと鳴った。
着信。委員長。高校時代から引きずったこの登録名もそろそろ変えたほうがいいのかもしれない。
「はいもしもし...」
『...鈴音か...すまんが、書斎に大きな封筒はないか』
声の落ち着き様からしておそらく間に合ったようだ。
封筒...。火照るほっぺたを押さえて入れば、パソコンの横に挟まっている『重要』と書かれた封筒を見つけた。
「重要って書いてあるやつ?」
『...やはりそこか...』
「ふふ、文則の忘れ物とか見るのいつ以来だろ」
『...何とでも言え』
「これもっていけばいいの?」
『すまん』
「いいよ、教科書貸してくれてたお礼」
『いつの話をしている』
「んじゃあ持ってくね 30分もあれば着くから 着くころにまたメールなりラインなりするから」
『......鈴音』
「?」
『その、なんだ...辛くは、ないか?』
言葉の意図が分かって思わず叫んだ。なんとか辛くないよと声を絞り出して、数回言葉を交わして電話を切る。さあて、文則の働いてる場所は熟知済みだし、久々に高速走るかなぁと考えながら服をばばっと着替えて、長年の愛用品に手を伸ばした。
黒光りするライダージャケットと手袋、それとフルフェイスのヘルメットを身に着けながら家を出て駐車場に行って、2代目の愛車をポスリと撫でる。
文則と一緒に選びに行ったまだ新しいこの愛車。1代前の物は、昔信号無視の車と衝突してスクラップになってしまった。折角バイト代貯めて買ったのにともと悔しがっていたら文則がブチ切れてたのを覚えてる。
ふへへへへへという笑い声はヘルメットのマスクでつぶされる。
愛車、もといオートバイに跨った私は、法定速度ギリギリを示す指針をチラ見しながらビル群へと突入していった。
* * *
「峰不二子ってこの世にいたんすね」
外回りから帰ってきた社員の呟きを耳ざとく拾った于禁は。自分の予想が当たっていないようにという祈りをしかめっ面の裏に隠した。
目の前の書類の山で顔を隠しながら広がっていく会話の末を見守る。荷物を自分のデスクに置きながら、話に乗っかった郭嘉に事の次第を伝える男。
「厳つめのバイクに乗った長髪の女が高速の車スイスイ追い越して行っててー...いやーまじ怖かったっすよ」
「それは、私も見てみたかったね...ん、どうかなさいましたか? 于禁殿」
短い悲鳴、無理はない。通常以上に寄った皺はおそらく近年まれにみるレベルの深さだろう。外回り社員がびくつきながら自分の席に座るのを一瞥して、とりあえず落ち着こうとコーヒーをすすっていれば、張遼が立ち上がって先ほどの話だが、と蒸し返した。
「おや、知り合いですか?」
「いや、知人に似た運転方法の者が...」
ピロリンと鳴り響いたラインの着信音が何とも不気味な旋律に聞こえてきたのはおそらく自分だけだろう。
『玄関先ついたよー』
『分かった。今行く』
冷静に、努めて冷静に返事を送って、調度休憩時間になったオフィスを出る。
何事かと道を開けられるほどに不機嫌オーラらしきものを放った于禁にできることは、ただそれだけだった
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