逃げます

「天草さん」

振り向けばそこには、先日私をボコボコにした直井がいた。また殴りにでも来たのだろうか。ゆりさんと音無君との会話でも聞かれたか。思い返してみたが、直井の表情は比較的穏やかで、暴力をうけることは無さそうだった。
いつもの屋上。あの出来事があって以来、音無君と会いづらくて、暗くなってからは場所を移すようにしている。この場所はお気に入りなので、あまり変えたくはなかった。

「今日はあなたにお願いがあって来ました。」

直井は口端を上げて言った。「お願い」なんて可愛らしく言っているが、どうせほとんど命令のようなものだ。言うことを聞かなければ脅しか暴力をふるうクセに。と心のなかで毒づきながら立ち上がった。

「今日、テストがあるのはご存知ですか?
まぁ、知らないですよね。」

いちいち腹の立つ言い方をするヤツだ。1日のほとんどを学校の屋上で、しかも1人で過ごす私がテストの日にちなんか知っていたらおかしいだろう。生徒会副会長のクセにそんなこともわからないのかバカ野郎。なんてことは死んでも言わないが……って、私もう死んでるんだった。
眉を寄せた私をおもしろそうに眺めてから、直井はえらそうに腕を組んだ。

「怒らないでくださいよ。
お願いというのは、テストで立華かなでの妨害をしてほしいんです。」

「天使の……?」

ええ。と直井は得意気にうなずいた。天使に悪い点数を取らせるということだろうか。でもいったいどうして?正々堂々点数勝負しても敵わないからとか言わないだろうな。勉強しろよ。なんて私が言える言葉ではないけれど。

「理由は、僕が神になるためです。」

「……はぁ。」

曖昧な返事で流しておく。馬鹿馬鹿しい。まだここが神を選ぶ場所だと思っているのか。思わず鼻で笑いそうになったが堪えた。

「まずは生徒会長になって、この学校の支配から始めようと思いましてね。
あぁ、うまくいったらあなたにもいい位置をあげますよ。生徒会長補佐、なんてどうです?」

「…いらない。」

誰がお前の配下につくか。死んでも嫌だ。ってだから私はもう死んでるんだってば。これ以上付き合ってられない、と私は屋上を後にした。扉が閉じる瞬間、直井が嫌な笑顔を浮かべながら口を開いた。

「必ず1人で、成功させてくださいね。」

パタンと音をたてて扉が閉まった。舌をつきだしてやりたかったが、我慢だ。1人でやれ、なんて今さらわかりきったことだろう。言われなくてもそうする。あんたのおかげで、こっちは険悪ムードなんだよ。もし頼めるような仲だったとしても頼みません。
だけど、本当にどうしようか。1人だけで天使の妨害なんて。しかも戦闘ではなくペーパーテストときた。うんうん悩みながら歩いていれば、教室についてしまった。とりあえず隠れて中を覗き見る。天使は廊下側の席にいたので、様子がよく伺えた。参考書を開いて、懸命に勉強する天使を見ていると、自分がしようとしていることが、なんとも心苦しい。ため息をついて、何か利用出来るものはないかと改めて中の様子を確認してみた。が、幸か不幸か私は中にいた大山君とバッチリ目が合ってしまった。慌てて人差し指を口に当てて喋るなのポーズをする。大山君は涙目になりながら必死の血相でコクコクと何度も頷いた。そんなに私が怖いか。

「何変な事してんだよ。
大山、お前もついにおかしくなったか……、っておぉ!天草さんじゃん!
オーッス!」

「詩織!?どこに!?」

大山くん、バレちゃったよ。日向君もオーッスなんて大声をあげないでくれ。音無君がすごい勢いで振り返っちゃったじゃないか。
慌てて隠れたが遅かった。誰かが、多分音無君が教室を出てくる音が聞こえる。ここはすぐにバレる。扉を出て左を向いただけでバレる。私は躓きながら走り、とにかくどこか隠れる場所はないか探した。真っ直ぐな廊下だ。馬鹿正直に突っ走ったらすぐにつかまる。目に飛び込んで来たのは「女子トイレ」。ここしかないだろうこれ。絶好の隠れ場所見つけちゃったよ。

