寂しくなんかない

「今日のアレはなんです?」

「っ、」

掴まれた前髪をぐいと引っ張られ、思わず顔を歪めた。私を嫌な笑顔で見下ろしている彼……基、直井文人は数分前、屋上にくるなり私を柵へと押し付けたのだ。そうしてしばらく何も言わずに私に暴力を振るい続けた彼は、やっと口を開いて冒頭のことを言った。

「わかっているんですか?
あなたは友人を作れば消える。野球なんか、もってのほかのはずです。」

フイと目を反らせば頬を叩かれた。痛い。仮にも女に何てことをするんだ。睨み付ければ逆に笑みを深くしたドSかドMかよくわからない直井は、今日のスライディングで擦りむいた膝小僧の傷に触れ、あろうことか爪をたてた。

「あっ、ぅ」

「あいつらのために傷まで作って……、もしかして、本当に消えたいんですか?」

いたいいたいいたい。これは結構堪えた。痛みで生理的な涙が浮かぶ。
消えたいわけ、ないじゃないか。それをわかっていてわざわざ聞く直井は本当に性格が悪い、というかひねくれている。口内が血の味一色で気持ちが悪い。だがここで吐き出そうものなら抵抗と取られ、また殴られるか蹴られるのだろう。私だってバカじゃない。ちゃんと学習するんだ。
それにしても痛い。今までされるがままだったが、堪えきれずに直井の手を掴んだ。簡単に振りほどかれてしまったけど。痛みがなくなったからよしとしよう、と油断した隙に胸ぐらをつかまれ、顔を近づけられる。喉が締め付けられ、息がしにくい。抵抗してみるがビクともしなかった。

「これ以上僕に刃向かわない方がいい。
度がすぎると、あなたの秘密、バラしちゃいますよ?
今は『何もしなくていい』と言ってあげてるんですから、あなたはその通りにすればいいんです。」

「……っ」

コイツはこれがあるから厄介だ。私がゆりさん達に関わらないようになった理由を知っているから。知ってからというもの、それを利用して私を好きなように扱う。抗おうものなら、理由をバラすと脅しをかけて。
ぐっと歯を噛みしめれば、直井がフッと笑った。

「悔しそうですね。
ほら、何か言ったらどうなんです?
その口は飾りですか?」

伏せていた目を上げて、直井を見る。嫌な笑顔だ。だけど、コイツにも辛い過去があってここにいる。そう思えば、幾分か怒りが鎮められた。

「寂しい生活よね。
私も……、あなたも。」

直井から笑顔が消えた。

「1人きりで、誰もわかってくれる人なんかいなくて、だから素直になれなくて……」

「黙れ。」

ぐいとさらにきつく胸ぐらをつかまれる。苦しいけど、私は直井から目を離さなかった。明らかに動揺を見せる彼に、妙な親近感を抱いてしまう。

「認めてほしいのに、自分を見てほしいのに、それは叶わない。」

「黙れと言っているのがわからないのかっ」

「私はすぐ諦めてしまったけど、あんたは……っ、」

そこまで言ってから、私は殴られ倒れ込んだ。口端が切れ、血が伝う。顔をあげるより先にお腹を蹴られてしまい、堪えきれずにうずくまった。

「お前に何がわかるっ
お前なんかと僕を一緒にするな!
僕は……、僕はっ!」

「っ、……ぅっ」

意識が遠退いていく。私の体から力がなくなっていくのがわかったのか、直井はようやく足の動きを止めた。薄く開いた目で最後に見たのは、今にも泣き出しそうな直井の顔だった。私も、こんな顔してるのかな。確かに、こっちの立場になってみてわかったけど、ほうってはおけないかも。薄れる意識に身をまかせ目蓋を閉じると、プツリと音が途絶えた。




