止めなかった
屋上についてほぅっと息を吐いた。疲れた。ダラリと壁に身体を預けて空を見上げる。晴天だった。
あの日も、こんな風に綺麗な空で、まるで吸い込まれてしまいそうな、そんな空だった。あの日、というのは、他でもない私が死んだ日のこと。車に、どんな車だったかは曖昧だけど、ぶつかった気がしたな。すぅっと意識が遠ざかっていく感じがして、やっと死ねる。そう思った。自分で死ぬのは悔しかったから、ちょうどよかったのかもしれない。きっとクラスの皆も、私が死んでさぞ喜んでいたことだろう。
皮肉なものだ。ため息をついて、視線を下ろした。
天使の妨害は、うまくいっているだろうか。ゆりさん達の目的が天使の妨害と確認せずに任せてきちゃったけど、大丈夫だよな。多分。ゆりさん達だもの。ただ素直にテストを受けるとは思えないし。さっきからなんか爆発音みたいなのが聞こえるし。あとゆりさんの大声も。何かしらしてるんだろう。何してるのか気になるけど、これを天使の妨害と言わずしてなんというのだろう。私は漏れたあくびを隠すこともせず、大きく伸びをしてから腕を枕にして寝転がった。暇になったし、昼寝でもするか。今日はゆりさん達のおかげで1日やることもないし。言っておくけど、やることないのはいつもじゃないから。
私は至って平和にその日を過ごした。まさか、陰で直井が本当に、しかも最悪な形で動き出していたなんてことも知らず。
翌日。今日は全校集会が行われるようだ。私は毎度の事ながら参加しない。途切れ途切れだが、マイクの音が屋上まで届くから、それを口実に。と言っても、誰も弁解する相手なんか居ないけど。
生徒がいないせいでしんと静まり返った校舎を少し寂しく思いながら、聞き耳をたてた。
聞こえてきたのは、"立華""会長""辞任"。要するに、昨日のテストの妨害がうまく行ったのか。それで辞任、否解任だろう。可哀想、なんて役にたたない、ただ迷惑なだけの感情が、私を苦しくさせた。
だがその後に続いた言葉に、私は目を見開いた。
直井が、会長代理だなんて。まさか、こんなにうまくあいつの思い通りに事が進むとは思っていなかった。いったい何をしでかすか、わかったものじゃない。確実に、よからぬことが起きる。嫌な予感がしてならなかった。
その日の夜、ゆりさん達が食券を巻き上げるアレを始めた。私は、第2期ガルデモの歌を少しだけ聴いてみたくて、外に出ていた。
夜は少し肌寒い。ゆりさん達に見付からないように、端から見れば怪しい動きでライブ会場に向かう途中、歩いてくる天使を見つけた。その姿が、何だか寂しそうで、私は胸を抑えた。
天使にだって心はあるのだろう。きっと、悲しんでる。私達のせいで。私は意を決して天使に近づいた。
「立華、さん。」
「、あなたは……」
パチリと瞬きをした天使は、私を見て驚いているようだった。
勢いで来てみたものの、何を言うかもちゃんと決めてなかったので、私は口をパクパクと動かしてから、ため息をついた。なんて容量が悪いんだ。
「どうかしたの?」
そう聞かれ、顔をあげると、小首を傾げる天使。私達の敵とは思えなかった。
会長を解任、ということは、きっと先生からたくさん叱られたのだろう。生徒の見る目が、一気に変わったのだろう。天使は、何もしていないのに……。
「……ごめんなさい。」
頭を下げれば、天使はハッと息を飲んだ。どうして謝るの?と尋ねてくる彼女に答えず、私はひたすら謝った。
「顔を上げて。」
ごめんなさいの言葉がいったい何なのかわからなくなるほど言ったあと、天使が見かねたように言った。ゆっくり顔をあげると、相変わらずの無表情で。だけどさっきより、寂しそうじゃない気がした。
「あなたの名前は?」
「あ、天草、」
「下は?」
「詩織……」
「じゃあ詩織。
一緒にご飯、食べましょう。」
「は、え?
