大きな子供

私は1人、部屋の中でため息をついた。
男の名前は「ヴィンセント」というらしい。
最初が最初だったから、奴隷宣言をされた時はどうなることかと気が遠くなったのだが、いざ蓋を開けてみれば、本当に小さな雑用をさせられるのみだった。
手足は自由になったが、部屋からは出してもらえないため、彼の身の回りの世話がほとんどだ。
それも肩を揉めだの、部屋を片付けろだのといったもの。

今、部屋にヴィンセントはいない。
彼は彼で何か用があるらしく、定期的に部屋を空ける。その間私は何もすることはなくなるわけなのだが、この時間が私には有難かった。
私は未だに自分に何が起こったのかわかってはいないのだ。
目が覚めたらここにいて、文化も時代も、私がいたところとはかけ離れている。
それに、この部屋をめちゃくちゃにしたあの力。本当に私から発せられたものなのだろうか。だとしたら何故。私にそんな力があるはずがないのに。

「わからない……」

ここ数日、こうして悩んでみたものの、何1つ解決していない。完全にお手上げ状態だった。
思わずガシガシと頭を掻くと、以前彼の手から逃れようとし、自分で床へと打ち付けた時に出来たたんこぶに触れ、うっと声が漏れた。
あれから、意外なことに暴力は振るわれていない。
あの人にとって私はなんなのか。なんのために置いているのか。
ただの暇つぶしなのか。それとも、何か目的があるのか。こちらもまた、理解出来なかった。
彼の最初の印象を上げるとするならば「理不尽暴力発動機」である。
奴隷だと宣言されたからには、毎日のように手をあげられるのだろうと思っていた。日々のストレス発散に使われるのだろうと。

「うーん……わからない……」

私が発した不思議な力も、目的の一つには違いないだろう。
だがここ数日、彼が私にそれを促すこともない。
これは、直接本人に聞いてもいいものなのだろうか。
彼との会話は、私の身元確認(何度聞かれてもわからないものはわからないのだが)と事務連絡、命令と、それに対する返事がほとんどだ。私から話しかけることはまずない。
思い切って話しかけてやろうか、なんて思うものの、否、自分から話しかけるなんて、何だか癪だ。
でも、最近は暴力もないし、もしかしたら私が思うほど、彼は「理不尽暴力発動機」でもないのかもしれない。
最初のあれは突然現れた身元不明な女を怪しんでのこと……。それにしてもやりすぎだとは思うが。案外話してみれば通じるかもしれない。
そこまで考えた時、ちょうどドアが開いた。
彼が帰ってきたのだ。丁度いいタイミングだ。初めて、私から話しかけてみよう。
そう思って立ち上がったのだが、男の顔が不機嫌であると、すぐにわかった。そして、つかつかと歩み寄ってくるものだから、きっと、殴られるだろうということも。

「……っ」

パンッと音が鳴った。やっぱり、彼は「理不尽暴力発動機」だ。
絶対に、暴力なんかで屈してなるものか。心の中で喝を入れて、何度も何度も叩かれる中、目だけはヴィンセントを睨み、抵抗を続けた。
彼の表情は、苦しんでいるようにも、悲しんでいるようにも、怒っているようにも、悔しんでいるようにも、そして、諦めているようにも見えた。行き場のない、負の感情。
その顔に、どこか見覚えがある気がした。あぁ、そうだ。昔の自分だ。どうすればいいのかわからず、自身と葛藤していたあの頃の自分。
そう思うと、何だか彼が可哀想に見えた。
ふっと睨んでいた目を緩めると、ピタリと彼の手が止まった。
胸ぐらを掴まれる。目と鼻の先に、彼がいた。

「その顔、なに?」

「……」

「もっと抵抗してくれないと面白くないんだけど。
それか思い切り泣きわめいてよ。」

視界の隅に見える人形たち。以前彼がそれを切り刻んでいたのを思い出した。
あぁそうか。私はあの人形なのだ。動き、話せる人形。所詮おもちゃ。
コイツは大きな子供で、私というおもちゃが、今一番のお気に入りなのだ。

「ねぇ、返事は?」

「……あなたは、1人なんですね。」

発した言葉は、返事とはかけ離れている。
求める返事がなかったにもかかわらず、目の前の表情は変わらない。

「言っている意味がわからない。」

「自分をわかってくれる人がいないんですね。
心が一人ぼっち。
自分が何を思っているのか、伝えられる人がいないんだ。」

さらに伝えると、彼の目がわかりやすく動揺の色を見せた。胸ぐらを掴んでいる手に、ギリギリと力が入る。
図星だ、と思った。図星だからこそ腹が立つのだろう。

「我慢してるんですね。
だからこうして、本音を話さずに暴れるしかできない。
伝え方がわからない子供だから、おもちゃにぶつけるしかないんです。」

「……っ」

苛立ちを表すようにガッと床へと押し倒される。手が首を圧迫し、息苦しさに咳き込んだ。
男の顔は、先ほどとはうってかわり、酷くゆがんでいた。

「怒るってことは、その通りなんですね……ぅっ」

男の手が、今度はしっかりと私の首を締めあげた。
私に馬乗りになり、以前よりずっと強い力で締める。
これは、本当に、死ぬかもしれない。と自分で挑発しておきながら、少し焦った。

「お前に、何がわかる……っ」

彼は何度もそう言いながら、私の首を締め続ける。殺すつもりなのだろうか。
また、体の奥が熱くなる感覚がした。私の不思議な力、身に覚えのない、あの力が出ようとしているのだろうか。
力が出れば、男の手は離れるのだろう。だが、それでは何も解決しないのではないかと思った。
力で終わらせるべきところではない、きっと。
彼は、大きな大きな子供。誰かが教えてあげるべきだ。それは間違っていると。
でも、彼にはそれを教えてくれる人はいなかったのだろう。昔も、今も。以前の私のように。
だったら、私が教えてあげなければ。
力が出る前に、何とか、私が……

「……」

頭がぼんやりとして思考ができない。視界が霞む。
体から力が抜けてくる中、僅かに動く腕を、何とか持ち上げた。
男が、びくりと震えるのがわかった。何を怯えているのか。こんなに優位に立っておきながら。
暴れても、怒っても、自分の思い通りにならない。それが怖いのだろうか。本当に、この人は子供だ。

「……っ、!」

そっと、持ち上げた手で、彼の頬に触れ、撫でた。
そんなに怒らなくてもいい。暴れなくてもいい。人を動かす力は、負の感情だけじゃないんだよ。
でも、あなたはきっと、負の感情をずっとぶつけられてきたのだろう。だから、自分自身もそうして人に動いてもらうことしかできないんだ。
優しく触れることで、何かが変わることだってあるのに。
私が触れた途端、彼はハッしたように目を見開き、私の首を締めていた手が緩めた。
だが、それを最後に、私の意識は途絶えた。









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