どれくらいたったのだろうか。意識を取り戻して辺りを見ると、もう直井はいなかった。まだ傷があまり癒えていないから、そう時間はたっていないのだろう。
起き上がろうとお腹に力を入れれば、鈍痛がした。派手にやってくれたものだ。きっと今の私はひどい顔をしているのだろう。顔を歪めながらも起き上がり、改めてはっきりした意識で周りを見れば、もう大分暗くなっていた。今は何時なんだろう。ぼんやりと思ってから気がついた。音無君が来てしまう。彼はだいたい暗くなってすぐに来る。今日はもう1度会った、というかそれ以上のことを長時間したから来ないかもしれないが、念には念をだ。私はぐしゃぐしゃになった髪もそのままに、急いで屋上を出た。彼のことだ。私のこの格好を見たら、またいらぬ心配をしてしまうだろう。それは避けなくてはならない。
自室へ戻ろうかと思ったが、いかんせん遠い。特に階段がキツイ。さっきからお腹の痛みが酷く、そこまで行く気力はなかった。なら、と私はここから一番階段の上り下りが少ないもう1つの屋上を目指した。

どれくらい歩いただろうか。普段ならあまり遠くは感じないのに、今はどれだけ歩いても着かない気がした。
痛い痛いと思っているから痛いのだ。何か別のことを考えてみよう。よし、『もしも地球が滅びたら』で行こう。まずは荷造りだ。大事な物を持って、皆で火星に避難しよう。火星になんだったかを入れたら化学反応で酸素がいっぱいになるんじゃなかったっけ。寒いのは二酸化炭素大量に持っていって気温上昇万歳。地球温暖化も解決だ。きたよこれ。私最強だ。でも地球滅びるまでに皆火星に避難できるのかな。やっぱり死ぬのって痛いのかな、とか思ったらまた痛い痛い。お腹痛い。痛いのかなとか考えなきゃよかった。しかも私もう死んでるし。やっぱり私バカだ。最強なんかじゃなかった。

「……」

少し冷静になった。我ながらアホだと思う。ユイさんに読心術があったら、今頃アホですね。を連発されているだろう。でもおかげで屋上は目の前だ。ここなら音無君も来ないし、昔はよくお世話になっていた場所だからゆっくりできる。
ドアを開けようと、ドアノブに手を伸ばした。あと少しで届くその時、ガチャリと触れてもいないのにドアノブが回った。驚いて手を引っ込める。誰だ。誰が出てくる。NPCだよな。NPCだと信じてる。祈るが、願いは虚しく叶わなかった。目が合ったのはゆりさん。その奥にいたのは音無君。最悪だ。私は急いで踵を返し、逃げた。不運すぎるだろ私。何で会わないために移動したところで会うんだよ。傷が痛いとかもうそんなの関係ない。階段を下り、廊下を曲がり、とにかく走った。

「詩織!止まれ!!」

「天草さん!」

絶対止まらない。
止まらないことは止まらないが、相手はゆりさんと音無君。2人とも運動神経がいいし、何て言ったって音無君は男。屋上から屋上へ行くだけでも息を乱している今の私が逃げ切れるわけがなかった。
案の定腕をつかまれ引き寄せられた。傾いた体は音無君に支えられ、転けずにすんだけど、ありがとうなんて絶対言ってやらない。

「どうしたんだよその傷!」

「誰にやられたの!?」

どうしたもこうしたも暴力を受けたんだ。直井にやられたけどそんなことバラしたらどうなるかわかったもんじゃない。私は頑なに口をつぐんでうつむいたまま動かなかった。しばらくの沈黙の後、ゆりさんがため息をついて肩をすくめた。諦めてくれたようだ。ということで音無君、手を離してくれないかな。そう思いながら軽く身動ぎをしてみるが外れない。

「あ、音無君。離しちゃダメよ。」

何でだよ。諦めてくれたんじゃないのか。傷が痛いんだ。早く返してくれ。睨み付けてみるが、ゆりさんはまったく動じない。さすがだ。

「とにかく、まずは手当てをしなきゃいけないわね。」

「っ、寝てれば治る。」

「怪我をすれば手当てだろ。痛みも和らぐだろうし。」

「必要ない。離して。」

私は拒否の言葉しか言わないからな。どれだけ言われようと、いい。必要ない。を繰り返していれば、2人は顔を見合わせて眉を潜めた。諦めてくれ。今日は傷が痛くてろくな抵抗も出来ないんだ。もう口でめちゃくちゃ言ってやるか。
今日の野球で変に仲間意識を持たれていたりするかもしれないから、それをぶち壊すくらい思いっきり。

