「なまえ、」
小さく呼んだ名前は、目の前で眠るなまえの瞼を少しだけ動かすことくらいしかできなかった。書庫の端っこで、体育座りの体勢で動かないなまえを見て思わず呼吸の心配をしてしまったのが今より少し前。隣に座って、すよすよ寝息を立てるなまえの投げ出された手を見る。墨の付いた手はカサカサしていて所々ささくれがたっていた。針仕事や水仕事をやっているせいで治りが遅いとぼやいでいたのを前に聞いたことがある。
「あ」
そういえば、月英殿が手荒れの軟膏を持っていたっけ。思い出して借りに行く。二つ返事で、嬉しそうに軟膏と小刀を貸してくれた月英殿に首を傾げながらお礼を言って、書庫に戻る。なまえはまだ寝ていた。
「よ、と」
起こさないように凭れかからせると、髪の毛が頬に当たってくすぐったかった。
墨は濡らした布でふき取って、ささくれは小刀で丁寧に切って、軟膏を塗っていく。
「.....ん、」
小さく呻いた。起きた? ああ、起きなかった。ほっとしながらまた軟膏を塗る作業を続行する。起きた所で平然と「おはよう」と言える自信もあるし、悪いことをしているわけでのないのだから悪びれる必要もない、が、せっかく気持ちよく眠っているはずなのに邪魔をする、と言うことに罪悪感が湧かないわけもなく、身じろぎしたなまえに驚いて自分しかいないのに口に人差指を当てて息を止める。
「あーあ」
「........ん、ばたい、さま.......?」
目が開いた。まぁ半分ほどだけど。軟膏の付いた手の代わりに頬で頭を擦る。
「うん、起こしちゃってごめんね、でも、俺のことは気にせずに、寝ててほしいなぁ、て」
「? はい、わかりました........」
少しだけ動いた頭。頷いたんだなと思って、暫くしてまた聞こえてきた寝息にまたほっとする。よかった、塗り終えた軟膏を横に置いて、ぼんやりしていれば、ひょっこり見える白いふさふさ。
「若?」
「っあーちがうぞ、邪魔しに来たわけではない探しに来ただけだいや邪魔なら帰るから心配するな」
「小声にする努力は分かるんだけどねぇ」
小声の喉の形で叫んだ、そんな声を出すものだから正直普通の声の大きさと変わらない。ゆっくり、大げさに、抜き足差し足でこっちに来る若が目の前に座るのを見て、あれ帰るとか言ってなかったっけとちょっと考えた。
「お前は俺と同じくらいなまえに甘くするな」
「まあ、なんか、放っておけないんだよね」
「.........いつか俺はなまえに兄と呼ばれるようになるのか」
「........えー」
「いやなのか」
「いや、じゃ、ないけど、さぁ」
なんとなく、腑に落ちない