初めての笑顔

「……へ?」

朝。
ベッドで寝たおかげか、体はまだ痛いものの、気分はいい。
いったいどういう風の吹き回しだったのかわからないが、ヴィンセントは理由を話すこともなく、また何かの用事で部屋を出て行った。
出ていく際、朝ごはんだと渡された、パサついた一つのパンを1人齧っていた時だった。
がちゃりとドアが開いて、冒頭の間抜けな声が出た。もう帰ってきたのだろうか。それにしては早すぎる。
そう思って目を向けると、小柄な女の子が1人立っていた。
ばちりと目が合う。その可愛らしい女の子は、無表情で私を淡々と見つめたかと思うと、

「間違えました」

とドアを閉めた。

「……え?え、ちょっと待っ」

ここに来てから、ヴィンセント以外の人と会ったのは初めてだった。
しかも女の子。年もそう変わらないのではないだろうか。
どうにかして接触を測りたい。思わず後を追おうとドアの前まで走った瞬間、

「やっぱり合ってました。」

「わぁ!?」

突然ドアが開いた。
なんだかデジャヴを感じながら、今回も私はドアの餌食となり、顔面を強打したのだった。




「あなたがシオリ様ですか。」

現れた女の子はエコーちゃんといった。
ヴィンセントに仕えているらしい彼女は、だがヴィンセントの性格の影響は受けていないらしい。
少し読めないところはあるものの、彼よりはずっと常識人のようなエコーちゃんであれば、ヴィンセントの命令を聞かなければならない環境はさぞ辛いことがたくさんあることだろう。
まだ食事中、と言ってもパン1つなのだが、だった為、慌ててもぐもぐと咀嚼する。パンの最後の一口を口に放り込み、しげしげと見上げてくる彼女に笑顔を向けた。

「そう、シオリです。
それで、エコーちゃんはどうしてこの部屋に来たんですか?」

問うと、エコーちゃんは手に持っていた箱をテーブルに置いた。
ぱかりと開けられたそれの中身を見る限り、おそらく救急箱だろう。

「ヴィンセント様からのご命令で、シオリ様の怪我を手当するようにと。」

「ヴィンセントが……?」

どういう風の吹き回しだろうか。
何かの間違いではないかと、一瞬理解が出来なかった。そんな私を他所に、エコーちゃんはてきぱきと手当を進めていく。
熱を持った頬にペタリと貼られたそれは、冷たくて気持ちいい。
ただ、エコーちゃんもエコーちゃんで容赦がない。
丁寧な対応ではあるのだが、如何せん、ケガの場所に対する扱いが素早いせいで、痛みの覚悟をする前に消毒液をかけられてしまう。
それでも手当をしてもらっている身。音を上げてなるものかとなんとか我慢をしていたのだが、容赦なく触れられる傷への痛みに思わず声を上げた。

「ちょ、ちょっと待ってエコーちゃ、」

彼女の手を掴もうとした瞬間、エコーちゃんは目にも止まらぬ速さで私から遠ざかった。
呆気にとられ、ぽかんと口を開けてしまう。
彼女の手に向かっていた手は、虚しく空中で行き場をなくした。
あ、あれ、私何か、そんなに嫌われてしまうようなことをしただろうか。何故、そんなにも私から遠ざかるのだろうか……。

「あ、あの……」

「はい。」

エコーちゃんはどう見ても戦闘大勢である。
大勢を低くし、いつでも動き出せますとでも言わん勢いだ。無表情ではあるが、私をじっと見つめ、視線を外さない。明らかに警戒されている。それがとても理解出来た。
でも、一体どうして、そんな反応をするのだろうか。
戸惑いながらも、少しでも警戒をといて欲しくて、エコーちゃんに向かって笑顔を作った。

