▼ 分かりません、話は終わりにしましょう
明日きっと、世界は破滅するんだと、すんなり感じた。恐怖のだいまおーだとか、巨大隕石だとか、火山の噴火だとか、多分そんな仰々しい物じゃなくて、もっと綺麗に、それこそ全部がごっそり消えていくように。
教室から出て、人がいなくなるのをぶらぶら歩きながら待つ。1時間くらいかな、
「紗奈さん!」
名前を呼ばれて、足を止める。私を呼ぶなんて勇者あんまりいないし、最初は同名の誰かかなって思ったけど、ちらって、声のする方見てみたら、そこにはイインチョがいた。
「イインチョさん、どしたのー?」
「えっと、あのね、」
どーしたんだろ。周りの人がちらちら見てる。周りから見たら、どういうふうに見えるんだろ。私が脅してるーとか? それならいいけど。
「その......絆創膏!」
絆創膏。あ、返せとかそんなかな? ずっと付けっぱなしの絆創膏が巻かれた指を握る。
「変えないと、えと、ばい菌とか、危ないから、こ、これ!」
勢いよく突き出されたのは、指にある絆創膏とよく似たそれ。どう、いう、こと? 分からなくて、固まってたら、もじもじして視線をあっちこっちに飛ばしてるイインチョが、「えっと」と口を開いた。
「よ、けいな、お世話かもしれないけど、その、仲良く、なれたらなって、思ってて、
よ、よろしくお願いします!!」
ほとんど、押し付けるみたいな渡し方だった。そのまま、「じゃあね!」と走るイインチョ。な、か、よく、って、なんだろ。どうすればいいんだろ。
ゆらゆら、さっきの衝撃が抜けきらない頭のまま入った理事長室は暗くて、寒かった。職員会議? 日にちじゃないしな、とにかくいつもの場所で座っておこう。
話したいことが出来たの。仲良くってどうすれば良いのか分からないの、イインチョがお願いしたんだから、叶えたいけど、どうしよう。流石に女の子どーしで、ってことじゃないのは分かるけど。
せんせーいないの、なんでかな。もしかして、会いたくないからいない、とか?
それはやだな、もう少し、傍にいたいな、
机の近くまで来て、よいしょと屈む。
「え」って、無意識だけど、声が出た。
普段、せんせーの持ち物は青とか黒とか、紫とかで埋め尽くされている。好きな色が似合うって言うのはいいことだと思いながら、せんせーの紫色のシャツを見ていたから、間違いはない。
でも、目の前にあるのは茜色の夕日の下で不確かだけど、ピンクじゃないかな。
ふかふかの、するすると指通りのいい毛の集まったようなブランケットが畳まれて置いてあった。ピンク、薄いピンク。ケータイのライトで確認したから間違いない。
だれのだろ。畳まれたそれを広げた。瞬間、
世界は明日終わるんだ。純粋にそう思った。
だって、そうでしょ、そうじゃなかったら、ぼつぼつ呟いて、机の下で呆然とする。
端っこについた値札の上、せんせーの字で書かれた自分の名前を見つけた。
これが自分に与えられたものだって、思い至った頭が推理マンガみたいに色々考えていく。
せんせー以外に私がここにいる事を知ってる人はいない。頑張って隠れてたもん。でも、何もないし、誕生日とか、テストがどうのとか、そんな、物をもらえるような事
.......勘違い、じゃないかな、
自分でも悲しくなるくらいしっくりくる最終案に苦しくなった。
誰か他にも、私みたいなのがいて、その子にあげるんだとか、
間違えて名前書いちゃっただとか
だったら、せめて、この値札だけ、値札だけでもほしいな。
プラスチックの糸を力ずくで引っ張る。手に食い込んだけど、無傷の札がほしいから気にしない。小さい悲鳴を上げながら、延々と爪を立てられているような感覚に耐える。
ブチリと音がして、反動でぶつけた肘を抱える。びりびりする。なんだっけ、ファニーボーン?
「とれた」
呻きと一緒に出たこえは、1テンポ遅れた溜息に絡まって咳になった。目を閉じて、蹲る。苦しいのも痛いのも、全部吸い取ってくれるような気がして、値札を抱きしめた。折れないように、曲がらないように、
やっと息ができる。目を開けて、周りが真っ暗になっているのに気付いた。あれ、
「無事か」
背中の上を、何かが動いているのが分かった。ふわりと降ってくる、声に、また咳をした。
「ぇ、んせ、ゲホッ、.....っは」
「息ができるか、何の咳だ」
「けほ、むせ、た、だけだよー......」
肩が、下に下がった。せんせーに起こされて、息を整える。
「.........肝が冷えた、驚かせるでないわ」
少し怒ったような声に、体が縮まった。何でもないようにかけられるピンクのブランケット
「せんせー、」
「なんだ」
「これ、だれのー?」
名前が聞きたいわけじゃないけど、関係とか、が、気になって、とぼそぼそ呟けば、握っていた値札を取られる。あ、それだけは、乞おうとした私を止める手のひらに挟まれた、私の名前付きの値札。
「お主がいらぬのなら、ゴミ袋にでもくれてやる」
答えを、何千回も反芻した。
要らない? ゴミ? 立ち上がるせんせーの手で、するりと剥がされたそれにみっともなく飛びついた。
「私の、なの?」
「名前を書いておいただろうに」
言葉が、喉で潰れていった。でもも、だっても、何も言えない。掠れた何かだけを出す口がもどかしくて、確かに掴んでるブランケットの暖かさにしがみ付く。
何を言えばいいのか、何を伝えればいいのか、全部が分からなくて、滲んだ涙が、せんせーの指で払われた。
それだけが確かに、把握できた。
「―――――っ」
小さな、声にならないような音が漏れて、潰された。視界は真っ暗だ。熱い手が、強く当てられているからだと気付いたのは、全部離れた後。
「.....ん、ふ、ぁ.....っ」
酸素が、しばらく肺に入ってこなかった。息の苦しさにぐらついた体は、傾いたまま止まる。せんせーの、手が、腕が、抱きしめるみたいに私を支えてた。
「せん、せ....ん、ぅ」
せんせーが、きす、してきてる。頑張って整理できた言葉はかたことだった。あそびでやったことのある、重ねるだけとか、舌ばたばたさせるだけとかのとはあまりにもちがう。やってることはもっと控えめなのに苦しくて、気持ち良くて、怖い。自分が接触してる部分からどろどろと崩壊していく感じ、底なしの穴にゆっくり落ちていく感じ。
離れては、私が息をしたのを見計らって再開される流れを何度も繰り返して、噛まれた唇からびりって、電気が走った。こんなの、知らない、したことも、されたこともない、
「んは、ぁ.....」
完全に離れた後も、ビリビリとした感じが消えなくて、ただただ苦しかった。
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