1人にはさせない
その夜、私はライブ会場にきていた。なんて単純なヤツなのだろう自分は。と頭を抱えたくなりながらも、来てしまったものは仕方ない。だが、来たと言ってもNPCがうじゃうじゃいるところに紛れ込んでいるわけではない。あんなところにいたら、今度こそ意識を失いそうだ。と見ていて思う。
私はライブ会場の扉の前にいた。確か、岩沢さん達が歌うのはNPCの誘導が目的で、ゆりさん達がここに来ることはめったになかったはず。
それにしても、と私は中を見回した。
「(人が少ない……)」
今回は告知ライブだったはずだ。もう少し人が入ってもいいのではないだろうか。普段は屋上から音だけを聴いていたので、いつもどれくらい人がいるのか知らないが、ゆりさん達がたくさんのNPCの誘導に使うんだ。きっとたくさんの人が聴きにくるのだろう。なのにどうして……
何故だか、とても嫌な予感がした。
顔を歪めたその時、ギターの音が鳴り響いた。始まる。私は複雑な気持ちで舞台を見つめた。
どうか、どうか何も起こりませんように。
そのまま1曲目が終わった。相変わらず客は少ないままで、遠いから表情まではわからないが、岩沢さんは少し焦っているようにも見えた。そして、何かを決心したように一音を鳴らす。その途端、会場がワッと盛り上がった。この曲は、と私は記憶を巡らせた。確か、こんな序盤にやる曲ではなかったはずだ。
あくまで、誘導目的というわけか。私の目の前を通りすぎて、たくさんのNPCが入っていく。
ふと視線をずらした時、教師らしき人物が数名、此方に向かってくるのが見えた。やめさせるつもりだ、とすぐにわかった。
私は咄嗟に扉の前に立ち、教師たちの足を止めさせた。
「何だお前は。」
「帰ってください。」
じっと教師を睨み付けて言う。決して臆しないように、心の中で渇を入れる。
だけど、教師の後ろで、こちらに歩いてくる天使を見つけてしまった。思わず顔を歪める。こんなときに、彼女もライブを止めると言うのか。
「そこをどけ!」
「どきません。」
睨み付ければ、教師は私を無理矢理押し退けた。かなりの力だった。バランスを崩して尻餅をつく。顔を上げたその時、目の前を天使が通った。私はすがるような思いで彼女の手をつかんだ。視線が交わる。何もうかがえない、そんな表情。
「お願い、見逃して。」
「……」
「止めないであげてっ」
音楽が止んだ。ハッとして舞台を見ると、教師達が岩沢さん達を取り押さえている。ざわざわとうるさいライブ会場に、時々教師に対する抗議の声があがる。それでも教師達は岩沢さん達を離そうとしない。
「……っ」
「あなたは、」
静かな声が聞こえた。目を移せば天使がじっと私を見ている。
「どうして泣いてるの?」
「え……?」
泣いてる?涙なんか出てないのに、どうしてそんなことを言うのだろうか。私が口ごもると、天使は最初から答えは期待していなかったのか、フイと視線を舞台へと戻した。私もつられて見ると、岩沢さんのギターを片手で持つ教師。
気がついた時には、走り出していた。
私に何ができるかなんてわからなかったけど、足が舞台へ向かう。教師に向かって「それに触るな」と叫んだ岩沢さんは、体当たりをする勢いでギターを奪い、歌いだした。
聞いたことのないバラードだった。新曲だろうか。とても綺麗な旋律。まるで岩沢さんみたいだ。
皆が静かに聞き入る中、ゆっくりと、舞台下に移動する。自然と、涙が頬を伝った。岩沢さん、と小さく彼女の名前を呼ぶ。
「ありがとう」という歌詞で締め括られたその歌を歌い終えたあと、岩沢さんは満足気に微笑んだ。
「岩沢さんっ!!」
力の限り叫んだ。怖かった。胸が、これでもかというほど痛んだ。消える。その言葉が、頭を支配した。
いやだ、いやだいやだいやだ!消えないで!お願い消えないでっ!おいて、いかないで……っ
ゴトンと音を立ててギターが落ちた。持っていた岩沢さんが、消えてしまったから。
しんと、会場が静まりかえった。私はそこに座り込んだまま、動けなかった。
気がつけば私は屋上にいた。いつの間にか日も昇っていて、記憶がない間に自分が何か変なことをやらかしてはいなかったか、少し不安になった。屋上を囲む柵に手をかけ、ぼんやりと空を見上げる。
岩沢さんが消えた。その事実がどうしようもなく苦しかった。
『私は、詩織が好きだよ。』
「……っ」
額を押し付ければ、カシャンと柵が音をたてた。
大嫌いなんて言ってごめんなさい。全部、全部嘘だから。
「私も……」
私も岩沢さんが好き。
言いたかった。でも言えなかった。どんなに願ってももう、岩沢さんは名前を呼んでくれないんだ。
「詩織。」
「っ!」
弾かれたように振り返った。そこには音無君がいて。そうだ彼も私を名前で呼ぶようになったんだ。
気がつけば私は、ボロボロに泣いていた。
泣き止まなきゃいけないとわかっていても、音無君が私を呼ぶ度に次々と涙が溢れる。
「詩織」
「っめ、て…
呼ばないで…っ」
音無君がゆっくりと近づいてきた。それに合わせて後ずさったけど、柵にぶつかってしまう。元々柵の近くにいたんだ。当たり前の結果だけど、行き場がなくなってもまだ、諦めきれずに出来るだけ距離を取ろうと小さく縮こまった。
座り込んで頭を抱えた私の前で、音無君が止まった。
「何も、言わないで……っ」
「……、」
「っ、ほっといてよぉ…!…」
ギュッと目を瞑り、耳もふさいだ。何も見たくなかった。何も、聞きたくなかった。ただただ、時がすぎるのを待っていたかった。
なのに音無君は何も言わずに私の隣に腰をおろした。少しだけ触れたところがあたたかくて、私は声をあげて泣いた。
ありがとう、音無君。
ありがとう、岩沢さん。
俺の隣で肩を震わせる詩織を見て、胸が苦しくなった。
コイツはきっと、皆がすごく好きで、大切で、だから何か関われない理由があって、それで、1人でいるのか……。ここに来てからずっと。
『音無君っ!