「も、もう少し、痛みへの心の準備をさせて欲しいな、と思いまして……」

「……」

「つ、次ここの消毒します。とか、言ってくれるだけでいいんですけど……」

「……」

そう言うと、エコーちゃんはおもむろに、だがやはり少し警戒しつつ立ち上がった。
そして、何か1人で悩む素振りを見せ、

「シオリ様は、痛みを感じられるのですか?」

「かっ、感じます!」

いったい何を言っているのだろうかこの子は。
私だって人間だというのに。あまりの衝撃的発言に私は声を大きくして反論してしまった。
確かに、ここの人たちからすれば、突然現れた得体の知れない人間かもしれないけれど、それでも私の記憶上、この20年弱はしっかり人間として過ごしてきた。当たり前に、痛みの経験も何度だってある。

「あの、エコーちゃんは何か勘違いしてると思うんです……」

「勘違い……」

「はい。私は、普通の人間です。
確かに、変な力を持ってるかも知れないですが、扱い方はわかりませんし、その力だって突然手に入って、私にも何故使えるのかわからないんです……
なぜ私が突然ここに来たのかもわからない。

でも少なくとも今までは、普通の人間として過ごしてきました。
……信じてもらえないかもしれないけど、私はあなたと仲良くしたいし、危害を加えようとも思っていません。
ましてや、手当をしてくれてる人に攻撃しようなんて思いません。
だから、……その、そんなに警戒しないでください。」

言えば、エコーちゃんはぱちりと瞬きをして、低くしていた体制を僅かに戻した。拍子抜けしたという表現が正しいだろうか。心無しか少しだけ、さっきより柔らかい空気を纏ってくれている気がした。
彼女は私にどんな印象を抱いていたのだろう。ヴィンセントからなんて聞いていたのだろう。
警戒具合からして、余程注意するよう言われていたのだろうか。
考えていると、エコーちゃんはそれを感じ取ったのか、

「ヴィンセント様は、シオリ様を、『危険だから自分の部屋で監禁しておく』と仰っていました。
部屋をめちゃくちゃにしたのもシオリ様の力だと。
だからエコーはもっと、……凶暴な大男を想像していました。」

「な、なるほど……」

確かにすべて事実ではある、のかもしれない。
逆にそこまで説明がされていなかったからこそのあの警戒だったのか。
ヴィンセントも、自分の従者が危険な目にあうかもしれないというのに何の説明もないなんて冷たい人だ。
否、相手が私だからこそ、危険な目にあう心配はないと判断したのか。
それっぽっちの説明しかされていないのでは、エコーちゃんの勘違いも、なんだか頷ける気がした。

「だというのに、入ってみれば手足は自由でパンを食べていて、見た目は普通の女性で、いつもよりヴィンセント様のお部屋が綺麗で……混乱しました。」

だから1度ドアを閉めてしまったんだね。冒頭の行動に納得がいって、私は苦笑した。
でも、それも仕方ないと思う。私だって、そんな紹介をされていれば警戒はするし、得体の知れない人物を信じようとは思えない。
信じて欲しいと言うことは簡単だ。
でも、少し悲しいけれど、それが素直に聞き入れてもらえる状況ではないということも、理解出来た。

「判断はエコーちゃんに任せます。
何ならここで手当てをやめてしまっても大丈夫。
ヴィンセントには私が嫌だったからとか、なんか適当に言っておきます。
怖い思いさせてしまってごめんなさい。」

「……」

エコーちゃんはじっと私を見つめた。探るように、じっと。
私が危険かどうか、判断中なのだろうか。それなら、少しでも安心して欲しい気持ちを伝えなきゃ。そう思って、私も一緒になってエコーちゃんを見つめ返した。
そうすると、体勢を元に戻したエコーちゃんは、次に自分の手にある消毒液と私を交互に見る。
そして、静かに歩みを進め、私の前まで来ると、

「……鼻の消毒をします。」

そう宣言をして今までより少しゆっくりと手当を再開してくれた。私が伝えた要望を聞き入れてくれたようだ。
この世界で初めて少し、受け入れて貰えた気がして、膝の上でぎゅっと手をにぎる。
まだ私が痛みで身じろぎをすれば、さっと身構えられることもあるが、それでも手当てを続けてくれたことが嬉しかった。
「ありがとう」と呟いた言葉が聞こえたのか、エコーちゃんは小さく、「どういたしまして」と応えてくれた。






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