「せめて顔だけでも…」

「もう離してよっ!」

いたたた、お腹痛い。また涙が出てきてしまった。大声って案外お腹使うのね。でも表情を崩すわけにはいかないから音無君とゆりさんを睨み付けたまま堪える。いきなりの攻撃に、2人は目を丸くしていた。

「手当ては必要ない。
私があんたたちが嫌いってこと知ってるんでしょ?
…触られたくもないの。
今日の野球で変な勘違いを起こさないでよね。
私はあんたたちと仲間になったつもりも、仲良くなったつもりもないから。」

静かな廊下に私の声がよく響いた。まるで自分の言葉を再認識させるように響くものだから、どうしようもなく胸が苦しくなってくる。お腹が痛くていつものように大声では言えなかったけど、言うだけのことは言った。これで十分だろう。私はゆりさんの命令と音無君の手が離されるのを待った。だけど、一向に離れないじゃないか。痛みを我慢して少し暴れてみるも、依然効果はなし。それどころか、

「音無君、保健室につれていくから、おぶるなりなんなりしなさい。」

「はぁ!?必要ないって言って……っ、」

ゆりさんの手が突然お腹に触れた。思わず身を引いて顔を歪めると、呆れたようにため息をつかれる。

「ほら見なさい。
どこが必要ないのよ。
強がってないで、痛いなら痛いっていいなさいよ。」

「仲間じゃないとか、仲良くないとか、そんなの関係ない。
俺たちは目の前の人を助けたい。それだけだ。これならいいだろ?」

私は目と口をポッカリあけたまま動けなかった。何で、どうしてそんなに優しくしてくれるのだろう。私に優しさなんていらない。直井のように、暴力をふるってくるくらいが調度いい。私なら大丈夫だから。私なら、我慢できるから…っ

「あ、詩織っ」

私は脱力していた手に突然力を込め、音無君の手から脱出した。油断していたのか、案外すぐに外れたそれに密かに安堵する。ここから走って逃げたって捕まるのは目に見えているので、壁にぴったりと張り付いたまま動けなかった。
2人が怖かった。私に手を差しのべてくれる皆が怖かった。

「ダメ…」

「詩織、」

「ダメなの…っ
ダメなんだよ、こんなことされたら!
私は、1人でいなきゃいけないの!」

「そんなこと、誰が決めたんだよっ!」

「私よ!私が決めたの!
生きていた頃の私が決めたの!」

2人が息を飲む。
ゆりさんが何かを察したように目を見開いた。私は少し冷静になって自分の言ったことを思い返し、慌てて口をつぐんだ。

「まさか天草さん、」

「ゆり…?」

「あなた、人と親しくしたら、消えるの…?」

「…っ」

「それに気づいて、私たちから距離をおいてるの?」

ゆりさんの言い方は、もう確信めいたものだった。キョトンとしていた音無君も、ハッとして私を見る。
私のバカ。いくら動揺していたからって、言っていいことと悪いことがあるだろう。

「天草さんっ」

何も言わない私に、ゆりさんは声を荒げる。それでも私は肯定も否定もせず、黙っていた。また何かを言おうと口を開くゆりさんを、音無君が肩に手をおいて制した。

「詩織、俺は、お前の口から聞きたい。
どうして俺たちを突き放すのか……」

「……」

「教えて、くれないか?」

真っ直ぐと私を見つめてくる音無君を見ることはできなかった。フイと視線をそらして、私はどう逃げるか、それだけを考えた。そして、

「……手当て、やっぱり必要ないから。さよなら。」

「詩織っ!」

私はそれだけ言って逃げた。ゆりさんと音無君は追いかけて来なかった。




(寂しくなんかない)




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