法正が言った今まで食われなかったことが奇跡という言葉に、凛久はふと頭の中に過ぎるものがあった。
それは凛久がまだ小学生のころ、「地域の歴史に触れよう」という授業で古い郷土資料館なるところに行った時の話だ。凛久は郷土の歴史が書かれていると説明された書簡や本が並ぶエリアの隅、ぽつんと置かれた古臭い1本の書簡に目が留まり、ケースに入れられていないものは触ってもいいと言われたのを思い出してふとした好奇心で触ったことがある。今ほど臆病かつ事なかれ主義でなかった凛久は、書簡を止めていた紐を何の気なしにするりと引っ張って開いた。



途端に現れる紫の靄、悲鳴を上げようとした凛久の口をぺちりと靄から伸びた手が塞いだ。
何が何だかと困惑する凛久をよそに、手の主は嬉々として出られた出られたと喜んでいるらしい、意図的に靄を濃くしているらしく姿が見えない。


いい加減放せと手をつつけば「これは失礼を」と恭しい返事が返ってきた。



「出していただき感謝の念に堪えませぬ、お礼をしたいのは山々なのですが少々急ぎの身ゆえ、今はご容赦くだされ」



靄の中に隠れたそれは書簡に描かれた文字と共に消え失せ、ぽつんといまだ現状把握ができていない凛久だけが残った。











あの人が守ってくれていたのだろかと、高校生の凛久は思案していた。凛久が見えないものに対して優しさを見せたことは何度かあれど、お礼をするとまで言ったのはあの書簡の人以外にいなかったからだ
他は大方「助けてくれてありがとう」から「死んでください」のようなまったくもって嬉しくないリップサービスを頂戴している。世知辛い世の中なのか昔から高級食品体質だったのかは不明だが、




(あぁ、あの人なら知っているかもしれない)



ふと思いついたのは昔から化け物に追われるたびにお世話になっている神社の神主だ。その神主にも大体凛久が見ているようなものが見えているらしく、対処法なんぞも習ったものだが今一実践できずにいるのが現状である。「まぁ見えないふりをするのが一番だ」というのはその人の言だ。



「神主さんごめんなさい」



授業真っ只中、朗々たる現代社会担当教諭の呪文を聞き入れた生徒が1人2人と撃沈していく中、夢の世界に旅立つ彼らを羨ましいと思いながら凛久はただ只管に教科書を凝視しながら呟いた。なるべく黒板は見ず、先生の声を頼りに教科書に線を引いてここが大事ーと心を込めて引くだけという授業スタイルはなるべく黒板など離れたものを見ないようにするために凛久が考えた方法だ。あ、いると思った瞬間に「よっしゃあ君俺の事見たよね? 見たよね!?」としつこいほどに絡んでくる奴らをなるべく視界に入れないようにするための方法、なのだが、



「申し訳ありませんが、話を聞いていただけないでしょうか?」

「おいコラ聞こえてんだろうがよ」

「うるさいっての、アンタがそんな怖ぇからこの子も反応できないんじゃないのかい?」



流石に3人完全スルーは無理です。戻ってきて法正さん
メンチの人が友人引き連れてやってきた、といえば分かるだろうか。今まで接触は1人ずつのターン制が主だったが、痺れを切らしたのかポニーテールに泣き黒子に垂れ目な古典の人と利発的な短髪が印象的な現代国語の人がやってきた。もはや凛久のSAN値は0に近い。


今に限っていない法正を恨みつつ、凛久は仕方ないとルーズリーフを1枚出して言葉を書いた。初の交渉。あー心臓痛い。



『お願いですから授業中に突っかかるのやめてください』

「お邪魔でしたか?」

『ものすごく』

「言われてんぜ凌統」

「お前のことだろ」



あのごめんなさい全員ですと言いたいのを抑えた。放課後絶対話聞きますからと書いて、視線を再び教科書に戻す。











あぁぁぁああぁぁぁああ憂鬱


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