先程記したメンチの人は、家庭科の座学の時間や保健の時間には現れるものの理科や数学系の時間になると耳を塞ぎながら逃げていく。試しに凛久が仕返し半分に難関大学の受験問題の答えのページを広げてみればいつものように話しかけては来たもののそそくさと退散していった。


理科基礎の人はその逆で、メンチの人が最も顔を青くして退散する理科の中でも最も面倒で最も長ったらしく訳の分からない理科基礎の時間にやってきては黒板をぼんやり見て、凛久をねめつけるように眺めてからどこかへと帰っていく。
かけてくる声は背骨を溶かす勢いの重低音、ぞわぞわと背筋を這い登る怖気に凛久は何度も耐えてきたものだがもう無駄なようだ。




「さて、何か言いたいことがあるようですが」



まずその前に何の仕業かいつも以上にぱっかり開いた胸元をどうにかしてほしいと凛久は願った。刃物か何かで切り裂いたような裂け目が入った服から見える肩やら脇腹を隠すことなく突っ立っていられたらこちらの目のやり場に困るというものだ。肌には傷跡はなく、先ほど流れていた血は何だったのかと疑問が湧く。



「・・・・さっき、の傷・・・大丈夫ですか」



少しの間の後、お人よしはこれだから、と男が呟いた。嫌がらせなのか仕返しなのか襟をつかんで更に服の合わせ目を開き、無傷の上半身の大部分を晒しておかげさまでと答える。元から足元寄りだった視線をさらに下げ、ベチリと叩きながら顔面を覆った。クククといかにも悪者くさい笑い方をする男、わざとだ、絶対にわざとだ。


「おかげって、なんですか」

「まぁ、貴方の血肉にはいろいろ効能があるとだけ言っておきましょう」



いろいろ、一応男の傷が治っていることから治癒のような力があるというのは察した。まぁそれだけでも驚きなのだが凛久は他にも効能があると言わんばかりの男の口調に引っかかっていた。まだあるのか、勘弁してほしい。どっかに転がってないか普通の人生。


まぁ、と男が呟いて考えを一時的に止める。楽しそうに口角を歪める男に凛久はため息をつきたくなった。



「俺を見止めてしまった以上他の奴等とは関わり合いにならぬほうが得策でしょう
しかし接近接触は避けられぬ事態、少々の血で護衛くらいなら務めますが・・・いかがです?」

「・・・・了承したら、いろいろ教えてくれますか」

「割りに合わないと言ったら?」

「いきなり唐突に何の断りもなしに貧血になる程の血を吸った事を貸しにします。足りないのなら今までしつこく私の授業時間を邪魔してくれた分も追加です」



面倒くさそうに視線を反らす男に、凛久は密かに隠れて握り拳を作った。常日頃から感じている身の危険と授業妨害がここで一気になくなる可能性があると思ったからだ。おそらくこの男、面倒事は買ってでも経験しろという若者精神は大の苦手そうだ。でも貸し借りには煩い、故に必要最低限の接触はあるだろうがそれまで、何かあったら出動というウルトラマンタイプなのだろう。



「分かりましたよ、俺の言える範囲内でなら何なりと」

「じゃあ、お願いします・・・えっと、凛久といいます」

「俺は法孝直、法正と呼んでください」















そんなこんなで出来上がったこの契約関係。授業中始めから終りまで授業参観の気分にさらされること以外は凛久の生活は良好だった。初めは布(曰く武器らしい)で近寄ってくるものをフルボッコにする法正に驚くとともにやりすぎではないかと言った凛久だが、彼らが実体なき霞のようなもので、一部を除いて力の根源を潰さない限り何匹でも出てくるアリやゴキ(以下略)のようなものだと法正が話せばなるほどと納得して何も言わなくなった。血も最初のように大量に飲まれることはなく、コップ一杯より少し少ない程度で終わらせている。満足げに吐息を漏らす姿は何とも蠱惑的で、頬を赤らめた凛久をいじるまでがいつもの流れだ。
法正曰く凛久は鶏肉で言うなら比内地鶏や烏骨鶏に相当する人種のようで、今まで食われなかったのが寧ろ奇跡らしい。家畜扱いされるのも微妙なものだが、だからと言ってほかに現状を説明するのにちょうどいい言葉が見当たらないと言うのは法正の言だ。乳牛と似たようなものかと納得する凛久。それでいいのかどうかは知らない



「法正さんは、ご飯とかいらないんですか」

「血を無償で提供するというお話でしたらお断りですが」

「いやそういうのじゃなくて、1日1回で足りてるのかとかそういう」

「同じじゃないですか」



晩御飯が終わった後、凛久が部屋に戻れば法正がフラフラ浮かびながら何処かで見た気はするけれど一文字すら解読不可能の言語がずらずら書かれた本を捲っていた。凛久の考えに反し、法正との物理的な距離は案外近かった。移動距離など様々な要因を鑑みた結果と言うのは法正自身の言だ。たまにふらりといなくなっては大量の本を抱えて帰ってくる。書物を好む悪魔という響きでダンタリオンかと疑い聞いてみたところ似たようなものだと返された。

法正の体が上下に揺れるたび、机に少しずつ傷が刻まれていく。法正の羽根についた角のせいだ。弁償代が恐ろしいと凛久がぼやけば法正は何でもないというように視線は本に向けたまま傷をするりと撫でて元通りにした。



「人間の食べるものは嗜好品扱いなので摂ろうが採るまいが同じなんですよ、不味くはありますがそこらの低級な霊や物の怪共も一応食物になりますしね、不味いですが」

「2回言った・・・なるほど、てかなんですかその技魔法使いですか? 」

「悪魔ですって」









「故にあなたが御馳走なのですよ、ご理解していだだけたでしょうか?」

「了解しました。アイアム比内地鶏」



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