「あっ、ちょお前!」

音無君はもう手を伸ばせば届くところまで迫っていた。急に方向転換した私に、音無君は女子トイレを通りすぎ、少ししたところで止まった。

「叫ぶから。
入ってきたら、『変態』って叫ぶから。」

「お前……っ、それは卑怯だろ……」

「残念。
実は私もいたの。」

その声に、ビクリと肩を震わせた。出てきたのはゆりさん。個室に逃げ込もうとしたけど、首根っこをつかまれてしまった。

「……っ」

「何しにきたか知らないけど、私たちを見て逃げるなんて失礼だと思わない?」

尻餅をついた私は、そのままズルズルと引きずられ、女子トイレから完全に出されてしまった。後ろにはゆりさん、前には音無君。なんて最悪な状況なのだろうか。

「今までどこにいたんだよ。屋上に行ってもいないから、心配してたんだぞ。」

「……私の勝手でしょ。」

だから私なんか心配しなくてもいいのに。
あぁもう、どうしてこんなにこの人たちは私の調子を狂わせるのだろう。
頭を抱えたくなる衝動にかられながら、私は項垂れた。

「私は音無君みたいに油断はしないわ。
逃げようなんてバカなこと、思わないようにね。」

「……悪かったな、油断して。」

未だ軽い猫状態の私は、くいとゆりさんに襟を引っ張られ、眉を寄せた。そんな私にはめもくれず、私を挟んだまま、ゆりさんと音無君は何か会話を始めた。天使はどうの、テストはどうのと。少しばかり腹がたったが、これは好都合だ。ゆりさんの手がしっかりとブレザーとカッターシャツを掴んでいるのを確認してから、私はブレザーのボタンに手をかけた。ゆりさんはきっと音無君の時のように上手く逃がしてはくれないだろう。だったら捕まれている服を脱いでやる。ゆりさんたちと同じセーラーじゃなくてよかった。気づかれないように、ゆっくりと慎重にボタンをはずしていく。下に薄いTシャツを着ているから、格好はおかしいがなんとかなるだろう。そう思いながら、なんとか気づかれずに最後までカッターシャツのボタンをはずし終えた。後は腕をうまく抜くことができれば……

「………、よしっ」

「あっ、ちょっと!
信じられないっ!
そこまでして逃げるの!?」

「詩織!」

うまくいった。ここからは脚力勝負だ。とにかく、曲がれるところは曲がって、行方を眩ませよう。意気込んで走ったのに、私は突然目の前に現れた人にぶつかりそうになり、尻餅をついた。今日は私のお尻の命日のようだ。

「何をしているの?
もうテストが始まるわよ。」

「……ぁ、」

顔を上げればそこには天使がいた。妙な威圧感に押され、動くに動けない。あぁ、私って本当に神から見放されているのかも。半分諦めかけていたところを、後ろから追いかけてきたゆりさんに捕まって、完全に諦めてしまった。

「もう逃がさないからね。ホントに、どこまで強情なのよあなた。」

チラとゆりさんを見れば、結構なご立腹の様子だった。青筋を立て、ひくひくと口端をひきつらせる彼女はまるで鬼のようだ。私はゆっくりと前に向き直った。と、同時にバッサリと頭からブレザーとカッターシャツを被せられ、視界が覆われた。顔を出して、被せてきた音無君を睨み付ければ、彼の顔は赤く、何故か口を抑えたまま此方を見ないじゃないか。いったい何だっていうんだ。

「意外と鈍感なのね。
下着、透けてるのよ。薄いTシャツなんだから、当然でしょ。
あと、早く足を閉じなさい。」

「……、」

よくよく考えればそうだった。自分の胸元に目をおとせば、うっすらと見える下着。加えて尻餅をついたまま世に言うM字開脚をした私って、いったいどこの変態なんだ。
私はいそいそとカッターシャツとブレザーに腕を通し、足を閉じた。

「音無君、もう大丈夫よ。」

「いや、俺は別に炒飯でも構わないんだが、」

「何わけわからないこと言ってるのよ。帰ってきなさい。」

ゆりさんに冷たい視線を向けられると、音無君はハッとして私を見た。すでにしっかりとブレザーを着て、足を閉じている私は何も言わず、音無君を見返す。それだけでみるみる顔を赤くしていく音無君は少し面白かった。のに、

「テストが始まるわ。
中に入らないの?」

そういう天使の目は、しっかりと私に向いていた。何、もしかして私に言っているのか。

「私は受けな……」

「さて、いきましょうか天草さん。
いい点数が取れるように頑張りましょう!」

「はぁ!?
ちょっと離して!」

断りの言葉をゆりさんに遮られ、私は無理やり教室へと入れられた。なんてことだ。テスト勉強なんかしてないし、内容だってほとんど覚えてないのにいきなりテストなんて。そんなことよりこんなところを直井に見られでもしたら……、あぁ、考えただけでも恐ろしい。

「離してよっ!
嫌だって言ってるでしょ!」

もがいてもゆりさんの手はなかなか離れなかった。ムキになって大声で反論してからハッとした。周りを見れば、私に向けられるいくつもの目。後ろも、右も左も。皆が私を見ている。

「っ、」

何て言う最悪な環境なんだろう。生きていた頃の記憶が蘇る。心臓が激しく高鳴り、込み上げる吐き気に口を抑えた。あのときも、皆見てた。教室で、こうやって1番前に引っ張り出されて、それで―……

「詩織!」

「っ!」

「すごい汗だぞ。
大丈夫か……?」

ハッとして見れば、音無君が心配そうに私を覗き込んでいた。足が震えた。大丈夫って言わなきゃ。なんでもないって言わなきゃ。まだ過去を引きずってるなんて、バカ見たいじゃないか。

「だ、」

でもちょっと待てよ。これはチャンスかもしれない。私はクラスをあまり見ないように俯き、手を口に当てたまま、うぅっと唸った。

「詩織!」

「天草さん!」

今までで一番の演技だ。これは主演女優賞ものだぞ。心の中で盛大に拍手を送りながら、私はゲホゲホと咳き込んだ。そうすれば周りの皆はあたふたと水だの保健室だのと騒ぎだす。今だ。私は口を抑えたまま、あくまでトイレに吐きに行ったように教室を飛び出した。ちょうどよく教室に入ろうとしていた教師とぶつかったが無視だ。あ、でも教師が入ったということはもうゆりさん達は私を追って来れないということか。私は教室から出たところで立ち止まって振り返った。ゆりさん達は突然立ち止まった私をきょとんとして見ている。うまく誤魔化せたようだ。ひらひらと手を振ってそのままトイレとは逆の方向に曲がれば、

「に、逃げられたぁぁあ!!」

ゆりさんの絶叫が聞こえた。騙してごめんなさい。あと、天使の妨害、お願いします。




(逃げます)




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