あ、ちょっと!」
いきなり下の名前で呼び捨て。ドキリとしたのもつかの間、天使はあろうことか私の手を掴んで、しかも一緒に食事をしようと歩き出したのだ。振りほどこうとしてもまったく外れない。ゆりさん並み、否、ゆりさん以上だ。
「てん、じゃなかった立華さん!
私一緒にご飯は食べられないの!」
「どうして?」
何とか立ち止まらせることができた。ほっと一息の間もなく、天使の質問に頭を働かせる。私の設定を思い出せ。私はここの人たちが大嫌いなんだ。1人が好きな、一匹狼なんだ。
「あなたが嫌いだから。」
「嘘ね。」
あっさりバレた。なんだか恥ずかしい。でもどうして……。嘘じゃないと言ってみるが、天使は頑なに嘘だと言い張った。私の嘘は下手なのだろうか。だんだん危なくなってきた。関わらない、関わらせない理由は嫌いだから。だったのに、これが嘘だと言われてしまえば私はどうしたらいいのだろう。
「何か他の理由があるんでしょう?」
「……っ、」
「立ち話もなんだから、行きましょう。」
「っあ、ちょ、だからなんで……っ」
そうなるんだ。私は引っ張られながら自分の運命を呪った。
人混みをかき分けながら、食券売り場へと向かう。きっとどこかでゆりさん達はこの光景を見ているだろう。怒るだろうか。見放されたら、一番いいんだけれど。
「どれにする?」
「え、わ、私はいい。」
尋ねる天使の手には既に食券が握られていた。麻婆豆腐か。あれ、これってめちゃくちゃ辛いんじゃなかったっけ。
断ると、天使は何も言わずに麻婆豆腐をもう1つ買った。それはもしかして私の分、とかじゃないよね。私辛いの苦手なんだけど……
二枚の食券が天使の手に収まり、私達はまた歩きだす。そういえば、今日は食券を巻き上げるなんとかっていう作戦だったはず。ライブもかなり盛り上がってるし、もしかしたらそろそろ危ないんじゃないか?
「あの、立華さん、食券……」
慌てて言うが遅かった。二枚の食券は強い風に飛ばされていく。手を伸ばすが、届くことはなかった。
私は知っていたのに。もっと早く気づいていれば……
「飛ばされちゃったわ。」
「あ、うん。ごめん。」
「どうして謝るの?」
「え、な、なんとなく……」
「……おかしな人ね。」
そう言って立華さんは小さく笑ったように見えた。
って、私何普通に会話してるんだよ。天使はゆりさん達とは違う調子の狂わせ方だな。あぁもう、なんだっていうんだ。
「また買いにいけばいいわ。」
謝った私に気を使ってか、天使が小さくそう言った。なんでそんなに優しくしてくれるんだ。自分が、落ち込んでいる最中なのに。天使と呼ばれているが、彼女は普通の人。ゆりさん達が言う神に作られた存在なんかじゃない。今日で確信した。それなのに……
「どこへ行くの?」
「帰る」
突然歩き出した私に、天使……否、立華さんは問いかけてきた。彼女を見ていると、声をかけたくなってしまう。あまりに彼女が強くて、弱いから。そんなこと、私はしちゃダメだ。
きっと勘が鋭いゆりさんや音無君がほうっておかないだろう。特に音無君は。だから私は関わらない方がいい。関わらなくていい。
「また、話せるかしら。」
「!」
小さく聞こえた言葉に、驚いて振り返った。立華さんはしっかりと私を見ていて、苦しくなる。頷きたかった。また話そうと言いたかった。でも、それは叶わないこと。諦めろ私。消えたくないんだろ。迷惑かけたくないんだろ。だったら関わるなバカ野郎。
「泣かないで。」
「っ、泣いてなんか……、ないっ」
「ごめんなさい。
泣かせるつもりはなかったの。」
「泣いてないっ」
流れてくる涙を乱暴に拭った。悔しかった。なんで私はこうダメなんだろう。皆の優しさが嬉しくて、いつもいつも友達になりたいと思ってしまう。
「よかったら、」
「……っ」
「理由を教えてくれないかしら。」
言ってしまいたかった。でも、言うと私はきっと皆と笑うことも、消えることも、出来なくなってしまうのだろう。
私は何も言わずそこを走り去った。人混みをかき分け、ただ自室を目指して走る。何かがはち切れそうだった。
「詩織っ!」
なのに私は後ろから音無君に腕をつかまれ、立ち止まらされた。今日はろくな日じゃない。暴れて見るが、手が外れることはなかった。
「どうしたんだよ。
何で泣いてるんだ?
