小学校低学年辺りの頃、凛久は1匹の妖怪に何度も追い回されていた。きっかけは同級生に囲まれているのを凛久が犬猫と間違えて助けたこと。不用意の手助けは必ずしも良い結果を生むというわけではないことを、凛久はこの時幼心ながら深く心に刻んだ。












法正の腕を抱き、背中に隠れて目の前の人物を凝視する。体調不良を訴え寮に戻った凛久は今、目の前で満面の笑みを浮かべる自らの恐怖の化身と対峙していた。



「知り合いだったんですか」

「はい、まぁ・・・むかし・・・・法正さんも知ってたんですね・・・」

「腐れ縁ってやつですよ・・・・で、
何の用だ徐庶」

「ええと、お久しぶりです。法正殿」



目の前でフード越しに頭を掻く人物、もとい徐庶を睨み付けながら片膝を立てて座る法正に一切の恐怖を感じないくらいには、凛久にとって徐庶は恐怖の対象だった。
徐庶、もとい徐元直は風狸と呼ばれる妖怪である。人には狸にしか見えないものの、足が速く刀で切っても刃が通らない上に口に息を吹きかけただけで再生するという強靭にもほどがある生命力の生物だ。




「何やったと聞きたくなるような怯えっぷりだな」

「追い掛け回されたんですよ・・・そりゃもうほぼ毎日って頻度で」

「俺としては鬼事くらいのつもりだったんですが・・・手加減が難しくて」

「本気出せば山一瞬で飛び越せる奴に追い回されたらトラウマにもなるだろうよ」



その通り、決まって下校途中に自分の身長の倍近くあるフードを被った明らかに不審者の出で立ちをした者が生き生きとした満面の笑みを壁ながらどれだけ距離を離そうとも一瞬で近づいては「ええと、つーかまーえた?」と小首を傾げて迫ってくるものだから、当時一応孫堅と知り合ってはいたものの、害がなければノータッチが孫堅のやり方であったためにほぼ長々と放置されていたのだ。凛久としては悪夢以外の何物でもない。





「いたっ、ああ、すみません、今出します」

「何を持ってる」

「この為に、凛久に会いに来たんだ」



唐突に脇腹あたりを押さえて唐突に謝りだす徐庶を見て、この腰の低さを自分の時にも生かしてほしかったと切実に思った。出されたのは1つの書簡。あれ、既視感。



誰も触れてすらいないのに床の上でバタバタもがく書簡は転がりながら法正の膝の近くまでくる。それを法正は目も向けずに引っ掴んで雲1つない青空へと投げるべく窓を開けた。



「ま、待ってくれ法正殿!」

「これはこれは徐庶殿貴方とあろう方が憎からず思っている相手にこのようなものをお渡しになるとはその生ゴミ級の脳味噌にはやはり生ゴミしか入っていないと見える。ああ肥料という選択肢があるだけ生ゴミの方が有用性はありますか」



どう見たって呪物の類だと呟く法正の睨みを一身に受ける書簡に、凛久は自分の記憶の海に釣り針を投げ込まれたような気がした。必死に止める徐庶を跳ね除けようとする法正から書簡をするりと取り、制止の声もほぼ無視して書簡を止める紐を解く。


途端に広がる“紫の靄”。



「全く、要求した身でとやかく言える筋合いは無いのでしょうが・・・完全に、完全に忘れ去られたと思いましたぞ」

「申し訳ない、陳宮殿」

「まぁ、あまり身動きの取れぬ身なれば、凛久殿に会わせてくださったことは感謝いたします」



名前と同じくらいの背丈の男、陳宮は恭しく頭を下げると、くるりと凛久に向き合ってからなんとも嬉しそうな満面の笑みを浮かべた。



「さてさて、姿を見せたのは初めて、初めてですな。
お初にお目にかかります凛久殿。私は陳公台、陳公台と申すもの! 過日はあの忌々しき封印をよくぞ解いてくださった!!」








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