足元を、流星が駆けた。
「やあ」
なんでもないように、目の前の女がにこりと笑って挨拶をするものだから、諸葛亮は動かすべき手も何もかもを止めてただただ固まっていた。「あれ?」と首を傾げて、また「やあ」と口を開く。
「もしかして別の人かな、間違えちゃった?」
首を傾げる女に、やっと頭が追いついた諸葛亮が近づく。
「何をしているのですかなまえ」
存外冷たい声が出たものだがこの際どうでもいい。この女、もといなまえから与えられた心への攻撃の方がもっと酷いものだと考えている自分としては、目の前で「傷ついたー」と呻くなまえの傷などどうでも良かった。
「えっと、ここにいたら、あえるよって、ホウ統さんとかに聞いて、思って、待ってた、ん、だけど、
あれ、孔明であってるよね?」
「私以外に見えますか」
「だ、だって、私がの知ってる孔明こんなに大きくないんだもん」
不貞腐れるように頬をふくらませて、また直ぐにクスリと笑うなまえの手が自分の手を握るのを享受して、離れていくのを淋しいと思う自分が何とも人らしくてため息をつく。ああ、これだ、この人だ。自分を龍でも軍師でも、なんでもないただの人間にしてしまうのは。
「相変わらずの脳天気ですね」
「覚えててくれたんだ」
眉間に皺が寄る。実際に声にだそうと思ったタイミングから一拍子ずれて、言葉が漏れる。
「忘れるわけがないでしょう」
ややあって「そっか」と呟いたなまえが伸ばした片腕腕が巻き付く。何十年ぶりかのなまえの匂いがした。
「お疲れ様、五十年もよく頑張ったね」
「貴方は半分もありませんからね」
「そこは悪いと思ってるよ」
「どうでしょう」
「酷いなぁ」
苦笑いで応えるなまえの後頭部を見ながら、「ああそうだ」と、彼女に言わなければいけないことがあったのを思い出した。
「なまえ」
「ん?」
「私は、妻を娶りました」
「うん、知ってる」
「そうですか」
「そうだよ」
てっきり恨み言の一つでも言われるものかと思っていた。
「あ、何か言うと思ってた? 私なんて遊びだったのね! みたいな」
「まあ、その可能性が無かったわけではないので」
「あー、言おうと思ったけど、やめた。
知っても、まだ孔明のことが好きだったから、いっそ次頑張ろうかな、って」
「次、」
「うん、次、」
来世は長生きするよ、そう言って離れるなまえは、昔に見飽きた笑顔を浮かべて消えていった。