起きてよぉ!!』
俺が詩織を庇って階段から落ちた時、必死に俺を揺すって名前を呼んでいた。ぼんやりとだが、覚えている。
俺が嫌いならそんなことはしなかっただろうし、岩沢が嫌いなら今こんなに泣かないはずだ。
「なぁ、」
「……っ」
詩織が落ち着いてきた頃話しかけてみると、肩をビクリと震わせた。いつも関わるなと言いながら、心の中では皆を求めている彼女は、一体どうしたら心を開いてくれるのだろうか。思案した結果、こうして何も言わず隣に腰かけてしまった。これだけでは埒があかないとやっと話しかけたが、どうすれば詩織に追い出されずにいられるだろうか。
いや、どのみち彼女は俺を追い出そうとするだろう。それなら、あたって砕けろだ。
「詩織は、皆のことが好きなんだよな?
岩沢のことだって、悲しいんだろ?だから泣いてる。違うか?」
「……」
詩織は何も言わず、膝に顔を埋めたままだった。俺はそれを肯定と受け取り、本題へと入った。
「なのに俺達に関わろうとしない理由は、何なんだ?」
詩織が勢いよく顔をあげた。真っ赤な瞳が俺を映す。
「ほっとい……っ」
「ほっとけないんだよ!
お前を見てると、どうしても助けたくなるんだ!
……性格なんだよ。仕方ないだろ。
なぁ、言えないことなのか?」
詩織はぐっと唇を噛み締めた。その後ハッと息を吐き出して俺を下から睨み付ける。
冷たい風が、詩織の髪を揺らした。髪が目に入ったのか、ギュッと目を瞑り俯く彼女は、なんとも危なっかしいと思った。今にも消えてしまいそうな、瞬きをした瞬間、目の前からいなくなっていそうな、そんな不安が俺を駆り立てる。思わず詩織の手を強く握った。目を大きく開いて俺を凝視した後、顔を真っ赤にして俯く彼女に、不覚ながら笑ってしまった。
「ちゃんと女の子らしいところもあるんだな。」
「っ、離して!」
真っ赤な顔で俺の手を振りほどいて睨み付けた後、詩織は足早に屋上を去っていった。
俺は追いかけなかった。「ありがとう」と言われた日からまったく見つけられなかった彼女。昨日やっとの思いで会えたのに、何故だかまたすぐに会える気がした。
詩織の手を掴んだ手を見つめる。小さくて、冷たくて、いつも強がってキツいことを言っているがやっぱり女の子なのだと思った。
「!」
ふと手を見ていた視界に足が入った。顔をあげるとそれは詩織で、少し驚いてしまった。詩織は口を一文字に結び、じっと、何かを決心したようにこちらを見ている。
「どうし、」
「理由」
え?と聞き返すと、詩織は相変わらずの視線をよこしたまま、口を開いた。
「理由、話してもいいよ。」
「ほ、本当か!?」
一瞬理解出来なかったが、徐々に嬉しさが込み上げてきて立ち上がった。
でも詩織は、そんな俺の気持ちを踏みにじるような言葉をキッと俺を睨み付けて言い放った。
「そのかわり、金輪際私に関わらないと誓って。」
「なっ、」
「適当に同意なんか認めないから。
1度理由を話したら、私はもうあなたの前には二度と現れないと思って。」
「なんで……っ」
「決まってるじゃない。」
嫌いだから。そう言われ、俺は強く奥歯を噛み締めた。これでもかと手を握り、だが呆然と詩織を見つめた。嘘をついているようにもついていないようにも見える彼女に、俺は何も言えなかった。嫌い、という言葉が深く突き刺さり、その場から動けなかった。
俺は、今日のことで少しだけでも詩織に近づけたと思った。だがそれは、ただの自惚れに過ぎなかったというのか。
挑発するようにこちらを見る詩織に、俺はやっと正気に戻ってしっかりと見つめかえした。
詩織がわずかに眉間にしわを寄せる。
「そういうことなら、」
「……、」
「理由は、聞かない。」
何故か、詩織が少し、安心したように見えた。
「だから、関わってもいいな。」
「……っ」
「明日も会いにくる。」
今度は俺が、屋上を後にした。ドアを閉じる瞬間、チラと見えた詩織は、何かをたえるように、肩を震わせていた。
(1人にはさせない)
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