立華と何かあったのか?」
「……やめて」
「詩織?」
はち切れてしまう。今優しくされると、止まらなくなる。溢れ出てくる何かを、止められなくなってしまう。お願いだから、優しくしないで。
「なんでも、ない……っ」
「……、お前はいつもそうだ。
たまには、頼ってくれよ。たまには、自分に素直になってみろよ。
俺はお前を助けたいんだ。」
「……っ」
ダメだ。受け止めていた入れ物が、音をたてて壊れていくのがわかる。ボロボロと涙がこぼれた。口からは情けなく声が漏れる。
「天草さん……?」
「おいおい、どういう状況だよ音無。」
「な、何で泣いてるの?」
戦線メンバーが集まってきた。止まれ、止まれよ!今までちゃんと受け止めてきたくせに、何で今壊れるんだよ。我慢しろよ。堪えろよ。今までしてきたように、諦めろよ!
「どいて。」
有無を言わせない、凛とした声が聞こえた。戦線メンバーを掻き分けて来たのはゆりさん。私の前に立った彼女はしっかりとした声で私を呼んだ。
「大方、堪えきれなくなったんでしょ。」
「……っ」
フルフルと首を振るが、ゆりさんは確信しているようだった。
「1人が寂しくなったんでしょう?」
「ちがう!私は……っ、」
「優しくされるのが怖いんでしょう?」
「っ、」
「私達を避ける理由は聞かないわ。
あなたの本心を聞かせて。」
私は……、私の本心は……
ゆりさんが涙で滲んだ。あぁダメだ。止まらない。出てきてしまう。
「大丈夫よ。
嫌いになんかならないから。」
どうして、どうしてゆりさんはわかるんだろう。私が不安に思っていることを次々と当て、尚且つ安心させる言葉を言ってくれる。
私は堪えきれなくなって、口を開いてしまった。
「……、っさみし……っ」
「うん。」
皆がハッと息を飲んだのがわかった。あまりに涙が出てくるから、手で顔を覆う。ゆりさんが小さく頷いて、続きを促す。
「くるし、かった……っ」
「そう。」
私の体が、温かい何かで包まれた。耳元で聞こえる声から、私はゆりさんに抱き締められているのだと気がついた。その瞬間、私の口からは情けなく泣き声が漏れる。
「ひ、とりはっ、いや……っ」
「うん。」
ゆりさんの手が私の背中をさする。そこで私はハッとした。立華さんは、今も1人なのに。私なんかと一緒にいたがるくらい、落ち込んでいるのに。私だけこんな……っ
「あ、天草さん!?」
私は急いで立華さんと別れたところへ向かった。私だけなんて、そんなのダメだ。ゆりさん達が優しくしてくれた時、私は本当に救われた気分だった。立華さんだって、きっと……っ
「立華さん!」
「!、どうしたの?」
よかった。まだ居てくれた。ごめんなさい、勝手にいなくなって。ありがとう、私なんかを誘ってくれて。言いたいことはいっぱいあったけど。とにかく、
「ご、ご飯……っ」
一緒してもいいかな?
言うと、立華さんの目が僅かに見開かれた。
そのあと肯定の言葉と共に小さく頷かれ、私は一気に体の力が抜けた気がした。
私、何してるんだろう。
ダメなのに。こんなことしてたら、消えちゃうかもしれないのに。
もう一度、2人分の麻婆豆腐を買いに行く立華さんを、私は止められなかった。
(止めなかった)
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